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.経済  投稿日:2019/12/24

ウズベキスタンの当たり年


嶌信彦(ジャーナリスト)

「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」

【まとめ】

・エコノミスト誌「今年の国」はウズベキスタンが選出。

・ウズベキスタンと日本の縁は深い。

・近年、急激に改善している経済は国際的にも認識されている。

 

2019年の今年はウズベキスタンの“当たり年”だった。私は22年前にNPO法人日本ウズベキスタン協会を創設したが、今年ほどウズベキスタンが各種メディアで取り上げられ話題になったことはなかった。暮れの押し迫った12月17日に就任3年目のミルジョエフ大統領が始めて来日したし、20日に発表された英エコノミスト誌の毎年恒例の「今年の国」はウズベキスタンを選び世界的話題ともなった。

▲写真 日・ウズベキスタン首脳会談 出典:外務省

ウズベキスタンは19世紀にロシア帝国に征服され、ロシア語が定着してきた国で、今もウズベク語とともにロシア語が日常的に話されている。ただ91年に旧ソ連が崩壊するとウズベクは他の中央アジア4ヶ国(カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス)とともに独立し、その後中央アジアの中心的な国として成長してきた。独立当初は日本ではその存在は殆んど知られておらず、「スタン(state=国)」がつくのでパキスタンやアフガニスタンの一部と間違われることさえあった。

独立時の人口は2100万人だったが現在は3200万人へと急増し、20代の若い人々が多い。面積は日本の約1.2倍でカザフスタン(以下、カザフ)の5分の1程度だが、カザフの人口は1800万ほどだ。GDPは石油大国のカザフの約4分の1の412億ドルと少ないものの、ガスや石油、稀少金属を持つ資源国であると同時に綿花を中心とした中央アジア最大の農業国だ。

また、韓国の大宇が建設しGMに変わった自動車工場や日本の いすゞ自動車が作った小型バスの生産工場などの工業基盤や中小企業・サービス産業、観光産業なども多く、他の中央アジア諸国に比べバランス良く産業発展し、成長してきた。

特にここ2,3年は5~7%の成長を遂げ、国民は豊かになっている。私が初めてウズベキスタンを訪れたのは独立5年後の96年だが、当時はまだ第二次大戦で敗北し、ようやく立ち上がってきた日本のようだった。しかし現在は首都タシケントに高層ビルが建ち、自動車のラッシュや外資系ホテルなども目立っている。

▲写真 世界一美しいといわれている首都タシケントの地下鉄の駅 出典:著者提供

ウズベキスタンと日本の縁も深い。元々、ウズベクはシルクロードの真ん中に位置し、東西貿易の中継地点のオアシス国家だった。古くは三蔵法師がシルクロードを通ってインドに渡り、そのルートから西側の文物や仏教が中国、日本へと伝わってきたのだ。日本人がシルクロードにロマンと郷愁を感ずるのはそうした長い歴史を知っているからだろう。

さらにタシケントに建つオペラハウス「ナボイ劇場」の建設秘話もここ10年で日本に伝わり有名になった。第二次大戦で捕虜となり中国東北部の満州にいた日本人工兵457人が旧ソ連の命令でタシケントにビザンチン風のオペラハウスを1945年から1947年にかけウズベク人とともに建設した物語だ。私は4年前に「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店刊)のタイトルでノンフィクションとして単行本に書いた。この本は三刷まで増刷後、今年9月に伝説となった日本兵捕虜と改題し、角川書店より新書版として発売されている。

▲写真 ナボイ劇場 出典:著者提供

特にナボイ劇場は現在もウズベクを代表する建築として知られ、オペラやオーケストラ、バレエ、演劇の舞台として利用されている。日本兵捕虜が建設を命じられた時、日本兵の間では「どうせ捕虜として働かされるのだから適当に作っておけばよいだろう」という声もあった。しかし当時の隊長だった永田行夫大尉は「オペラハウスとして建設すれば今後何十年も利用されることになる。もしいい加減な建築を行ない、すぐに欠陥が見つかるような建物だったら日本人は笑い者になるかもしれない。たとえ捕虜であっても日本人として恥ずべき仕事はせず、後世に“さすが日本人はすごい”といわれるようなものを建てよう」と説得したのである。その結果、日本兵たちは知恵を働かせ、日本人の器用さを生かしながら、ウズベク人たちと一緒に約束の2年の期限内に後々までウズベキスタンの誇りとなるオペラハウスを完成させたのだ。

ナボイ劇場が有名になったのは、1966年にタシケントの街の建物が殆んど崩壊するような大地震が発生した時に、びくともせず凜として悠然と建ち続けた劇場の姿にウズベク人が大きな感銘を受けたためだった。以来、ウズベキスタンの人たちは日本人に敬意を抱くようになり、さらに第二次大戦後の日本の素早い復興を知ってウズベキスタンの91年の独立後は日本を見習う空気が強まっていったのである。こうした歴史的経緯もあって、ウズベキスタンからの日本への留学生数は約2100人、在日ウズベク人は約4000人にも及んでいる。

91年の独立後は、ソ連時代にウズベクの第一書記だったカリモフ氏がそのまま大統領となり、イスラム主義の蔓延を恐れて強権的な独裁国家体制を実施し自由化に対しても厳しい規制を行なってきた。しかしカリモフ氏が死去し2016年からミルジョエフ氏が大統領になると、「改革に手を付け始め、強制労働をほぼ廃止し、外国人ジャーナリストのウズベキスタン国内での活動を許可、さらに多くの国境検問所を開放し、過酷な刑務所の閉鎖などを実現し、2019年に飛躍的前進を遂げ、国内経済も急激に改善された。」英・エコノミスト誌は「これほど大きく改革された国はなかった」と評価した。今年がウズベキスタンの当たり年だったことは、国際的にも認識されているのだ。

▲写真 ウズベキスタン、バスの車窓から見えるGMの車 出典:著者提供

ミルジョエフ大統領が初めて来日した12月19日夜には首相公邸で安倍首相主催による公式晩餐会が開かれ、日本とウズベキスタンの関係者約60人が招かれ、私もNPO日本ウズベキスタン協会の会長として出席した。晩餐会の挨拶では両首脳がいずれもナボイ劇場建設の話に多く触れたのを聞いて、改めて日本兵捕虜たちがシルクロードで誇りをかけて行なった仕事が両国の大きな絆になっていることを感じた。この晩餐会には当時隊長として指揮をされた永田大尉の長男の永田立夫氏も招かれており感慨深く聞いておられた。今後のウズベキスタンの行方は、ますます注目だ。

トップ写真:人気の観光地、サマルカンドのグリ・アミール廟 出典:著者提供


この記事を書いた人
嶌信彦ジャーナリスト

 慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、通産省、外務省、日銀、財界、経団連倶楽部、ワシントン特派員などを経て、1987年からフリーとなり、TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務める。

  現在は、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」、BS朝日「ザ・インタビュー」、BS-TBS「週刊報道 Biz Street」等レギュラー出演。

  2015年9月30日に新著ノンフクション「日本兵捕虜はウズベキスタンにオペラハウスを建てた」(角川書店)を発売。日本人捕虜たちが中央アジア・ウズベキスタンに旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなる「ナボイ劇場」を完成させた、よく知られている悲惨なシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設秘話を描いている。その他著書に「日本人の覚悟~成熟経済を超える」(実業之日本社)、「ニュースキャスターたちの24時間」(講談社α文庫)等多数。

嶌信彦

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