急成長ウズベキスタン訪問記
嶌信彦 (ジャーナリスト)
「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」
【まとめ】
・ウズベキスタンに今なお残る日本人捕虜が建設した『ナボイ劇場』。
・『アラル海』の砂漠化は自然改造で引き起こされた環境破壊の一つ。
・再燃しつつあるウズベキスタンの観光人気。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=48004でお読みください。】
中央アジアのウズベキスタンへ行ってきた。今回は私が会長を務める『NPO法人日本ウズベキスタン協会』の20周年記念旅行で、9月6日から13日までの8日間の訪問だった。会員と一般募集で募った約30人が参加し、和気藹々の実に楽しい旅だった。年配のご夫婦をはじめとして、中堅や20~30代の若手も交じり、普段ではなかなか一緒に旅行する機会のないメンバーでの旅行となった。
■ 日本人捕虜が建てた『ナボイ劇場』を見学
週二便のウズベキスタン航空で成田から直行し、9時間半ほどで首都タシケントに到着。翌日は敗戦直後に旧ソ連によって満州から連れて来られた日本兵捕虜457人がウズベク人とともに2年間かけて建設した伝説の『ナボイ劇場』(オペラハウス)や日本人墓地、現地のジャリル・スルタノフ氏がコツコツ集めた資料を展示している日本人抑留者資料館を見学した。抑留当時の貴重な建設の様子などを8ミリフィルムで撮影した映像や資料を拝見したり、ウズベキスタンの歴史博物館なども訪れた。
▲写真 ナボイ劇場で参加者の皆様と 出典:著者提供
今回の旅行には、隊を率い、ウズベク人を指導しながらビザンチン風の3階建て『ナボイ劇場』を建設、完成させた永田行夫隊長のご子息である永田立夫氏も参加されており、感慨深げだった。立夫氏によると父の行夫氏は生前、捕虜時代のことをあまり詳しく話されなかったため古い映像や資料を見て苦労の実情がわかったという。
また、永田隊長は『ナボイ劇場』を建設するに当たり「捕虜として労働させられるのだから適当に作っておけばよいという考え方もあるだろうが、この劇場が今後数十年も残ることを思ったら日本人として恥となるような仕事はせず、後世にも名が残るような立派な建物を作ろう」と収容所の仲間に呼びかけた。
その後、1966年にタシケント大地震がありタシケントの街がほぼ全壊した時、『ナボイ劇場』だけは悠然と建ち続け、その名を中央アジアにとどろかせたのだ。日本ウズベキスタン協会では、2001年に設立10周年の記念イベントとして日本のオペラ『夕鶴』を企画、主催し、建設に関わられた方々がオペラ終了後に『ナボイ劇場』の舞台に立たれたこともあるだけに、懐かしさも一杯だった。
▲写真 永田立夫氏 出典:著者提供
■ 日本への留学生たちと旧友を温める
もう一つの楽しみは、2日目の夜に旅行団とウズベキスタン在住の日本関係者とのパーティーを開催したことだった。かつて日本に留学していた方々や赴任されたばかりの在ウズベキスタン日本大使の藤山美典氏、ウズベキスタンに赴任されている商社やJETRO、JICAなどの関係者30名をお招きし、久しぶりに再会し話がはずんでいた。
■ 世界最大の公害の塩湖『アラル海』の悲劇
さらに、今回のハイライトのひとつは、世界最大の環境問題地域といわれる『アラル海』を訪れたことだった。綿花や水稲の灌漑農業用水に『アラル海』の水を利用した事業の促進によって、旧ソ連時代に世界第4位の湖面面積(北海道と同じ位の広さ)を誇っていた大湖が砂漠化し60年間で九分の一にまで減少。塩分が上昇し湖水流域の漁業、農業もほぼ全滅した。砂漠化したかつての湖底に立つと、漁船があちこちに錆び付いたまま放置されている『船の墓場』と呼ばれている異様な光景にみんな口をつぐんでしまった。
『アラル海』の公害現場はウズベキスタンとカザフスタンにまたがる地域に存在していたが、いまやカザフスタンにある小アラル海だけが残っているという。当時、『アラル海』縮小による漁獲高減少による損害は最大6000ルーブル、灌漑農業によって得られる利益は140億ルーブルに達するとみられ、損益面からのみ考え実施したものの、気候の変化やデルタや河川の砂漠化、土壌の塩類化、牧草の減少――などが次々と起こり自然改造によって起こる環境破壊が大きな国際問題になってしまい、人間の愚かさを示していた。
▲写真 アラル海 出典:著者提供
■ 幻想的だったシルクロードのプロジェクションマッピング
このほかヒヴァの古代社会の遺跡やサマルカンドの古代寺院、美しい青のモスクなどを見学したが、なかでもサマルカンドのレギスタン広場でのライトアップや、3年前から始まったシルクロードやウズベキスタンの歴史をテーマとしたプロジェクションマッピングは圧巻だった。古代からの建築と現代のハイテク技術を駆使した夜空のショウは紀元前から続く中央アジアの美的感覚や感性を堪能させてくれた。
▲写真 プロジェクションマッピングの様子 出典:著者提供
■ ウズベク側の熱いおもてなしに感激
今回の20周年記念旅行期間中は、ウズベキスタン政府や在日ウズベキスタン大使館などが、心を込めて歓迎してくれたイベントが続き、各都市での歓迎式典(ウズベキスタンの音楽やダンスなど)のショウや各市長、また代理の方による歓迎に参加者一同は大いに感動していた。
私にとっても過去の公式訪問やグループ旅行でこれほどの“おもてなし”を受けたのは初めての経験だった。また、今後、日本ウズベキスタン協会とウズベキスタン政府の文化・観光当局との共同プロジェクトを遂行することも約束した。
世界の人気観光地であるエジプト、トルコ、パリ、ニューヨーク、ロンドンなどがテロで揺れているせいか、中央アジア、特にウズベキスタン観光の人気の高まりはすさまじく日本人観光客も前年比で4-5倍に上っている。私たちが訪れた時期には500人以上の日本人が来ていたようだ。今回の旅程は、かなりきつく、中にはお腹を壊した人もいたが、ウズベキスタンの料理や果物も大いに楽しんだ訪問でもあり、大成功だった。現地ガイドの若いドストン氏や添乗員の遠藤美佐子氏の献身ぶりにも感謝したい。
▲写真 ウズベキスタン側のおもてなし 出典:著者提供
■ 中央アジアの隆盛が再び
中央アジアは、現在先進国に遅れ地政学的にも孤立気味なので世界から忘れられそうな存在になっている。しかし、紀元前1000~2000年前は、東西を結ぶシルクロードの中心のオアシス都市として栄え、東西の文物が行き交った文化・文明の中心地だった。青いモスクや美しい建物にその面影をはっきりと残している。時代はいま日本や欧米の先進諸国に元気がなく、中国や東南アジア諸国などが成長を遂げて投資を集めている。中央アジア地域も平均年齢が20~30代で人口が急増し(20年前のウズベキスタンの人口は2200万人だったが、現在は3200万人)、2025年には1億人に達するとの予測もある。人口増大は成長の柱であることを考えると、21世紀半ばには再びウズベキスタンを中心とする中央アジアの時代がやってきそうな予感がする。
トップ写真:ウズベキスタンの建造物 出典:著者提供
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この記事を書いた人
嶌信彦ジャーナリスト
嶌信彦ジャーナリスト
慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、通産省、外務省、日銀、財界、経団連倶楽部、ワシントン特派員などを経て、1987年からフリーとなり、TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務める。
現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」にレギュラー出演。
2015年9月30日に新著ノンフィクション「日本兵捕虜はウズベキスタンにオペラハウスを建てた」(角川書店)を発売。本書は3刷後、改訂版として2019年9月に伝説となった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たち」(角川新書)として発売。日本人捕虜たちが中央アジア・ウズベキスタンに旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなる「ナボイ劇場」を完成させ、よく知られている悲惨なシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設秘話を描いている。その他著書に「日本人の覚悟~成熟経済を超える」(実業之日本社)、「ニュースキャスターたちの24時間」(講談社α文庫)等多数。