剣道に見る感染リスク軽減策
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
【まとめ】
・剣道、相撲など「閉鎖空間」「大声」がハイリスク。
・工夫は可能。道場の窓全開、屋外稽古、掛け声なしでリスク減。
・抗体検査で感染ルート検証を。〝強毒〟第2波への対応検討を。
ご縁があって『剣道時代』という雑誌で「剣道で学び、剣道に学ぶ」という連載を続けている。私は中学・高校・大学で剣道部を続けてきた。三流剣士だが、お世話になった剣道界に何か恩返し出来ないかと考え、身の程を弁えずに発信している。
筑波大学に鍋山隆弘先生という剣道の達人がいる。現在、大学剣道界最強とされる同大学の男子剣道部の監督を務めている。鍋山先生はPL学園、筑波大学で大活躍し、剣道界で知らない人はいない有名選手だったが、指導者としても大成している。精神論が強調されやすい武道界では珍しい、合理的な思考の持ち主だ。
先日、『剣道時代』で鍋山先生と対談した(※写真1)。テーマは「如何にして剣道を再開するか」だ。
▲写真1 鍋山隆弘先生(左)と筆者(右)。筆者提供。
新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が解除された。日常生活が戻る中、居酒屋などの飲食業やイベント業など再開に躊躇している業界もある。スポーツ業界も例外ではない。プロ野球、サッカーJリーグなどの競技の再開が決まる一方で、剣道界は慎重な態度を変えていない。本稿を執筆している5月28日現在、全日本剣道連盟のホームページには「新型コロナウイルス感染症の集団発生を防止するためのお願い」として、「当面、対人的な稽古は中止してください」とある。鍋山先生は、この状況に危機感を抱いている。
ただ、私は剣道界が慎重な態度をとることは合理的と考えている。なぜなら、剣道は野球やサッカーより遙かに新型コロナウイルス感染のリスクが高いからだ。5月には愛知県警の特練員を中心に20人を超える集団感染が発生している。
なぜ、剣道がハイリスクなのか。それは道場という閉鎖空間で、密接に接触し、さらに大きなかけ声を出すからだ。
このような状況は剣道に限った話ではない。相撲、合唱団、屋形船、カラオケ。何れも集団感染が報告されているが、閉鎖空間に人が集い、大声で話すことが共通している。
▲写真 カラオケ(イメージ) 出典:Pixabay; egodi1
特に重要なのは話すことだ。閉鎖空間に多人数が集っても、話さなければリスクは低そうだ。満員電車で新型コロナウイルスが拡散したという話は聞かない。これは季節性インフルエンザと対照的だ。
なぜ、話すことが感染を拡大させるのだろうか。それは話すことで唾液が飛ぶからだ。
当初、新型コロナウイルスは風邪ウイルスと同様、鼻腔や咽頭で増殖すると考えられていた。ところが、その後の臨床研究により、口腔から大腸まで様々な臓器に存在することがわかった。
特に唾液には大量に存在する。米ラトガース大学の研究者は、唾液を用いたPCRの方が鼻腔より感度がいいと報告している。米エール大学、北海道大学、長崎大学でも追試され、同じ所見が確認されている。長崎大学の医師たちは、感染確認後、3週間が経過した患者から検出されたウイルス量は鼻の奥から採取した検体より、唾液の方が多かったと報告している。新型コロナウイルスのこのような性質を考慮すれば、感染者の約6割が味覚障害を自覚するのも頷ける話だ。
世界の研究者は、呼吸や会話などによって生じる飛沫(5~10マイクロメートル以上の大きさ)、エアロゾル(5マイクロメートル以下)などが、どのようにして周囲に感染させるかに注目している。
米国立衛生研究所の研究者たちが実施した実験では、1分間大声で話せば、少なくとも数千粒の飛沫が放出され、8~14分程度空中に浮遊していることがわかった。これが会話によって、新型コロナウイルスの感染が拡大する理由だ。
新型コロナウイルスの感染者には無症状の人が多く、彼らも周囲に感染させるから、無症状の感染者が稽古に参加すれば、周囲にうつすのは避けられない。
一方、エアロゾルが感染拡大に果たす役割については結論が出ていない。体外に放出されたエアロゾルは、数時間にわたり空中を浮遊し、時に気流に乗り周囲に移動する。中国の武漢の医師は、患者から6フィート(約1.8メートル)離れた空中から新型コロナウイルスが検出されたと報告している。
もし、エアロゾルが感染拡大の主役であれば、広範囲に感染するため、感染のコントロールは遙かに難しくなる。しかしながら、現時点で満員電車などを介した感染拡大は報告されていない。多くの研究者は、新型コロナウイルスはエアロゾルで感染拡大するが、その頻度は飛沫感染と比較して多くはないと考えている。
おそらく、新型コロナウイルスの感染の多くは会話による飛沫を介したものだろう。中国東南大学の医師たちが興味深い研究結果を報告している。彼らは記録が残っている7,324例の感染者の感染状況を調べたところ、屋外で感染したのはわずかに1例だったという。感染のほぼ全ては屋内で生じていた。
常に空気が動き、飛沫に含まれるウイルスが希釈されやすい屋外より、空気が停滞する屋内が危険なのは当然だろう。
これは日本の状況とも一致する。表1は3月31日現在、厚労省が発表したクラスター一覧だ。26のクラスター全てが屋内で発生している。16機関は医療・福祉施設で、残りの10施設は、ライブバー、展示会、飲食店、スポーツジムなど利用者がお互いに何らかの会話をするものばかりだ。
▲表1
世界は連動している。中国東南大学の研究や厚労省のクラスター研究の成果が発表されたのは3月末から4月初旬だ。この頃、世界の空気は変わった。4月29日には米国の大リーグが6月1日から再開と報じられたし、5月7日には独サッカーのブンデスリーガが16日から無観客で再開すると発表した。屋外での感染リスクが低いと判断したためだろう。5月20日に夏の高校野球の中止を決定した日本とは対照的だ。これが世界のスポーツ界の試行錯誤の状況だ。
剣道界も工夫して、稽古の仕方を変えればどうだろう。道場の窓を全て開け放てば風通しはよくなる。これでも換気を担保できなければ、学校の校庭など屋外での稽古も検討すればいい。何もせず、流行が納まるのを待つよりいいはずだ。
剣道の掛け声も工夫してみたらどうだろう。新型コロナウイルスは唾液を介して感染しやすい。掛け声なしの稽古は感染のリスクを下げるかもしれない。
最後に抗体検査をご紹介したい。繰り返すが、このウイルスは感染しても無症状の人が多い。私が勤務するナビタスクリニックでは抗体検査を実施しているが、感染の記憶がないのに抗体陽性の人が珍しくない。全く無自覚で職場で集団感染していたというケースもある。
愛知県警以外の剣道場で集団感染はおきていたのだろうか。今こそ検証する時期だ。もし、複数の剣道家で抗体が確認されれば、どういうルートで外部から感染が持ち込まれ、どのようにして拡大したか検討する必要がある。剣道家には年配の方々も多い。彼らにとっても、稽古の「危険性」を判断する貴重な材料になる。
以上が、私と鍋山先生が議論した内容だ。鍋山先生は「筑波大学の剣道部員と議論し、出来ることからやっていきたい」と語った。筑波大学は教員指導層を養成する大学だ。新型コロナウイルス対策は、自らが直面する問題を如何に解決するか、学生自身にとって貴重な経験になるだろう。
実は剣道界が抱える問題は、相撲など他のスポーツとも共通している。工夫次第で感染リスクを低下させることができるはずだ。このような競技では、本来、掛け声は必須でないし、道場や土俵は工夫次第で幾らでも風通しは良くできる。感染リスクは大幅に低下させることが可能かもしれない。ただ、私の考えはあくまで仮説レベルだ。本当に有効かはやってみなければわからない。実証実験として大学院の学生の研究テーマにすればどうだろう。実用的な研究になるはずだ。
勿論、剣道や相撲と、合唱や飲食店は同列に論じることはできない。剣道や相撲とは異なる個別対応が必要だ。また、いずれかの機会に議論したい。
新型コロナウイルスの第一波は幸いアジアの弱毒ウイルスが主流だった。欧米で流行したものは強毒だ。第二波で流行する可能性は否定出来ない。今こそ、第一波の状況を検証し、第二波への対応を検討すべきである。
トップ写真:剣道(イメージ)出典:flickr; MIKI Yoshito
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。