無料会員募集中
.国際  投稿日:2020/6/24

差別の象徴消しても暴力はなくせない(後編)変わらぬ暴虐の現実


岩田太郎(在米ジャーナリスト)

【まとめ】

・米、白人至上主義の狂気の歴史と黒い肌への恐れ。

・米国の法の根幹、黒人の隷属の恒久化を念頭。

・米憲法「黒人は人間として扱わない」建国の精神が生きている。

 

人種差別主義者の銅像や肖像画が公共の場から撤去され、黒人の隷属的なイメージをマーケティングに使う商品のブランドが見直されても、それは表面的なアクションに過ぎず、米国における黒人の抑圧体験は変わらないことを前編・中編で見てきた。

▲画像 米白人俳優のジム・キャリー氏が描いた、海中投棄された南北戦争時の南軍司令官であるロバート・E・リー将軍の騎馬像の絵。キャリー氏のツイッターより。

英アーティストのバンクシーは新作で、「Black Lives Matter(「黒人の命は大切だ」運動)は、実は白人問題だ」と表明したが、白人の有色人種に対する敵意と暴力の一貫性にこそ、目を向けるべきだとの反省だと解釈することもできる。

教育・文化・研究に財政支援を行う米メロン財団の所長で、自身が黒人のエリザベス・アレグザンダー氏は6月19日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙で、「公開むち打ち、リンチ、警察の暴行などを通して白人は、反逆すればどうなるかを黒人に教えてきた。だが、1955年に白人女性に口笛を吹いたことでリンチにより殺された黒人少年のエメット・ティル君、1991年にスピード違反で白人警官に集団暴行されたロドニー・キング氏、そして偽造の20ドル札を使った疑いで白人警官に圧殺されたジョージ・フロイド氏など、『暴行された身体』を公開することで、黒人は世界に『事実を知ってほしい』と訴え続けている」と指摘した。

その事実とは、白人至上主義の狂気の歴史であり、見せかけ上は保障されている平等や権利の保護ではなく、その下にうごめくものだ。南北戦争が終わった1865年から公民権運動が高まる1950年までの間に、女子供を含む黒人6500人が、白人の私刑(リンチ)で惨殺されている。その後も、黒人の元海兵隊員アーサー・マクダフィー氏が1979年にフロリダ州で信号無視をしたとして複数の警官から暴行を受け死亡した事例、丸腰のエリック・ガーナー氏が2014年にニューヨーク州で、白人警官に脱税たばこの販売を疑われ、その事実がなかったにもかかわらず締め上げられ死亡した事件、同年に丸腰の黒人青年マイケル・ブラウン君が、彼に「恐怖を覚えた」白人警察官に射殺された出来事など、枚挙に暇がない。

▲写真 マイケル・ブラウン射殺の現場 出典:Wikimedia Commons; Eapen Thampy

黒人女性の歴史家であるセリリアン・グリーン氏は、「こうした(暴行)事件は全て、黒い肌への恐れという感情でつながっている」「米国では、長いこと黒人殺しの権限が白人に委ねられていた」「この国には、憎悪が骨の髄まで染み込んでおり、それが黒人殺しを助長している」と解説する。この恐れに駆られた暴力こそが、「白人性」の根幹的な要素になっているというのだ。

 

米憲法が暴力や迫害を奨励する逆説

一方、黒人女性の映画監督エイヴァ・デュヴァネイ氏によるネットフリックスのドキュメンタリー『13th―憲法修正第13条―』では、奴隷制度そのものが解体されたにもかかわらず、人種差別のシステムが姿を変え、多くの黒人を収監する現在の獄産複合体(刑務所産業複合体)へとつながっていくことがエビデンスを通して示されている。

▲写真 エイヴァ・デュヴァネイ氏 出典:Flickr; Peabody Awards

高らかに「隷属からの自由」を謳い、黒人を奴隷制から解放したはずの憲法修正第13条には、「ただし犯罪者はその限りにあらず」という例外規定が設けられており、黒人の抑圧継続を正当化する根拠、さらにはそうした構造を支える警察暴力の根源になっているとの見立てだ。

また、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である「法の支配」は、民主党支持者が多い地域であれ、共和党支持者の多い地域であれ、実質上「法と秩序」として運用されていることに注意する必要がある。「『法と秩序』は20世紀初頭に南部で『黒人の人々を秩序に従わせる』という意味で使われ始めた、『黒人を規制する』という意味を含んだ隠語だ」とプリンストン大学で米政治史を教えるオマール・ワーソウ助教授が指摘するように、憲法から自治体条例に至るまで米国の法の根幹は、黒人の隷属の恒久化を念頭に置いている。

このシステムは、黒人が幼少の時から大きな口を開けて、彼らが落ちてくるのを待っている。学校は、恵まれない家庭環境のもと不良になった黒人少年を更生させるのではなく、即通報して少年院や監獄に送る。立ち直りの機会が用意されない彼らは、大人の犯罪者になってゆく。学校と監獄は太いパイプラインでつながっており、警察の暴力や殺害など、弾圧と抑圧の長い腕はどこまでも伸びて黒人を捕まえる。

建国以前から白人の黒人に対する暴力と迫害には一貫性があり、米国史のどの断面を切り取っても、脈々と受け継がれている。今日においては、以前は民間人が行っていた黒い身体に対するリンチや暴行を、警察や矯正施設など公権力が合憲的に引き継いで行っているわけだ。事実、米連邦最高裁判所は憲法レベルで、丸腰黒人を殺害した白人警官の無罪と免責を宣する判例を設けることで、黒人に対する暴力と迫害を事実上、奨励している。

平等と自由を保障するはずの米憲法がなぜ、と驚き怪しむにはあたらない。建国時の米憲法では奴隷制が合憲であり、第1条第2節第3項(通称5分の3条項)において黒人奴隷を、1人の人間以下である5分の3人と数えるとされた。この規定は廃止されたものの、運用上においては「黒人は人間として扱わない」建国の精神が生きているからだ。そこには、制度の設計者と現在の運用者の強固な政治的意志が込められている。

白人の加害の歴史に基づく黒人(そして先住民、ヒスパニック、アジア人)に対する恐れと、「悪いのはわれわれではなく、奴らだ」という心理的な倒錯の投影による暴力や迫害は、米国の国是であり、また護持されるべき国体である。それをなくせば白人による米国支配という、最重要の仕組みが崩壊してしまうからだ。だからこそ、名目上は暴力や迫害や差別を禁止する一方で、運用上でそれを合憲的に維持するのだ。

このように明文で憲法や法に規定せずとも、国の制度設計や運用に無色透明な形で黒人に対する暴力と迫害が埋め込まれているため、人種差別主義者の銅像や肖像画を撤去したり、隷属的な黒人のイメージを商品から撤去しても、黒人の抑圧体験は変わらない。そのようなパフォーマンスに、ほとんど意味がない所以である。

人種差別の象徴を消して、差別の否定や平等の追求することは、こうした「白人性」の真実を見えなくすることにつながり、結局は白人優位を強化する皮肉な状況を生み出す。だから、彼らの敵意や暴力はなくならず、黒人の命はいつまで経っても大事にされない。

立法や司法に救済の期待をかけても、「恐れを感じれば、相手を殺害してもよい」というドクトリンを盾にされ、裏切られるだけだ。

黒人が人間として扱われるには、白人の歴史的な狂気の理由である「恐れ」にこそ、検証が入らなければならないのである。

トップ写真:Black Lives Matter 出典:Flickr; Tom Hilton


この記事を書いた人
岩田太郎在米ジャーナリスト

京都市出身の在米ジャーナリスト。米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の訓練を受ける。現在、米国の経済・司法・政治・社会を広く深く分析した記事を『週刊エコノミスト』誌などの紙媒体に発表する一方、ウェブメディアにも進出中。研究者としての別の顔も持ち、ハワイの米イースト・ウェスト・センターで連邦奨学生として太平洋諸島研究学を学んだ後、オレゴン大学歴史学部博士課程修了。先住ハワイ人と日本人移民・二世の関係など、「何がネイティブなのか」を法律やメディアの切り口を使い、一次史料で読み解くプロジェクトに取り組んでいる。金融などあらゆる分野の翻訳も手掛ける。昭和38年生まれ。

岩田太郎

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."