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.政治  投稿日:2020/9/10

「憲法改正ならず」は当然の結果 安倍首相の「心残り」(下)「ポスト安倍 どこへ行く日本」


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・安倍政権、2020年の新憲法を施行を断念。

・安倍首相の「自衛隊加憲論」とは、自衛隊は「憲法上の国家機関」。

・安倍政権下では「改憲論議のための改憲論議」しか行われなかった。

 

安倍政権が目指した憲法改正について、と言うよりは憲法改正論議そのものについて、いずれ新しいシリーズを立ち上げて書かせていただきこうと思っていたのだが、今次、首相の退陣という事態に至ったので、前者の話題に絞って書かせていただくことにした。

今年5月3日の憲法記念日、安倍首相は恒例となっている、改憲派の集会に寄せたビデオメッセージで、ひっそりと白旗を掲げた。

2020年に新憲法を施行する、という目標の達成を断念したのである。

無理もない。そもそも憲法を改正するためには、

① 新憲法の原案を衆参両院の3分の2以上の賛成で発議し、

② 60日以降180日以内に国民投票を実施する

という手続きが定められており、国民投票で賛成多数を得た場合に限って、ようやく改姓が実現する。おおむね1年から1年半の時間は最低限必要だというのが常識となっており、5月3日の段階で原案さえ取りまとめたられていないのでは、年内の新憲法施行など、現実問題として不可能なのだ。

ちなみに、このように改正のハードルが高い憲法を「硬性憲法」と呼ぶ。

まして今、新型コロナ禍で社会が混乱の極みにある。前にも述べたことだが、国民の関心事は憲法改正論議ではなく、いつコロナ禍が収束するのか、である。

ただ、安倍首相が改憲を「心残り」とせざるを得なくなった原因を、新型コロナ禍に求めることはできないと私は考える。

そもそも2006年に最初に首相の座についた際、堂々と改憲を掲げて右派や改憲派の人々から喝采を浴び、今回と同じく持病による退陣、そして政権交代を経て2012年に首相の座に返り咲いてからも、改憲を目指す姿勢だけは変わっていなかった

問題はその具体的内容だが、まず2006年に首相となった当初は「美しい国」を作るのだと称し、憲法全体を抜本的に書き換えると言っていたことを、ご記憶の向きも多いのではないか。

その後、前述のように自民党は野党になるのだが、その野党・自民党の総裁であった時には「天皇を元首とする」憲法改正案を取りまとめたのである。上皇=先帝が即位の際、

「皆さんとともに、日本国憲法を守り……」

と述べたことを、なんと思っていたのだろうか。

ところが、2012年にふたたび政権を奪取し、大きな政治的責任を負うようになるや、どんどん論議が迷走するようになる。

2017年10月の総選挙で与党が大勝し、衆議院の3分の2の議席を占め、この年の12月20日には、自民党の憲法改正推進本部が、

(1)自衛隊について、(2)緊急事態について、(3)合区解消、地方公共団体について、(4)教育充実について

という「改憲4項目」を取りまとめた。このうち(3)は参議院選挙における、いわゆる1票の格差の問題に対応したものであり、(4)は参議院で自民党は3分の2を占めていないことから、公明党や日本維新の会の協力を取り付けるべく、急遽持ち出されたたに過ぎないと言われているので、ここで論議を深めることはしない。

問題は(1)で、これこそ長きにわたって憲法改正論議の焦点となってきた、第9条と自衛隊の関係についてである。(2)については、もう少し後で述べる。

▲写真 自衛隊記念日観閲式 出典:パブリックドメイン

これまでの自民党の論調は、たとえば2012年4月に発表された会見草案では、

「前項の目的(9条1項が定める戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

とする2項を削除して、

「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」

ことになっていた。明らかに「軍隊を持つ」という内容だったのである。ところが安倍首相が2018年の憲法記念日になにを言い出したか、驚くなかれ、いや、すでに広く知られているが、

「9条の1項、2項は残したまま、自衛隊を明文で書き込む」

という「自衛隊加憲論」だった。

この際だから、品格にかける言葉遣い、との謗りも覚悟して述べるが、寝言は寝て言え、というのは、こういうときに使う言葉ではないだろうか。

そもそも、自衛隊を憲法に明記したならば、自衛隊は「憲法上の国家機関」となる。

こう聞かされてもピンとこない、という方もおられようが、要は内閣、国会、最高裁判所と同列の法的地位に変わるのだ。

それがどうした、などと言ってはいけない。法律に基づいて設置されたに過ぎない防衛省が「憲法上の国家機関である自衛隊」をコントロールできるという法的根拠は、一体どこに求められるのか。この点を意識してのことなのか、自民党内には、

「シビリアンコントロール(文民統制)も明記すべき」

との意見もあるようだが、これまたそんな条文を作るということは、自衛隊が「ミリタリー」であることを認める内容となり、単なる「加憲」では済まない話となる。

この案について安倍首相自身は、

<自衛隊が違憲かも知れない>などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます」

としているが、これについては自民党の内部からも異論が噴出した。具体的には石破茂・元幹事長など、安保・防衛問題に詳しい政治家ほど、自衛隊はれっきとした戦力なのであり、9条2項を残したまま憲法に明記するなどとは、大いなる論理矛盾だ、と指摘した。

さらに度し難いのは、新型コロナ禍に直面するや、今度は、前出の(2)の議論を突如蒸し返して(現行法で対処可能なのに)、私権を制限できる緊急事態条項を憲法に書き加えたい、と言い出したことで、これはさすがに、ごく一部のメディアの支持しか得られなかった。

お分かりだろうか。

憲政史上最長の政権でありながら、ついに憲法改正を成し遂げることができず「心残り」となったのは。自業自得なのである。

当人が、憲法学や法理論について、基礎的な勉強すら足りておらず、だからこそ、現行憲法のどこにどのような問題があり、改正することで国民にどのようなよいことがあるのか、きちんと説明することができず、ただただ「改憲論議のための改憲論議」を繰り返した。そこから読み取れるのは、

「憲法を変えた首相として歴史に名を残したい」

という野心だけではなかったか。

シリーズの冒頭で述べたように、次なる政権は、当面新型コロナ禍への対応に追われ、憲法改正論議はひとまず後退せざるを得ないだとう。

私は前々から、日本国憲法は一字一句変えてはならない、という立場ではないと公言してきた。しかし、安倍政権による憲法改正が成らなかったことは、ひとまずよかった、と心底思っている。

トップ写真:安倍内閣 出典:首相官邸Facebook


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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