無料会員募集中
.政治  投稿日:2020/9/8

拉致問題解決は国際協調で安倍首相の「心残り」(上)「ポスト安倍 何処へ行く日本」


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・ポスト安倍政権下では安倍政権未解決の課題は解決されないだろう。

・「北朝鮮拉致事件」は韓国経済発展に軍事的優位を失ったため。

・「一丁目一番地」の拉致問題解決に取り組んだ安倍首相は評価すべき。

 

安倍首相は辞任会見で、拉致問題、日ロ平和条約、憲法改正の三点が「心残り」であると語った。

読者の多くも同意見ではないかと思われるが、両院議員総会で選出される「ポスト安倍」など、コロナ対策の後始末をさせられるだけの、いわば火消し役のリリーフではなく敗戦処理のような役割に終わるに違いない。ただし、野党の今の体たらくでは、そう簡単には政権交代とはならないだろう。

とどのつまり、ポスト安倍政権下で前述の「心残り」が解決される可能性は、残念ながらきわめて低い。ただ、どうして私がそう考えるのかを含めて、問題の本質がどこにあり、7年半という長期政権にもかかわらず未解決に終わってしまった理由を考察することは、決して無駄ではないと思う。

3回シリーズで、上中下の「1本1テーマ」で書かせていただくが、基本的には私見であることを最初にお断りしておく。

1970年代から80年代にかけて、日本海沿岸を中心に各地で不可解な失踪事件が相次いだが、わが国では家出人捜索願の提出件数だけで年間8万人を超えているという事情もあって、そもそも「北朝鮮による拉致事件」を疑う人など、ほとんどいなかった。

「ほとんど」と言うのは、警察関係に詳しいジャーナリストから私が直接聞かされたところによると、公安当局は、主として暗号通信を傍受・解読することによって、遅くとも1970年代後半までには、北朝鮮が秘密工作員を使って日本人を拉致している事実を把握していた。ところが1978年3月、開港を間近に控えていた成田空港の管制塔が、左翼ゲリラによって占拠・破壊される事件が起き(この結果、開港は2カ月以上延期)、国内の過激派対策に全力を注がねばならなくなったため、拉致事件の捜査はひとまず後退してしまったということであったらしい。

▲写真 事件現場となった新東京国際空港管制塔 出典:Wikipedia; あばさー

もうひとつ、政府が未認定の拉致事件も数多く起きているのだが、公安当局が特に注目しているのは、1980年代前半に、首都圏で相次いだ失踪事件であるという。

この件では、失踪者の職業がベテランの印刷工、紙の専門家、インクの研究者などであり、1990年代に入ってから、北朝鮮で作られたと見られる精巧な偽札が出回り始めた事実がある。製紙や印刷の技術では、もともと北朝鮮は立ち遅れていたため、必要な人材を日本から拉致したのではないか、との疑惑が払拭できないというわけだ。

いずれにせよ、どうして北朝鮮は日本人を拉致するという挙に出たのか。

1950年に勃発した朝鮮戦争が、公式には終結しておらず、現在も「休戦中」であることはよく知られているが、その後、つまり1953年の休戦合意以降も、小規模な国境紛争や、相互に特殊部隊を相手領域に侵入させる、という事態は頻発した。

しかし1960年代以降、韓国経済が急成長し、インフラから兵器調達まで差をつけられた北朝鮮は、もともと人口では韓国の3分の1程度だという事情もあって、軍事的優位を保てなくなった。そこで共産主義シンパや工作員・スパイによる諜報活動を強化する方針にシフトしたが、韓国当局の厳しい取り締まりによって、それも次第に封じられ、潜入スパイは動きが取れなくなっていったのである。

「スパイのいない戦争は、目隠しをして戦うようなもの」

だと昔から言われるが、北朝鮮の上層部がこの事態に焦りを感じたことは想像に難くない。その結果、日本のパスポート(ビザなしでの入国を認める国が、もっとも多い)を入手したり、日本人に成りすましての工作活動を行うようになったらしい。

1987年11月、日本のパスポートを持った男女2名の工作員によって、大韓航空機が爆破される事件が起き、男性工作員は毒薬で自決したが、自決に失敗して捕らえられた女性工作員の自供により、拉致された日本人が、工作員の「現地化教育」を強要されていることが明るみに出た。それでも、政府・外務省、それにマスコミの動きはまだ鈍かった。

ここで正直に告白しなければならないが、当時ロンドンで現地発行される日本語新聞で働いていた私も、この情報に接した時には、半信半疑であった。

「北朝鮮がそんなことをするはずがない」

などとは、述べたことも考えたこともないが、もっと単純に、

(そんなことをして、一体どんなメリットがあるというのか?)

と疑問に思ったのである。工作員に日本語や日本の生活事情を教えるというなら、在日の協力がいくらでも得られるわけで……

だからこんなことを言うわけではないが、拉致問題解決こそ公約の「一丁目一番地」とまで言い切った安倍首相が、それを実現できぬまま辞任したことを、声高に批判する気にはなれない。この件に関しては、よく頑張ったと評価してよいとさえ思っている。

政治家が結果責任を問われるのは当然ではあるけれども、相手があることで、それも国際社会で孤立しようが意に介さない相手では、誰が首相の地位にあろうが、とれる手段はおのずから限られてしまう。

2002年に、当時の小泉首相らが訪朝した際、時の最高権力者であった金正日は、初めて拉致の事実を認め、口頭で謝罪した。その後、一部の被害者は帰国している。

▲写真 小泉純一郎元首相 出典:首相官邸

これは当時、北朝鮮としては経済危機を脱するために、日本との関係を改善して援助を引き出すことが急務であり、重大な外交的失点も「背に腹は代えられない」という論理で甘受したものと考えられる。

しかしその後、中国やロシアが米国に対抗する勢力として再び台頭してきたことから、北朝鮮は「漁夫の利」を得ることとなった。現在の金正恩政権にとっては、中国とロシアの後ろ盾があり、韓国も北の体制に寛容な政権となった。あとは米国トランプ政権をなんとかなだめすかしておきさえすれば、米国には絶対に逆らえない日本など、外交上の優先順位は、それほど高くないーーまあ、こんな判断をしているのではないか。

ただ、あらためて確認しておかねばならないことは、たとえば1977年に拉致された横田めぐみさんなど、北の工作員が国境を突破して上陸し、日本国民を暴力的に連れ去ったという案件である。これは国際法上、れっきとした侵略行為なのだ。

さらに言えば、拉致被害者の国籍は、日本のみならず韓国をはじめ、中国、米国、ラオス、タイ、レバノン等々、10か国以上にのぼると言われている。もはや北朝鮮の行為は、国際社会の秩序そのものに対する挑戦だと断じて差し支えない。

言い換えれば、日朝間の問題としてのみとらえるのではなく、国際社会に向けて、

「拉致問題を解決しない限り、北朝鮮を国際社会の一員と認めるべきではない」

と訴えてゆくのが、時間はかかるかもしれないが最善の道であろう。

誰が後継者になろうとも、また、ひとまずは新型コロナ禍への対応で手一杯であろうとも、この問題は政策の「一丁目一番地」でありつづけなければならない。

(中に続く。全3回)

トップ写真:拉致被害者御家族等との面会 出典:首相官邸


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."