仏教師斬首、発端は生徒の嘘
Ulala(ライター・ブロガー)
【まとめ】
・中学教師首切断殺害事件で女子中学生が「嘘」。衝撃広がる。
・宗教は仏社会分断の一要因。問題視される「イスラム分離主義」。
・仏社会の「接着剤」ライシテへの考え方に世代間ギャップ浮き彫り。
2020年10月にフランスで起こった中学教師サミュエル・パティ氏の首切断殺害事件(詳細は『仏、18歳が中学教師の首切断』)の発端となった女子中学生(13歳)が、「教師の授業を受けていたのは嘘だ」と自白していたことがわかり、改めて衝撃を与えている。
サミュエル・パティ事件は、「表現の自由」を教える授業でムハンマドの風刺画を見せたとし、一人の生徒が親に訴えたことから大きく発展した事件だ。しかし、その生徒は実際はその授業には出席していなかったのだ。実は、出席していなかったことは最初の時点で他の生徒の証言で知られていた。だが、本人は授業に出席していたと警察には言っており、事件が起きてから約1か月も経った11月20日にようやく嘘をついていたと告白したのである。
生徒がこのように親に嘘をついた理由は、メディアによれば、生徒が問題行動を起こしたため2日間の停学を受けることになったためだ。しかし双子の姉妹が停学も受けない模範的な生徒であったため、自分が停学を受けたことを隠したかったという。
女子生徒の弁護士側からは、多少違うニュアンスの説明がされた。クラスの友達がその生徒に言ってくれるよう頼んだというのだ。生徒は伝えて欲しいと言われスポークスマンの役割を使命感で行ったという。ようするに授業には出席していないが、その時の状況を女子生徒に伝える他の生徒がいたのは間違いないようだ。ムハンマドの風刺画を見せられる授業を受けることにより友達が感じた「不快感」を知らせたかったという。
いずれにせよ授業でムハンマドの風刺画を授業中に見せられたと告発した結果、父親が教師に抗議する動画をSNSに流し、その動画を見た遠く離れた土地にすむ若者がわざわざやってきて教師を惨殺し、フランス全体を震撼させ大きく名を残す事件となったのだ。そして教師を殺害する意図はなかった6人の中学生を含む14人が起訴された。
弁護士によれば、生徒は現在自分のしたことの重大さを深く受けとめているという。事件後は通信教育による勉強を強いられたが、現在は転校し他の学校に通い始めた。しかし、そこにたどり着くまでの心理的障壁はかなり大きかったそうだ。そんな生徒本人は教師の死を望んだことは一度もない。たった13歳の子供がしたことなのだ。見捨てないで欲しいと弁護士は語った。
■ フランス政府の方針
フランスではこのようなイスラム関連の事件が絶え間なく起こっている。こういった宗教に関する問題はフランスを分断する一つの要因となっており、政府も長年解決策をはかってきた。その大きな軸がライシテである。
ライシテとは、政教分離の原則であり、(国家の)宗教的中立性・無宗教性および(個人の)信教の自由を保障した基本原則の一つだ。フランス独自の歴史文化的、社会的背景が生み出したヨーロッパにおけるひとつの特殊性であるとも言える。
しかし、時代によってとらえ方が変わってきている点は注意が必要だ。最初はカトリック支配からの決別が大きな理由だったが、次の段階では全ての宗教に対する寛容にかわっていく。しかし、現在は、イスラム教徒への制限が大きくとりあげられている。
1989年にイスラム教の女子生徒がスカーフを身に着けてくることが問題になった時も、当時のリオネル・ジョスパン教育相も最初は「ライシテに基づいた寛容」を持って対応すると言っており、それでおさまっていた。が、最終的に1994年9月に「目立たない宗教のしるし」のみ許されることに変わっていったのだ。
▲写真 マクロン仏大統領 出典:Chesnot/Getty Images
2020年10月に行われたマクロン大統領のスピーチでは、問題はライシテではないとしている。ライシテはどの宗教を信じるか信じないかは自由であり、公共空間での宗教を禁止するものではないと述べ、ライシテを分断したフランスを結びつける「接着剤」と位置づけている。
よって、ライシテを正確に尊重しなければならず、全てのイスラム教徒を非難するために使用する罠に引き込まれてはならないとし、問題にしているのは、フランス共和国法を無視しイスラム法に従うイデオロギーである「イスラム分離主義」と述べた。
その上で、学校でのライシテと平等の原則に反することを禁止し、公務員の中立の義務を公共の場で働く派遣会社の従業員にも広げようとしている。
しかし、これらは、多くの現代の若者からは受け入れがたいことのようだ。
■ 世代で考え方の差があるフランスの現在
現在のフランスの高校生と、すでに学校を卒業した一般の大人は、ライシテに対してどのように考えているかのアンケートが行われた。
<参考>Sondage exclusif. Les lycéens d’aujourd’hui sont-ils « Paty » ?
この結果からは、現在のフランスの若者は、昔に比べてライシテによって宗教と生活を分離することに興味がないという傾向が強くなっており、すでに社会に出ている世代とは見解の違いが確認できる。
まず、学校であからさまな宗教に関連する物を身に着けることに賛成なのは、一般市民では25%しかいないのに対し、高校生はなんと52%存在している。過半数を占めているのだ。
また、公務員が宗教的信念を示していることに対して気にしない人は、一般市民では25%に対し、高校生は50%とこれまた過半数を占めている。
現在の若者は、どちらかと言えば、全ての宗教に対して寛容にとした1905年に作られたライシテの定義に忠実だと言える。若者の多くは、スカーフを学校で着用することを禁止した2004年のような法律や、公共の場でブルカを禁止した2010年のような法律は、イスラム教徒に対して差別的だと考えている。
▲写真 ブルカ着用の自由を訴える女性 出典:Christopher Furlong/Getty Images
昔は低所得住宅がある地域とは住む地域も分けられており学校も違った移民出身の子供たちも、今は同じ学校に通い、昔は学校にも入れなかった障がい者も、今は同じクラス内で学び、男女も平等に教育される。
そんな多様で平等を目指した環境の中で育ったフランスの現在の若者は、差別することはよくないことであり、人種、宗教、男女関係なく仲良くしなくてはいけないと学んできているのだ。また、世界でどちらかというと共通概念として認識されているアングロサクソン的な考え方も、現在はインターネットの普及により一般化している。
そのような教育を受け、そのような環境の中で育ってきたフランスの若者たちの多くは、どうして自由に好きなものを身に着けてはいけないのかがわからないのだ。どうして自分が大切だと思うことをやってはいけないのかがわからないのだ。どうして一定の宗教にそんな差別的な行為をするのかがわからないのだ。そして宗教を差別することは悪いことだと思っているからこそ、サミュエル・パティ事件の時のような生徒たちが現れてくるのかもしれない。
現在フランスの中には、明らかにライシテに対する世代による考え方の違いもでてきている。これほど世代でライシテに対する考えが違う中、果たして分断をつなげる「接着剤」として効果的に機能するであろうか?
国内で起きている分断は、少なくともシラク大統領時代からの長い期間をかけて修復しようと取り組んできていることでもあるが、まったくもって解決の糸口をつかめていないともいえるだろう。そして、今後もまだまだ課題として残り続けていくことも間違いなさそうだ。
<参考>
Assassinat de Samuel Paty : l’adolescente à l’origine de la polémique a avoué avoir menti :
『サミュエル・パティ殺害事件:論争の発端となったティーンエイジャーが嘘をついたことを告白』
Assassinat de Samuel Paty : “J’ai menti”, avoue l’adolescente à l’origine de la polémique :
『サミュエル・パティ殺害事件:「嘘をついた」論争の発端となったティーンエイジャーを認める』
Assassinat de Samuel Paty: l’adolescente qui a avoué avoir menti “n’a jamais souhaité sa mort” :
『サミュエル・パティ殺害事件:嘘をついたことを告白した10代の少女は“彼の死を望んでいなかった”という』
『分離主義との戦いをテーマにした共和国大統領の演説』
トップ写真:殺害されたサミュエル・パティ氏追悼集会(2020年10月8日仏・リール) 出典:Sylvain Lefevre/Getty Images
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この記事を書いた人
Ulalaライター・ブロガー
日本では大手メーカーでエンジニアとして勤務後、フランスに渡り、パリでWEB関係でプログラマー、システム管理者として勤務。現在は二人の子育ての傍ら、ブログの運営、著述家として活動中。ほとんど日本人がいない町で、フランス人社会にどっぷり入って生活している体験をふまえたフランスの生活、子育て、教育に関することを中心に書いてます。