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.社会  投稿日:2021/5/9

「日本改鋳 2」「憲法改正が近づいた」続:身捨つるほどの祖国はありや 5


牛島信(弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・米中対立で、改憲へ旗振り始めた政権。同時に対中関係への賢明さを求める。

・米国からの実質的な独立=対等に近い関係への築き直しが必要。

・対米で独自色発揮できるリーダーが不在。我々の自画像でもある。

 

2月に、「実のところ、日本は今日までに既に30年間を失っている。その先も、もっともっと失い続けるかもしれない。なんとも分からない。米中の対立を思えば、そうした世界での日本の未来像への不安は尽きない。」と書いた。

その後、いくつかのことが明確になってきた。

第一は、驚いたことに、憲法改正が直ぐにも実現しそうになったことである。

あれこれいうまでもなく、私には4月17日(日本時間)の日米首脳会談が原因としか思えない。現に読売新聞(2021年5月5日)には、「首相はこれまで(中略)改憲については踏み込んだ発言が少なく(中略)改憲に消極的とみられていた。」とある。私は、首脳会談で菅首相がバイデン大統領に対し、憲法を改正してアメリカに協力すると約束しなければならない状態に陥り、直ちにその場で、速やかに実行すると約束したのだろうと推測しているのである。もちろん事前の事務方でのやりとりはあったのかもしれない。わからない。しかし、いずれにしても首脳会談での約束となれば重みが違う。それゆえの、一般の目には唐突に見える憲法改正への急な腰の入れ方なのであろう。

緊急事態等を対象にしているという言い方は、9条改正への抵抗への緩和策なのだろうと理解している。

産経新聞は以下のように報じている。(令和3年5月3日)

「次期衆院選の党公約の柱に憲法改正が盛り込まれると期待していいか」と編集次長兼政治部長の方が質問する。これに対して菅首相は、「期待というより、当然だと思います」と答えている。日本の総理大臣がこのような表現、すなわち期待ではなく当然だという表現で憲法改正を語ったことは、そうしなくてはならない理由がよほどあってのこととしか思えない。繰り返しになるが、もちろん、上記の首脳会談である。

▲写真 首脳会談を終え、共同記者会見に臨む菅首相とバイデン大統領(2021年4月16日 ホワイトハウス) 出典:内閣広報室/外務省ホームページ

米中対決の今、日本はアメリカ側に立つという、長い間の自明の理を明確にしたということに過ぎない。しかし、これまでは、自明ではあっても、明確にはしないで来た、来れたのが、どうやら今回はそうは行かなくなったのであろう。

今は昔、吉田茂が朝鮮戦争に際してアメリカの再軍備の要求を、憲法を理由にして抵抗したという話を思い出す。時代は変わったのである。アメリカが日本の軍事力を必要とする度合いが大きくなったのである。

しかし、この激変は中国に進出している企業、中国との取引が大きな割合を占める企業にとっては、藪から棒のなんとも大きな衝撃である。

いや、企業にとってだけではない。中国には14万人の日本人が3か月以上の滞在資格で在留しているという。そうした人々にとってみれば、ことは経済だけではない。幼い子ども連れの家族の人々もあるであろう。各個人の人生の最重要な局面である。

もし私の子どもが仕事で中国にいるとしたら、孫もいっしょに暮しているとしたら、私はなにを、どう心配しなければならないのか?果たして個人の力の及ぶ範囲内に解決策はあるのだろうか?

したがって私は、憲法改正に向かって勢いよく旗振りを始めた政権に対して、同時に対中関係への賢明な対応を求めずにはいられない。

対応と書いたが、実質は、対中利害を異にする日本とアメリカとの調整である。前提には、アメリカがアメリカのするデカップリングを当然のように日本にも求めてくるという予測がある。日本にはアメリカとは違った対中の立ち位置がある。もちろん、政権も与党もよくわかっていることではある。ただ、ここまでアメリカの要求が強まってくると、果たして日本は独自色を残すことができるのかどうかと案ずるのである。

しかし、憲法改正が間近なことになってしまった以上、国内での世論は大きな揺れを示すことだろう。現に、日本人の間で中国は人気がない国だと言われて久しい。しかし、好きであろうとなかろうと、経済的には日本にとって極めて重要な国である。その日本経済にとって、すなわち日本人にとって重要な部分が剥落していくことにどう備えるのかということを真剣に考えなくてはならない。そこへ追いつめられてしまったようである。

実のところ私は、これまで中国批判をしてきた人々の声は一挙に大きくなり、その他の声は響かなくなる。それで良いのか、ということでもある。

ここで私は、賢明な対応という言葉で、中国とのデカップリングに対する対応以上のものを期待している。アメリカからの実質的な独立である。別れ話であろうはずはない。対等に近い関係への築き直しである。基本的人権、民主主義、法の支配といった価値を普遍的なものと考える国同士の再結合である。

上記の菅首相の憲法改正発言の前、ユニクロの柳井氏がウイグル問題についてたずねられて、政治的な発言は控えるという趣旨の回答をした。それは考え抜かれた回答であったに違いない。しかし、そうしたやり方で、果たしていつまで持つだろうか。心配である。はっきりしているのは、中国との取引を失えば売上の20%を失う日本の企業はユニクロに限られていないどころか、多数存在しているという事実である。それは日本政府にとっては、日本人にとっては重大事であるが、アメリカ政府にとっては重大事ではない。

第二は、上述の理由により、日本経済が失われたままの状態が続きそうなことである。

政高経低。アメリカとの安全保障の繋がりは絶対的である。これまでの日本は、自力で立っている国ではなかった。アメリカの支えなしには存立し得ない国であった。サンフランシスコ条約発効後69年。それは日米安全保障条約発効後69年でもある。年数の一致は、もちろん偶然であろうはずもない。占領体制の継続だった旧安保条約の改定に成功した岸信介首相を、日本人は退陣に追い込んだのである。

▲写真 米国大使館前で日米安保条約改定に反対するデモ隊(1960年6月10日) 出典:Bettmann/Getty images

今となって振り返れば、自力で立つことの叶わない国の国民の、内側に向けての八つ当たりにも似た爆発だったような気がする。どれほど岸信介が悔しく、悲しかったか。自力で立っていないということは、束縛されていると言い替えることもできる。核の時代には、実はその方がよりふさわしい。日本はアメリカと中国の核兵器のはざまに置かれていて、アメリカの核の傘の下にいるのである。

▲写真 岸信介首相は、改定された新安保条約の発効を待って1960年7月15日退陣した。(写真は1957年) 出典:Bettmann/Getty images

「もの心ついてからこの方、何の因果で、私は、日本国民でありながら、日本政府の政策に反対でありつづけたのか。」と、50余年前に加藤周一が書いている。(『羊の歌』加藤周一著作集14巻434頁 平凡社1979年刊)「すでに一九四一年に、私は東条内閣の戦争に賛成できなかった。当時の閣僚のひとりが、二〇年後に再び起こって、新しい軍事同盟を結ぼうとしたときに、その政策にも賛成できなかった。」もちろん、東條内閣の商工相から無任所軍需省次官に転じた岸信介のことである。

「道義感」にもとづいて時の政府の政策に反対の意見をもちつづけてきた、と加藤氏は言う。そして、「いくさを避けるためには、どういう手段を講じても十分すぎるということはない。」と続ける。(同書435頁)

そうはいかないだろう、と今の私は考える。いくさを避けるために努力することのなかには、真に万やむを得ないときにはいくさをすることを決して避けないという覚悟を含むと思うからである。そうでなければ、避けられるいくさも避けられないだろう。その覚悟は、現実の武力に裏打ちされていなければ蜃気楼に過ぎない。覚悟はその場限りの心理的なものではものの役に立たない。何年もかけた準備があって可能なことである。

また私は、なぜアメリカとの戦争を始めたのか、についての真摯な反省がなければ、いくさを避ける議論には中身がないだろうとも思う。負けるに決まっていた戦争。確かに、パール判事も言ったように、ハル・ノートを突きつけられればモナコといえども剣を持って立ち上がるのかもしれない。

しかし、剣を持って立ち上がった結果を我々は知っている。立ち上がらなければ良かったと、今になればわかるのである。愚か者の決断、匹夫の勇であった。何百万の人々の命、それ以上の数の人々が取り返しのつかない障害を負った人生に値するほどのいったい何があってアメリカとの戦争を始めたのだろうか。剣を握って、銃を構えて死んだのはごく一部である。遠い南の島に連れていかれ、餓死し、あるいは病気で亡くなった青年は無数にいた。武器も乏しいままに船に乗せられて、船ごと沈んでしまった若者も数知れない。その戦争の反省を我々は怠ったままだと思う。いったい誰が悪かったのか。誰の責任なのか。

それは当時の国内情勢を知らない者の言うことである、とおもわないわけではない。

だが、逆に、問題はそこにあったと思い、今もそこにあると思う。国際的な交渉ごとは、すべて国内政治の反映である。陸軍と海軍が民主主義による政府を壟断している状況下では、平和に物事を解決することはできなかったのであろう。

今の日本も同じことであると思う。

同じ困難な状況が、米中の間にある国である我々の前にある。日本国民の選挙で選ばれた総理大臣は、アメリカの大統領に言われれば直ちにそのとおりにするしかない。なんとも不条理なことではあっても、現実である。

せめて、日本にとっては中国との関係はアメリカとは違うのだとアメリカに強く迫ることのできるリーダーを持ちたい。しかし、日本は持っていない。リーダー個人の資質の問題ではない。我々の現在の自画像なのである。

ドイツやEUは違うように見える。希望はある。

現在のようなアメリカの核の傘がなくなった状態で、核武装して久しい中国と向き合うことを国民が決意することが決定的に重要である。アメリカの核の傘がなければ、その他の国の核の傘が考えられない以上、自前でなにができるのかということになる。もちろん、自前では足りなければ、アメリカとどう同盟するのかも選択肢になる。それは、目を瞑ったままの状態でアメリカの核の傘を忘れて酔生夢死の暮らしを送ることとは異なる生き方である。

そうした議論を我々はすることがなかった。正面から大事な問題に取り組むのではなく、目の前の「岸信介」的なもの、現実のなかでの最良の選択をした者を、理想の全てを満たしてくれないとして、足蹴にすることでその場限りの溜飲を下げ、すぐにアメリカの核の傘の下に滑り込むやその傘を忘れて経済的な満足を追求する。

我が姿である。

ふがいない?命あっての物種さ、と自省してみれば、ふがいがないことは悪いことではないかもしれない。

その考え自体も、我が姿である。

結局のところ、人はなんのために生きるのか、という問題になる。国のための人生でないとすれば、自分の命を犠牲にして戦うという生き方は簡単には出てこない。しかし、国民の誰ひとりとして戦う覚悟のない国は亡びる。国が滅びれば個人の生活もない。戦う覚悟のない者は、そうした覚悟のある者にすがって、後ろに隠れて生きるのである。だから、古今東西、武人は尊敬を受けたのである。

今、日本人のなかにもその覚悟のある人々は自衛隊にも政治家にも、何人もいるだろう。ただ、今回の事態を独立の好機と捉えてアメリカと友好裡に、巧妙に立ち回ることのできるリーダーがいない。

だから、少しでもリーダーの登場に微力を尽くすしかない。自分のため、家族のため、そして未来の日本人のためである。

トップ写真:第63回新型コロナウイルス感染症対策本部で発言する菅総理(2021年5月7日 首相官邸) 出典:首相官邸ツイッター




この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

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