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.社会  投稿日:2021/3/7

失われた30年と「ルバイヤート」続:身捨つるほどの祖国はありや3


牛島信(弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・森喜朗氏発言問題、「理事会時間が長時間化することへの否定的見解」も重要。

・日本企業は株式持合制度により経営基盤安定が図られ、内部人事により企業体質を築き上げた。

・これからはその基盤を独立した社外取締役に求めなければならない。

 

森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会前会長の発言が問題として伝えられた。ちょうど友人とあれこれと議論していると、そこへメディアからの取材の依頼が入ったと秘書から連絡が入った。頭のなかが整理されていたので、待ってましたというようなもの。それなりに的確に応じることができた。翌日の紙面をご覧になられた方もいらっしゃるかと思う。(日経新聞2月5日朝刊

私は、女性差別という観点だけが問題なのではないと申し上げた。

それだけではなく、理事会で時間が長くかかることへの否定的見解も同様に重要だと強調したのだ。発言時の森氏の念頭には、あるいは女性が入った理事会は議論に時間が無駄に罹ってしまうという実感があったのかもしれない。

それ自体は、否定しようもない。議論すれば時間はどんどん過ぎてゆくに決まっている。

そうした「無駄」への、トップの心配を忖度することができなければ、男性であっても出世の階段を登ってゆくことはできなかった。どんな組織でも同じことである。

また、なかには、嫌がらせのように自分勝手な理屈をこね、それを押し通そうとする人もいる。日本の組織は、そうした人を正面から叩き潰すのではなく巧みに排除してきた。だから、森氏のような、元総理大臣といった枢要なポストを支える官僚の面々には、気の利く、頭の回転が速い方々がそろっている。その上に乗って、森さんはそれなりの業績を上げてきた方である。

だが、日本がそれで済まなくなったから、今、コーポレートガバナンスが流行っているのだ。一時の流行ではない。失われた30年はなぜ失われたのか?ということである。

バブルまで上手く行っていたのに、なぜ、ということである。

すると、今度は経済誌から取材の依頼が入った。できるだけ直接会って話を聞きたい、と言われる。大歓迎である。私の信条は、司法が進化の過程にある日本では、メディアしか社会を正す仕組みはない、というものなのだ。いつも微力を尽くす。

森氏の発言を機会に、日本の問題点を抉り出そうという企画とのことだった。

私は張り切って戦後の日本の歴史、その仕組みをご説明した。昨年末にアメリカのメディアから取材を受けた際に、1997年に出版した初めての小説『株主総会』を読み返し、いささかならず思うところがあったのである。(Japan In-depth 2月7日「日本改鋳」続:身捨つるほどの祖国はありや2 参照

女性と男性の記者方々だった。女性の方が中心で質問された。

私は、率直に、実のところ私自身が若いころから企業側の弁護士として経営トップの方々にアドバイスするチャンスが多かったから、古い日本企業の体質も良く分かる。そうした雰囲気を共有していたに違いない森さんのお気持ちは、それなりによく理解できること前置きとして申し上げた。

以下は、私の説明したことの要旨である。

洗練された上場会社のトップは、もちろん森さんのような発言は決してしない。なぜなら、そうした発言をするはずがない心を持っていらっしゃるからだ。しかし、上場企業といっても、半数に近い数の会社のトップは、言わないが、考えは森さんに似たところがあるだろう。なぜならば、そうであればこそ、今のトップの地位にたどり着いたからである。心の中と外面が違う。

その方をトップに据えたのは、前のトップである。前のトップが、この「男」なら任せる事ができると確信すればこそ、「本人も思いもかけない急な」内定を告げたのである。よくある話ではないか。まさか自分が社長になるなどとは、と驚いた。そこでせめて一晩考えさせてくれるようにお願いした、とか、せめて妻に相談させてくださいと頼み込んだ、という、あれ、である。

その淵源が、敗戦後の日本で財閥解体をした米軍に発していること、具体的には三菱財閥の中心であった三菱合資会社の財閥解体後の会社の一つである陽和不動産の株式が、藤綱久二郎という投機家によって買い占められ、三菱グループが引き取ったという事件に発していること。それが、戦後日本の株の持ち合いの濫觴で、以来、持ち合いは日本企業の安定した経営基盤となり、高度成長を経てバブルにいたるまでの日本の株式会社制度を支えて来たこと。

そのバブルが崩壊して、銀行が持ち合いから外れざるを得ず、米国の非難も重なって、持ち合いという「慣行」は壊れたこと。

だが、バブル崩壊後の30年が「失われた30年」になってしまっているのは、実のところ、日本企業が安定した経営基盤を失ってしまったままであることに根本の原因があること。

これからはその基盤を独立した社外取締役に求めなければならない。それが、求められている社会の支配層、少なくともその一部には、森さんに共感する方々が強固に存在していること。それなりの理由あってのことである。

等々。(東洋経済オンライン3月3日

その話を終え、ネットに記事化される前に、別の経済紙の方からの取材依頼をいただいた。

日本製鉄による東京製綱に対する敵対的TOBをどう思うか、意見を聞きたいというご依頼だった。

これにも私は喜んで応じた。

その昔、2006年、私は弁護士として日本初の本格的敵対的TOBと言われた王子製紙による北越製紙に対するTOBで、北越側の代理を務めたことがある。反対し、成功した。あの時には、有力紙の記者の方に、「あなたは日本企業の復活を20年遅らせた」とお𠮟りをいただいたものである。もちろん、私が北越の勝利を導いたわけではない。北越のトップ、役員、従業員の方々の力である。

私は、日本製鉄と東京製綱の闘いについてまとめてくれた私の所属する事務所のシンク・タンクの報告メモを読みながら、誰も核心を突いていないと感じないではいられなかった。

あれは、日本製鉄と東京製綱の闘いの形をとってはいるが、実質は日本製鉄の一大プロジェクトなのだと言うのが、私の意見だと申し上げた。

未だ紙面に出ていないので、今回はこれ以上は控えたい。近く、日刊紙に掲載される予定である。

こんな生活を送りながら、私は日々の所要をこなし、少しの読書を愉しんでもいた。

たとえば、『ルバイヤート』という詩集である。もう何回読んだことか。今回、『ルバイヤートの謎』(金子民雄 集英社 2016年刊)という本を5年前に買っていたことに気付き、読み、その後、当然のように『ルバイヤート』を読み返したのである。

ご存じの方も多いのではないか。もちろん、小川亮作という方の訳した岩波文庫である。

私は金子さんのおかげで、小川亮作氏が「外交官として昭和初期にペルシア(現イラン)のテヘランに三年間赴任した。」と知った。(『ルバイヤートの謎』69頁)

小川氏は1910年に生まれた方のようだから、昭和初期には20歳ほどでしかない計算になる。なにか語学研修のためででもあったのか。今の私にはわからない。

ただ、私は昔から『ルバイヤート』を好んでいた。それは、「袖の上の埃を払うにも静かにしよう、それとても花の乙女の変え姿よ。」(『ルバイヤート』小川亮作訳 岩波文庫 53頁)と、エッセイに引用したほどである。(弊著『日本よ、いったい何を怖れているのか』181頁)

▲画像 筆者著書「日本よ、いったい何を怖れているのか」 出典:株式会社幻冬舎

袖の埃。確かに、『ルバイヤート』を著した11世紀ペルシアの詩人オマル・ハイヤームの言うとおりに違いない。だが、そういい出せば、左の袖の埃が花の乙女の変え姿だとしても、右の袖にある埃、それは織田信長の変え姿かもしれない。もちろん、そうした歴史上知られた人物ではない可能性のほうがずっと高い。

『ルバイヤート』のなかで、オマル・ハイヤームはこうも歌っている。

「われらの後にも世は永遠に続くよ、ああ!われらは影も形もなく消えるよ、ああ!」

金子さんはペルシア絨毯について、「東洋では仏像、西洋では絨毯だ」と賞賛している。(金子書128頁)なんとも気をそそられる話ではある。

私は並行して他にも何冊もの本を読んでいた。しかし、その紹介は次の機会にさせていただこう。

例えば、「道玄坂を殆ど登り切ったあたりで、左の方の閑静な住宅街へ曲がって行った」を谷崎潤一郎の『細雪から引用してみせた川本三郎氏の『「細雪」とその時代(中央公論社 2020年刊)である。川本氏は「『濹東綺譚』と『細雪』は…表裏一体」(川本258頁)という。

或いは、「ネアンデルタール人は五〇万年ほどヨーロッパを占有していた。その後・・・ホモサピエンスが、約四万三〇〇〇年前に・・・ヨーロッパに移り住んだ。結果は劇的だった。四万年前には、ほぼすべてのネアンデルタール人が姿を消し」た、と書かれている『善と悪のパラドックス ヒトの進化と<自己家畜化>の歴史』(リチャード・ランガム 依田卓巳訳 NTT出版2020年刊 引用は同書236頁)である。

読書は時を忘れさせ、時は読んだ中身を忘れさせる。因果なことではある。

。続く)

トップ画像:東京・丸の内のオフィス街を行き交う人々(イメージ) 出典:Kimikazu Tomizawa / EyeEm/Gettyimages




この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

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