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.国際  投稿日:2021/5/16

次期駐日米大使の「死んだ魚」逸話


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・次期米国駐日米大使に前シカゴ市長ラーム・エマニュエル氏任命確実。

・同氏は、政敵に「死んだ魚」を送りつけ、怒りと憎しみをぶつけた。

・闘争的、攻撃的な型破りの政治家であることを認識しておくべき。

 

アメリカのバイデン政権の次期日本駐在大使に前シカゴ市長のラーム・エマニュエル氏が任命されることが確実となった。日本の主要メディアはいっせいにその見通しを報じ、同氏の経歴や人物に光を当てている。

その一連の報道では外交経験のないエマニュエル氏の起用は「中国を見据えた日米同盟重視」の戦略だというような、根拠薄弱の日本的な推測が多いが、同氏に関してアメリカ側で長年、最も強烈に伝えられてきた出来事には触れていない。その出来事はエマニュエル氏の政治的な特異性を測るためには日本側でも知っておくべき事実だろう。

ワシントンの国政の場ではラーム・エマニュエル氏といえば、まず「死んだ魚」という言葉が長年、語られ、囁かれてきた。同氏が政治活動上での敵に死んだ魚を箱に入れて、送りつけて、怒りと憎しみをぶつけたという出来事である。

アメリカの国政での共和、民主両党の衝突、保守、リベラルの敵対はものすごい、とくに大統領選挙や連邦議会選挙がからむと、同じ政党内でもライバル同士の激突は猛烈となる。政治家同士だけでなく、政治や選挙の活動家、ロビイスト、選挙資金集め専門家たちの間での陰に陽にの闘いは苛酷をきわめる。

そんな争いのなかで敵に対しては権謀術策、中傷誹謗、デマ拡散などありとあらゆる悪意の戦術が使われる。だがそうした世界でも、敵に対して、すでに死んで、腐りかけた大きな魚をふつうに包装した箱に入れて送りつけるという異様な方法は他に例がなかった。そんな出来事が起きてもう30年以上が過ぎた現在でもなお「エマニュエル氏の死んだ魚送りつけ」が話題になるのだ。

この出来事が起きたのは1988年だった。大統領選挙の年でもあった。共和党側ではロナルド・レーガン大統領の二期目が終わり、それまで副大統領だったジョージ・ブッシュ氏(先代)が大統領候補となった。民主党の対抗馬はマサチューセッツ州知事を務めたマイケル・デュカーキス氏だった。

この時期にはエマニュエル氏は民主党の選挙活動家だった。「民主党議会選挙運動委員会」に所属し、連邦議会下院の民主党候補の選挙の資金集めやキャンペーン活動に没頭していた。その過程でニューヨーク州の下院選の1選挙区での民主党候補への支援方法をめぐって、エマニュエル氏は同じ民主党活動家のアラン・セクレスト氏と衝突した。

エマニュエル氏側の主張によると、そのときに、その選挙区で起きたことは以下のようだった。

世論調査を得意な分野とするセクレスト氏がその選挙区での民主党候補について調査した支持率が当初の予想より低かった。その数字を受けたエマニュエル氏はなかばあきらめて、草の根での票集めのためのキャンペーン活動を縮小してしまった。ところが同候補への支持は実際にはその調査よりも高く、もしキャンペーンをもっと広めていれば当選の可能性が高かったことがわかった――

だからエマニュエル氏は仲間のはずだったセクレスト氏の仕事ぶりに激怒して、抗議をぶつけたというのだ。もっともセクレスト氏はその抗議の根拠を認めていない。

とにかく結果としてエマニュエル氏は怒りを爆発させて、セクレスト氏に抗議し、2人はどなりあいをも展開した。だがセクレスト氏も自分の非は認めなかった。その後にエマニュエル氏が怒りの集約という形で、死んだ魚を送り、そのことを自分から積極的にメディアに宣伝したのだった。

包装された長方形の箱のなかには大きなサバがほとんど腐敗した状態で入っていた。その魚とともにカードがあり、「あなたとの仕事はひどいものだった。ラーム」と書かれていた。

私は1988年といえば、長年、勤めた毎日新聞を辞めて、産経新聞の特派員となったばかりだった。まだロンドンの駐在だったが、この年のアメリカ大統領選挙からワシントン駐在を再開するようになった。それまで毎日新聞のワシントン特派員も務めていたのだ。

そしてエマニュエル氏の「死んだ魚事件」をすぐに知った。アメリカの政治の闘争はすざましいものだと感嘆した。だがそんな世界でも憎む相手に死んで腐った魚を送りつけるというのはまず他に例のない異様ないやがらせの攻撃方法だとされることを知った。

このエピソードはそれからちょうど30年後の2018年1月24日にもシカゴの有力新聞のシカゴ・トリビューンが長文の記事で詳しく再報道していた。この記事では当事者のセクレスト氏に直接、インタビューまでしていた。このころシカゴ市長となっていたエマニュエル氏が2019年の選挙で三選を目指す場合、その対抗候補になりそうな人物の陣営にセクレストが加わったことがこの記事が出る契機でもあった。

セクレスト氏はそのインタビューで「死んだ魚」について以下のように語っていた。

 「私のオフィスにある日、長方形の贈答品用のような箱が郵送されてきた。その箱の裏には『創造的な報復会社より』と書かれていた。どんな内容にせよ、『報復』という言葉は不吉なので、スタッフとともにその箱を屋外に出し、近くの駐車場で開けてみた」

「箱の中身は大きな魚で、すぐに死んだサバだとわかった。しかもすでに腐敗が始まっていた。魚が腐ると、どうなるかはわかるだろう。そしてエマニュエル氏のサインしたカードが入っていた。その後すぐに同氏はこの魚の送付を得意げにメディアに触れ回った。私を民主党系の政治組織から排除することが目的だったと思う」

このように長い歳月が過ぎでもなお、なまなましく語り継がれる伝説の政治実話なのである。

この出来事はエマニュエル氏の激しい気性や、すざましい攻撃力を象徴していた。

イスラエルから移住してきたユダヤ系の父を持つエマニュエル氏はいま61歳、シカゴで生まれ、育ち、大学卒業時から政治活動に身を投じた。当初はシカゴ地区の消費者権利主張組織の一員となり、やがて連邦議会の上下両院での民主党候補の人選や支援をフルタイムで実行するようになった。

エマニュエル氏は1989年からはシカゴの民主党の大物市長リチャード・デイリー氏を支援した。そして1993年1月からスタートした民主党のビル・クリントン政権では大統領補佐官となる。さらに2002年には連邦議会の下院議員選挙に出て、当選し、3期、務める。その間、エマニュエル氏は下院で民主党議席を増やすことに寄与して、政治活動能力の声価を高めた。

▲写真 ラーム・エマニュエル氏夫妻とビル・クリントン元大統領 2期目再選のセレモニーにて(2015年5月18日) 出典:Brian Kersey/Getty Images

2008年の大統領選ではエマニュエル氏はヒラリー・クリントン候補を支持して、バラク・オバマ氏と民主党指名を争う戦いを進めた。しかしオバマ氏が勝って、大統領になると、こんどはオバマ大統領の首席補佐官に抜擢されたのだった。そしてその後の2011年には地元のシカゴの市長選挙に名乗りをあげて、みごと当選した。同市長は再選を果たし、2018年いっぱい務めて、三選は求めないこととなった。

エマニュエル氏のこうした政治軌跡をみると、民主党ではきわめて重視され、実績をあげた活動家であり、指導者であることがわかる。バイデン政権でも一目も二目もおかれるわけだ。

しかし政治の世界でのラーム・エマニュエル氏というと「死んだ魚」に象徴されるように非常に闘争的、攻撃的な特徴を一貫してみせてきた。

1992年のクリントン大統領当選直後の選対本部での祝賀集会ではテーブルに並んだ料理の皿をステーキナイフを振りかざして、つぎつぎに刺し、こんごの課題を乱暴な言葉で叫び続けた。また1998年ごろイギリスの当時のトニー・ブレア首相がホワイトハウスを訪れ、スピーチをする直前に、「気をつけて発言しろよ」という脅し文句をぶつけたことも報じられた。

エマニュエル氏がバイデン大統領にも同政権にもきわめて近く、大きな影響力を持つことは事実である。その点が日本への利益ともなるだろう。だが同氏がこれまで歩んできたアメリカの国内政治での血のしたたるような闘争の激しさも事実として認識しておくべきだろう。その点ではまったくの型破りのアメリカ大使が東京に赴任してくるのである。

トップ写真:ラーム・エマニュエル氏(2019年8月1日) 出典:Steven Ferdman/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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