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.経済  投稿日:2021/8/15

シンガポール政府系ファンドトップ交代


中村悦二(フリージャーナリスト)

【まとめ】

・シンガポール政府系投資会社テマセク・ホールディングス、対中投資に強気姿勢。

・CEOホー・チン(何晶)氏が10月1日をもって退任。

・集団指導体制は必至で、早くも次の次のトップが取り沙汰されている。 

 シンガポールの政府系投資会社であるテマセク・ホールディングスが、中国政府のIT大手への規制強化にもかかわらず強気の対中投資姿勢を崩さない一方、ESG(環境・社会・ガバナンス)とスタートアップ企業動向を見据えた投資戦略強化を図っている。

 テマセクは、ソブリン・ウエルス・ファンドと称される政府系投資会社にあって、Sovereign Wealth  Fund Institute調べのランキングで、同じくシンガポールのGICに次ぎ7位で、総資産は4844億4100万ドル(約53兆2885億円、表1参照)。

テマセクが先月発表した2021年3月期運用レビューでは、運用資産額が3810億シンガポールドル(以下Sドル、約30兆8610億円)、運用利回りは、全世界での新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)拡大に直面した前年度のマイナス2.3%から2021年3月期は投資各国の株式相場の復活を反映し、プラス24.5%を達成した。これは2010年以来の高水準という。

 

表2 テマセクの投資地域別の割合推移(%、2021年3月31日現在=テマセク・レビューを基に作成)

この5年間のテマセクの投資地域別の割合(表2参照)は2020年度3月末から中国が自国を上回り、2021年3月末には27%になっている。投資対象にはテンセント、アリババ・グループといった中国のIT大手が名を連ねている。投資先であるアリババ・グループの金融会社アントが規制強化でIPO(新規株式上場)ができない状態であることや同じく投資対象の配車アプリ最大手の滴滴出行(ディディ)に対する個人情報管理での規制強化などは、巨大な力を持ち始めた中国のIT企業に対する中国政府の締め付けと見られている。しかし、テマセクは「規制自体は珍しくない」とし、「中国での投資機会に関しては依然強気」としている。

写真)中国 アリババグループ本社 2020年12月24日(木)
出典)Photo by TPG/Getty Images

 

 投資分野別割合推移(表3参照)では、金融サービス、通信・メディア・技術、輸送・工業関連の分野はほぼ維持か若干低下なのに対し、生命科学・農業‐食品は2017年3月末の4%から2021年3月末には10%へと伸びているのが目立つ。 

表3 テマセクの投資分野別の割合推移(%、2021年3月31日現在=テマセク・レビューを基に作成)

 今年3月末までの1年間でIPOを果たした投資先企業は、米国企業8社(民泊仲介のエアビーアンドビー、子供向けゲームプラットフォームのロブロックス、クラウドデータ・ウエアハウス・ソフトのスノーフレイク、フードデリバリーのドアーダッシュ、損害保険業界向けソフトのダック・クリーク・テクノロジーズ、フリマアプリのポッシュマーク、がんや感染症などに対する細胞療法を開発する臨床段階の医薬品のSQZバイオテクノロジーズ、金融ソリューションのインタップ)、中国企業2社(眼科用薬開発のオキュメンション、がんの細胞療法のJWサラピューテックス)、ブラジル1社(物流のハイドロビアス・ド・ブラジル)。中国企業の香港のIPOとしては、2020東京オリンピックと2022北京冬季オリンピックの放映権を獲得した動画アプリのクアイショウ・テクノロジーズ(快手科技)がある。

 

 新規投資会社の中には、米ファイザーと共にCOVID-19ワクチンを開発したドイツのバイオンテック、セキュリティ・ソフト開発のスニーク(Snyk)、バーチャルイベントプラットフォームのホッピン、それに、半導体のNUVIA、TSMC(台湾積体電路製造)もある。東南アジアではEコマースで、自国のシー、インドネシアのGoToグループ(トコペディアとゴジェクが合併)に投資している。アジアでは、ソフトバンク・グループとの「連携」も目立つ。新年度入りしてからもエドテックなどスタートアップ企業への投資は活発だ。

 テマセクはこれまで農業‐食品(Agri-Food)と呼ぶ分野に「約50億Sドルを投資した」(ムクル・チョーラ通信・メディア・技術、北米担当共同ヘッド)。テマセクがAgri-Foodとか「垂直農業」とかいうこの分野では、昨年8月に、ドイツのバイエルと水耕栽培や人工照明に適した野菜の品種開発・改良に向けた合弁会社「アンフォール」を米カリフォニア州に設立している。スタートアップ企業にも投資しており、人工培養肉製造の米メンフィス・ミーツ、植物材料から製造した粉末を水で溶いて果物・野菜に塗布し長持ちさせ食品ロス削減を図る米アピール(Apeel)、遺伝子編集技術を使って熱帯農作物の収量増を狙う英トロピック・バイオサイエンシズ、代替たんぱく開発・製造企業など分野は多岐にわたっている。

 テマセクは、COVID‐19で食料面での信頼できるサプライチェーンの再構築は必須と見て、現在10%以下のシンガポールの食料自給率を2030年までに30%に引き上げるべく、政府機関との連携も図っているようだ。

 同社の設立は1974年。当初の目的は政府系企業の管理・運営だった。2000年代初めから対外投資を本格化した。現下の問題は、COVID‐19拡大による影響、それとESG面で将来性に乏しい傘下企業の扱い。テマセクは、シンガポール航空(SIA)に関しては、COVID-19への対応方針は十分とし、SIAの新株予約無償割り当てと強制転換社債を引き受け、その額は昨年度に63億Sドル、今年度に58億Sドルにのぼる。

 ESG面で問題となる海洋開発関連などのケッペル・コーポレーション、オイルリグ製造などのセムコープ(Sembcorp)・マリーンなどは再編が課題となっている。

 テマセクは4月、米国の資産運用会社であるブラックロックと脱炭素化促進に向け「デカーボナオゼーション・パートナーズ」を設立、2030年でCO₂排出量ゼロ達成に貢献しうるスタートアップ企業投資ファンド向けに6億ドルを確保、4億ドルを外部投資家から集めるとしている。

 テマセクは2月、2004年以来、CEO(最高経営責任者)を務めてきたホー・チン(何晶)氏が10月1日をもって退任する、と発表した。ホーCEOはリー・シェンロン首相の妻。国防企業のシンガポール・テクノロジー(現STエンジニアリング)を育て上げたことでも知られる。後任は、テマセク・インターナショナルのジルハン・サンドラセガラCEOだが、「集団指導体制は必至」と見られ、早くも「ジルハン氏の次も検討」との声も上がっている。

トップ写真)テマセク・ホールディングスのホー・チンCEO(左)、夫のリー・シェンロンシンガポール首相(右から二番目とオバマ米元大統領夫妻と 2016年8月2日)
出典)Photo by Mark Wilson/Getty Images




この記事を書いた人
中村悦二フリージャーナリスト

1971年3月東京外国語大学ヒンディー語科卒。同年4月日刊工業新聞社入社。編集局国際部、政経部などを経て、ロサンゼルス支局長、シンガポール支局長。経済企画庁(現内閣府)、外務省を担当。国連・世界食糧計画(WFP)日本事務所広報アドバイザー、月刊誌「原子力eye」編集長、同「工業材料」編集長などを歴任。共著に『マイクロソフトの真実』、『マルチメディアが教育を変える-米国情報産業の狙うもの』(いずれも日刊工業新聞社刊)


 

中村悦二

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