いまだ行われる生活保護費の水際対策
田中紀子(ギャンブル依存症問題を考える会代表)
【まとめ】
・ギャンブル依存症と精神遅滞の重複障害を抱えたKさん、短期入所施設にいたが、依存症回復施設への入寮か自活か、決断迫られ困惑。
・今はなんとかクリニック併設のギャンブル依存症回復施設に落ち着いた。
・国が困窮者に生活保護利用を呼び掛けているのに、役所が水際で申請却下や保護費打ち切りをすることがあるのは問題では。
●突然生活保護を打ち切る役所の担当者
メンタリストDaiGoの生活保護批判が大炎上したが、そもそも生活保護は国民の権利であり、必要な人には誰にでも行き渡ることになっている。また行政の担当者は生活保護という金銭支援だけでなく、申請に訪れる人が他に必要としている支援があれば、地域で連携してご本人を支える仕組みを作るべきだと思っている。
厚労省も昨今ではTwitterなどを駆使して、生活保護を必要とする人の申請をためらわないで欲しいと呼びかけているが、いまだ役所の窓口担当者は水際で申請を却下したり、保護費を打ち切りにするということを行っている。
私が、つい最近経験した事例をご本人とご家族の了承を得たのでご紹介したいと思う。生活保護のあり方や行政の対応について、考えて頂けるきっかけになれば幸いである。
Kさんは、ギャンブル依存症であり精神遅滞の重複障害を抱えていた。生活保護を受給し、掃除などはヘルパーさんの補助を得ながら一人暮らしをし、依存症の専門病院に通院していた。しかしグループミーティングなどの治療になじめず、ギャンブルが止まらない状態にあり、結局窃盗事件を起こしてしまった。前科もあったことから今度は実刑になるであろうと、困り果てたKさんの母親が、私たちの相談会に来られたことが最初の出会いとなった。
Kさんの母からは、精神遅滞の診断があるが、普通高校を卒業していること、コミュニケーションも可能であることが伝えられた。相談を聞き私からは「通院していても再犯してしまったので、出所したら回復施設に入寮するのがよいのではないか?」とアドバイスした。ご両親も施設入寮を希望しているとのことだったので、私が留置場に面会に行き、回復施設での生活が可能か判断し、大丈夫そうならばKさんを説得してみることにした。
Kさんは、留置場で言葉数は多くはないがコミュニケーションは問題ないように感じられたため、回復施設について説明すると、ご本人も出所後行くあてもないことから入寮に同意した。
私は、Kさんの重複障害を考慮し、入寮先は個室が完備され、入寮者はできるだけ少人数でプログラムに向き合える回復施設を選んでお願いしていた。
出所後、約束通り回復施設に繋がったが、Kさんはやはり施設になじめず飛び出してしまい、東京に戻ってきた。そして今度は自分で、I区に生活保護を申請し、短期入所施設に落ち着いた。
Kさんの難しさは、障害が非常に分かりにくいところである。ギャンブル依存症はもちろん目に見えないが、単発的な接触だと、Kさんが抱えている精神遅滞はたいしたことではないと、一般的な扱いをされてしまうことである。
案の定、しばらくすると行政から「ここは短期施設なので」ということで、区内の依存症回復施設に入寮するか、自活しろということで決断を迫られてしまった。
Kさんは役所からそう言われれば「従うしかない」と思い込み、母親に下記のような手紙をつけて荷物を送ってきた。
▲写真 Kさんが母親に書いた手紙:筆者提供
「お久しぶりです。役所のたんとうに、〇〇〇にいくか、△△△にいくかいわれていやだったから、生活保で7月20日に切れることになったから今のりょうでることになりました
にもつあずかってください
お金はらえなくてすみません(筆者注:荷物の着払いのこと)
すむ場所がきまったらてがみかきます」
心配した母親がKさんに連絡を取り、一緒に区役所の担当者と交渉するもラチがあかず、困った母親から私に連絡があったので、私はただちにI区役所に向かい合流した。
ここで少し説明をしたいのだが、この記事を読んで下さっている方の中には「親がいるなら親が面倒を見ればいいだろう」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。しかしギャンブル依存症は回復しにくい病気で、家族が抱え込んでいたのでは共倒れになってしまう。もちろん最初のうちはKさんのご両親も家族で何とかしようと、Kさんを叱ってみたり、説得を試みたり、借金を尻拭いしたりとやってみるのだが、事態は悪化するばかりでついに別居へと至った。
このように何はともあれ別居することにより家族の安全を確保して、当事者を地域の社会資源で連携しながら見守っていくことは依存症支援の基本である。しかし家族神話と自己責任論が強い日本では、こういったソーシャルワークによる地域連携がなかなか進まない。理解もなければ、資源も育たないという状況である。
私は区役所に到着後、担当者と話しをしようとしたが、担当者は手が空かないという理由で、なかなか机から離れようとしなかった。忍耐強く待ち1時間以上が経過した頃、担当者は廊下にいた私たちのもとにやって来たが、担当者は立ち話のままで、面倒くさいが話しを聞いてやろうという姿勢であった。
私も、一向に誠意を持った対応が得られない担当者に腹立たしく思いながらも、Kさんは回復施設でプログラムを受けることも就労も難しいこと、いきなり生活保護を切られたら行くあてもないこと、再犯防止の観点からもせめて次の落ち着き先場所を探して欲しいことなどを訴えたが、「こちらでは、区内の回復施設に入寮しないのなら、回復する気がないと判断し生活保護を切ります」の一点張りであった。全く取り付く島がなく、人命も再犯防止も考えないこの職員の態度には心底怒りと驚きを感じた。
結局、その日はどうすることもできず、私たち3人は区役所をすごすごと引き上げるしかなかった。Kさん自身は他区に移って生活保護を取ろうと考えていた。そのためには区の手続き上最低でも1週間は空けなくては、次の区で生活保護を取ることができない。Kさんは、「どうしても回復施設には行きたくない。1週間ホームレスをしてどこかの区で生活保護を申請する」と固く心に決めていて、「とりあえず回復施設に入ったら?」と提案しても頑として受け付けて貰えなかった。
ここで難しいのは「だったら1週間だけホテルか実家に泊めてやればいいじゃないか」と思われるかもしれないが、ギャンブル依存症者の場合そういった金銭的支援をしてしまうと元の木阿弥になってしまうのである。「困れば結局親がなんとかしてくれる」と、どこかで例外を作ってしまうと、なし崩しになってしまうのがギャンブル依存症者とその家族の関係なのである。ご家族はこういった時、断腸の思いで「支援しない支援」を実践し続け、巻き込まれないようにしなくてはならない。これは家族にとっても厳しい試練であり、家族にも自助グループや家族会の繋がりが必要なゆえんである。
私としても、なんとかKさんの支援先を見つけ回復して貰いたいのだが、依存症の回復施設ではプログラムにのれない、普通のグループホーム等ではギャンブルが止まらない、最悪の場合グループホームで窃盗などの事件を起こす可能性も否めないとなると、受け入れ先はおいそれとは見つからない。また次の区で生活保護が受けられたとしても、劣悪な環境に入れられてしまえば、Kさんはとてもじゃないが暮らしてはいけない。そこでKさんに「以前の様に一人暮らしをしながら生活保護を受給して通院する?」と聞くと、日常的な家事ができないKさんは「一人暮らしは自分には無理だと思う」と言う。
私は、次の生活保護申請でつまづき、放浪生活になってしまえば、今度またいつKさんと接点を持てるかわからないとジレンマを感じていた。
しかし私の力不足もあり、ここはもうKさんが一時的にホームレスになることを受け入れるしかないと腹をくくった。そして「回復施設の何が嫌?」と聞き取り調査を行うと「グループミーティングが嫌。自分の事を人前で話せない。」「食事当番が嫌」「集団生活が嫌」との事であった。「じゃあ、Kさんの条件に合う回復施設を探しておくから、困ったことがあったら必ず私に電話して」と伝え電話番号を渡した。「お金がないから携帯にはかけられない。」というので母親からテレカを渡して貰った。
●もう無理ですわ
実は、この時私には1つの望みがあった。国内の数少ないギャンブル依存症回復施設の1つが佐賀県にある。ここはクリニックが併設されていて、医師も長年東京で依存症診療に関わってこられた先生であり、施設代表者も看護師の資格をお持ちである。何度か連携させて頂いており、Kさんを頼めるとしたらここしかないのではと思っていて打診していた。
しかし、この時はKさん自身が回復施設に対する拒否反応が強かったため、一度は「佐賀はどう?」と聞いてみたが、全く受け付けられなかった。
そこで私は改めて、この回復施設に
①特別にグループミーティングを免除して欲しいこと
②食事当番などはできないこと
③その他こだわりが強く集団生活が苦手なこと
などを伝え、この施設で受け入れて貰えるか確認した。
依存症回復施設では、グループミーティングは回復プログラムの要である。それを誰かを特別扱いして、不参加OKにしてしまえば、他の入寮者に悪影響を及ぼしかねない。簡単なようでとても難しい問題なのである。
しかしこの佐賀の回復施設では、Kさんと同じように重複障害を抱えている方が一人いらして、グループミーティング中はその人にできる作業をやって貰っているとの情報を得ていたので、Kさんの受け入れを改めてお願いしたところ、快く了承を頂けた。あとはなんとかKさんから連絡を貰い、回復施設の入寮を承諾して貰えるかどうかである。
Kさんがホームレスになって3日後の夜「もう無理ですわ」と私の携帯に連絡があった。何度か関わり持てたお陰で少しは信頼関係ができたのかと「やった!連絡をくれた」と嬉しかった。Kさんが居る場所を聞いて落ち合い、一緒に食事を取ることにした。Kさんからは、今年はとても暑くてホームレスになるといってもおちおち寝ることもできない。最後のなけなしの金を使って昨日はネットカフェに泊まったが、もう本当にお金がなくなったと言われた。
私は、食事をしながら一切回復施設のことは持ち出さないことにした。ギャンブル依存症者への介入は難しい。依存症者は依存行為を、「辛い現実を依存している時だけ忘れられる」という自己治療に使っており、止めることがとても怖い。止めなければいけないとわかっていても、引き裂かれるような二つの気持ちの間で揺れているのである。押しつければ遠ざかるばかりであることは経験から学んでいた。
Kさんと食事をした後も、だらだらと話しを続けた。Kさんは「ホームレスになって生活保護をとっても結局また追い出されるかもしれないよね?」「ホームレスも大変だ」ということを繰り返していたが、私が「そうだよね~」「うん大変だよね」と相槌しか打たずにいると、チラチラと「別に東京に居なくてもいいけど」などとほのめかしてきた。
そこで私はここだ!と思い「そうだねぇ。東京は今困っている人が沢山居て、またすぐ追い出されるかもしれないね。佐賀の回復施設にとりあえず行ってみる?」と聞くと、Kさんから「その施設は何階建てなのか?」「施設長は何という人か?」「オリンピックが始まったら絶対にサッカーが観たいが、TVは観させて貰えるか」「食事当番はないか?」「食事代は1日いくらか?」「帰りたくなったら帰れるか?」などなど様々な質問があった。
私は、施設が何階建てなのかってどうでも良くないか?と思わずにいられなかったが、疑問には全て丁寧に答えるべきと思い、すでに10時近くになっておりご迷惑かと思ったが施設長に電話をさせて貰った。そしてKさんの疑問に一つずつ丁寧に答えて頂いた。
Kさんはこのやり取りで安心したのか電話を終えると、「いつ佐賀に行けるの?」と聞いてきた。そこで「じゃあ明日行こう。今飛行機取っちゃうね。」と言ってその場で航空券を取り「今日は、私がネットカフェに泊まる分のお金出してあげるね。明日お昼に必ず出てきて。羽田まで送って行くから」と段取りをつけて別れた。
こうしてKさんは翌日、無事に佐賀の回復施設に入寮することができた。
DaiGoは「俺の税金を使ってホームレス支援なんかして欲しくない」と言っていたが、税金は様々な人の命を救うために使われるべきだと思っている。障害や病気を持って働けない人を家族が抱え込むには限界がある。自助・共助だけでなく公助が当然に必要である。
今回のKさんの場合は、家族との繋がりが完全に切れてはおらず、またご家族が家族会に繋がっていたことから、こうして行き先を決めることができた。もしKさんが完全に孤独な状況であったら、行政は簡単に見捨ててしまうのが現実だ。切り捨てるという残酷なことをしても、声をあげられる心配もないと踏んでいるのであろう。税金の使い道うんぬんを言うのであれば、むしろ税金を使うべき社会的弱者を切り捨てていないかを国民は監督すべきだと思う。人はほんの少しのきっかけで簡単にホームレスになってしまう。そして自分の努力だけではなかなか抜け出せない。人との繋がりや、相互理解が大切だと思う。
先日Kさんの居る佐賀の施設に連絡を入れてみた。施設長さんからKさんが馴染んできていると聞かされ、温かく大切に迎え入れて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいになった。そして「Kさん、すごく頑張っているんですよ。時々は自分からミーティングに参加したりもするんです」と驚きの報告を受けた。「この間本人が、『ここに来て1ヶ月ギャンブルが止まった。最高新記録だ』って言ってましたよ」。施設長さんと話しながら、「すごい!すごい!」と興奮してしまった。
ピンチに陥っている人が人生を取り戻していく姿を見ることは誰にとっても喜びではないだろうか。困っている人に生活保護が支給されることは、税金の有意義な使われ方だと私は思う。
トップ写真:ホームレスの男性(2020年4月8日 大阪・道頓堀商店街) 出典:Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images
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この記事を書いた人
田中紀子ギャンブル依存症問題を考える会 代表
1964年東京都中野区生まれ。 祖父、父、夫がギャンブル依存症者という三代目ギャンブラーの妻であり、自身もギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持つ。 2014年2月 一般社団法人 ギャンブル依存症問題を考える会 代表理事就任。 著書に「三代目ギャン妻の物語(高文研)」「ギャンブル依存症(角川新書)」がある。