「血筋の価値」と近親結婚(上)王家の結婚について その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・古代エジプト王家では純血を守るために近親結婚が行われていた。
・「絶世の美女」クレオパトラ7世は黒人だったと主張する人々が増えている。
・クレオパトラ7世の美貌と近親結婚の因果関係は考えられにくい。
今回のシリーズでは王家の結婚をテーマとしているが、前回「血筋の価値」という表現を用いた。
そうした価値観をもっとも極端な形で具現化していたのが古代エジプトで、なにしろ王家の純血を守るためとして、近親結婚が繰り返されてきた。
17世紀フランスの哲学者パスカルをして、
「クレオパトラの鼻。もしもそれがもっと低かったら、大地の全表面が変わっていたいただろう」
とまで言わしめた有名な女王がいたが、彼女の美貌も近親結婚の成果だと大真面目に唱える歴史家も、相当数にのぼったほどだ。
ただ、これには昔から異論も多かったことを指摘しておかねばならないだろう。
まず、近親結婚で美女が生まれる確率が高くなるなどとは信じがたい、と主張する人たちがいた。むしろ血が濃くなりすぎて障害を持つ子供が生まれるリスクがあり、だからこそ古来タブー視されてきたのではないか、という論理でもって、その説は補強されていたようだ。
その以前に、系図を見る限り、もっぱら近親結婚が行われていたという形跡は見い出せないといった、より説得力のある反論も開陳されている。ただしこれに対しては、象形文字で記された系図などどこまで信用できるか分からない、と再反論する人もいたと聞く。
しかし、2010年初頭に有名なツタンカーメン王のミイラをDNA鑑定したところ、まず確実に両親が近親婚(おそらくは姉弟婚)であるという結果が得られた。
これにより、近親結婚ありやなしやの議論は、一応の決着を見たのである。この時はまた、近隣に葬られていた全部で10体のミイラが鑑定されており、それまで謎とされてきた、ツタンカーメン王の出自である第18王朝の系図が完成した。伝承された系図がどこまで信用できるのか、という議論についても、ひとまず「系図だけでは分からないことが多い」との結論が得られたわけだ。
ただ、クレオパトラに関しては、なにぶん埋葬された場所さえ判然としないため(おそらくアレキサンドリア近郊だろう、といった程度のことしか分かっていない)、調べようがない。
ここで少し(例によって笑)余談となるが、この、世界的に有名な美女は、正確には「クレオパトラ7世」である。
エジプトのファラオは、男性ならばもっぱらプトレマイオスを名乗り、女性はいくつかの名乗り方があるが、クレオパトラがもっとも一般的であったとされる。
余談ついでに、ファラオという称号も日本では一般に「王」とだけ訳されるが、当時の、つまり古代エジプト文明の世界観にあっては「現人神(あらひとがみ)」の方がふさわしいと考える学者もいる。なにかの「忖度」でもって、わが国ではこの訳語が浸透してこなかった、などということでなければよいのだが。
話を戻して、クレオパトラは実は黒人だった、と主張する人が最近とみに増えてきている。主として、米国でアフリカ系市民の人権問題と取り組んでいる人たちだが、つい最近も、クレオパトラが登場する映画の企画が公表され、アンジェリーナ・ジョリーが演じると発表された途端、各地で抗議デモまで組織された。白人女優が演じるのは歴史を歪曲する行為だと。
私自身は、アフリカ系米国人にもアフリカの黒人にも、なんの偏見も抱いていないし、むしろ彼らが受けている差別に対しては、同じ有色人種として憤りを共有していることを明記した上で話を進めるが、こうした「黒人至上主義」もまた、人種間の対立感情を煽る効果しかもたらさないのでは、と危惧している。
冒頭で「王家の純血」という表現を用いたが、古代エジプトの人々、わけても王族は、自分たちのことをアフリカ先住民(=黒人)とは区別していた。南方のヌビア人とは、長きにわたって同盟関係にあったが、壁画などを見てもエジプトの民とは異なる肌の色で描かれている。さらに言えば、現代のエジプト人でさえ、自分はアフリカ系黒人だと考える人はまずいない。
これもまた少々デリケートな議論になるのだが、彼らの肌はたしかに浅黒いし、黒人の定義にもよりけり、とまで言われたなら、さすがに反論は難しくなる。
だからと言って、白人女優がクレオパトラを演じるのはけしからん、というのは行き過ぎだろうとの考えを変えるつもりもない。もちろん彼女の埋葬場所が特定されてDNA鑑定まで行われ、その結果アフリカ系黒人だとの主張が正しいと証明されたなら、ただちに撤回して読者には謝罪するけれども。
もうひとつの問題と言うか、そもそもクレオパトラの美貌(伝承の通りだとして)と近親結婚には因果関係があるのか否かの問題を見てみよう。
こちらも結論から述べれば、いささか考えにくい話だ。
前述のように、こうした説は昔からあるが、一方では、近親結婚は弊害の方が大きい、とする考え方も、もっと昔からある。これについては遺伝学などが目覚ましい進歩を見せている昨今でも、データが少なすぎて断定的な評価は困難、ということであるようだ。
以前、血液型と人間の性格との関わりについて述べたことがあるが、この分野では、
「医学的な根拠は見出しがたいが、統計学的には無視できない結果が出ている」
ということが、かなり以前から言われている。
エジプト王家にせよ、たとえば前述のツタンカーメン王など、右足に障害を持っていたことが明らかになった。ただしこれは、比較的症例の多い遺伝的疾患であって、近親結婚の弊害であったとは考えにくいらしい。
よく知られる通り、現在では近親結婚が合法である国などなく、スウェーデンにおいて、両親が再婚同士で血がつながっていない兄妹に限って、例外的に婚姻届けを受理したケースが見受けられる程度である。
わが国でも、近親結婚は認めていないが「いとこ婚」ならば問題はない。また、女の子が肉親から性的虐待を受けた事案は時折報じられるが、実は刑法において、近親相姦それ自体を罰する規定は存在しない。
これらを総合して考えたなら、遺伝子に悪影響を及ぼすことが知られていたので、近親結婚は古来タブーとされてきた、という通説は、どこまで本気で受け取ってよいのやら、という話になってくる。
しかしその一方では、ヨーロッパではこの説を信じて疑わない人が多い。
「ハプスブルク家の実例があるではないか」
というわけだ。次回は、その話を。
トップ写真:クレオパトラに扮する英国系アメリカ人女優のLillie Langtry(1895年01月01日) 提供:Photo by Hulton Archive/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。