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.国際  投稿日:2021/11/12

中国共産党100年史とアメリカ その4 アメリカは国民党と手を結んだ


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・アメリカ国務省では「チャイナ・ハンズ(中国専門家)」が有力だった。

・しかし、日本敗北後アメリカは国民党を支援し、共産党の脅威へ警戒を高めていった。

・アメリカとソ連共産主義政権との対立が深刻となり、アメリカは共産主義の脅威への警戒を強めた。

            

1944年7月22日に米軍用機で延安に着いたディキシー使節団の第一陣約10人は、軍部がデービッド・バレット陸軍大佐、政治部門が国務省外交官ジョン・サービスが責任者だった。

サービスは当時、国務省内で存在感を強めていた「チャイナ・ハンズ(中国専門家)」の有力な一員だった。彼も中国で布教活動をしていたアメリカ人のキリスト教宣教師の息子として中国で育っていた。

もともと国民党には批判的だったサービスは延安で毛沢東や周恩来と親しく語り合った。中国側はアメリカとの軍事、政治の両面での全面的な協力を望むことを強く訴えた。

サービスはアメリカ政府に中国共産党が民衆に人気があり、規律正しく、戦闘でも勇敢だと報告し、こんごは国民党政権よりも共産党との連携を強めることを進言した。

ただしこの段階では共産党軍は日本軍とは本格的戦闘はほとんどしておらず、「勇敢な戦果」の実績はなかった。 

後続のディキシー使節団には同じ国務省のジョン・デービスやジョン・エマーソンという外交官たちがいた。

ジョン・デービスもアメリカ人宣教師を父に持つ中国生まれで、国務省ではジョン・サービスの上司として上海や北京でも在勤していた。中国共産党に対しては同様にきわめて同情的だった。

ジョン・エマーソンはチャイナ・ハンズではなかった。日本勤務の経験と日本語の能力を有する若手外交官だった。中国共産党本部を訪れる彼の最大任務は当時、人民解放軍が捕らえていた少数の日本軍捕虜を日本語で尋問することとされていた。エマーソンは戦後は日本でエドウィン・ライシャワー大使の下の公使ともなった。

私はこのエマーソンに1978年ごろ長時間のインタビューをしたことがある。彼は当時、退官してスタンフォード大学の上級研究員となっていた。そのときの本人の言葉や著書から延安での体験の報告を紹介しよう。

「延安に着いてすぐ歓迎の夕食会が催され、私は周恩来の隣に座らされた。夕食会には国務省の先輩のジョン・デービスやジョン・サービスも一緒だった。周恩来は元気にあふれ、熱情的で表情豊かに、あまり上手ではない英語とフランス語で会話を進めた」          

「夕食後は洞窟の周恩来の宿舎に招かれた。すると毛沢東が悠然と部屋に入ってきた。彼は輝く聡明そうな目や若々しい表情の芸術家を思わせる大男だった。現地産らしい毛織りの暗青色の人民服を着ていた」

▲写真 毛沢東(左)(1900年) 出典:​​Bettmann/GettyImages

「延安で実際に活動する生身の共産主義者たちと友好的かつオープンに交流し、中身のある意思疎通することは新しい刺激的な体験であり、禁断の果実を味わうことにも似ていた」

こうした印象を受けたエマーソンはチャイナ・ハンズではなかった。ソ連の共産主義独裁の苛酷さも知っていた外交官だった。だがそれでも中国共産党の幹部たちには好感を抱いたのである。

ちなみに彼は延安でそのころ日本から脱出して反日闘争を展開していた日本共産党の野坂参三とも面談している。野坂らが主宰した「日本人民解放連盟」という共産主義組織が、捕虜となった元日本軍人を集めて思想教育をする「日本労農学校」にもエマーソンは何度も招かれたという。

しかしこうしたアメリカと中国共産党との連携も日本の敗北の後は大きく変わっていった。国民党と共産党の内戦が激化するなか、アメリカは明確に国民党を支援したからだ。

そしてアメリカとソ連共産主義政権との対立が深刻となり、アメリカ官民は共産主義の脅威への警戒を強めるにいたった。

中国内戦では共産党が勝利をおさめ、1949年10月1日に中華人民共和国の樹立が宣言された。だがアメリカ政府はその中国を承認はせず、台湾に敗走した国民党政権を唯一の中国合法政権として認め、相互防衛条約までを結ぶ。

(その5につづく。その1その2その3。全5回)

**この記事は日本戦略研究フォーラム季報2021年10月号に掲載された古森義久氏の論文の転載です。

トップ画像:ディキシー使節団と中国軍(1944年1月1日)

出典:​​Photo by FPG/Hulton Archive/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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