[神津多可思]<失われた10年に失われなかったもの>無数の荒波に対応をしてきた日本経済の時間は無駄ではない
神津多可思(リコー経済社会研究所 主席研究員)
バブル崩壊後の日本経済は、「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われてきた。しかし、現実には日本経済がこの時期にただ漫然と時を失ってきたわけではない。
たしかに、バブル崩壊の後始末には時間を要した。1991年から97~98年の銀行危機までの間は、今一度成長率が高まるはずなので、その成長の中でバブル崩壊による損失の穴埋めをしたほうが結局は調整コストが安上がりになると判断していた。
しかし、ちょうどバブルの崩壊と軌を一にして経済のグローバル化が新しいステージに入った。そのため日本経済はバブルの後始末に加えてさらに大規模な構造調整を余儀なくされた。中国に代表される新興国が躍進する中で、新しい比較優位をどう確立していくかという難問に直面したのである。結局、再び成長率が高くなるということもないまま、バブル崩壊によって生じた巨額の損失を埋めなくてはならなかった。
さらに並行して、国内の生産年齢人口(15〜64歳)は90年代後半から減り始めた。国内市場の規模縮小が明確になり、かつ若年層向けから高齢層向けへと需要シフトが進むということである。
一方、供給面では、次第に働くことができる人が少なくなっていく。その人手の制約は、これまでの低成長の下では目にみえて顕現化してこなかったが、今になってにわかに供給面の天井として意識されるようになっている。現時点では、体を張って働ける人の数が減っている建設業などで特にその制約がきつくなっているようだが、引退世代が増加していけば、多かれ少なかれあらゆるビジネスで同じようになるはずだ。
このように、「失われた」と言われた期間に、実は日本経済は次々と寄せる荒波に洗われ、必死の対応をしてきた。それら荒波の高さを考えれば、決して無為に時を過ごしてきたわけではなく、むしろ良くぞここまでくぐり抜けて来たというのが個人的な実感だ。しかし、それでよしと言うわけにはいかない。日本経済は今、新しい充実の局面へと進むことができるか、再び閉塞感の世界に逆戻りするかの分水嶺にいるからだ。
アベノミクスの最初の1年が経過し、経済環境が大きく変わったのは事実だ。しかし、最近の株価にも表れているが、ここから先、さらに良い方へ向かう展望がはっきり見えているわけではない。荒波に耐えてきた期間が長かっただけに、誰しも先行きを慎重にみるようになっていることもあろう。それに、うまく行くパターンの実感を忘れてしまっているところもあるかもしれない。
労働需給が引き締まり、機械設備の稼働率が上昇しても、供給の天井にぶつかり、また低成長へと逆戻りして、インフレ圧力も高まらないという悲観シナリオがある。しかし、同じ前提から出発して、そうであるから企業が設備投資を行い、その結果、労働生産性が改善し、それに見合って実質賃金も上昇し、供給の天井を徐々に押し上げながら需要も持続的に拡大するという楽観シナリオを描くこともできる。それこそが、バブル以前に安定的な成長を遂げていた日本経済のパターンであった。
ただし、21世紀の安定成長が過去と違うのは、その供給の天井を押し上げるかなりの部分が、海外で行われる可能性があることだろう。それでは国内経済は空洞化するから、やはり悲観的にならざるを得ないとの声がすぐ上がりそうだ。しかし、収益の出る海外投資であれば、その果実は第一次所得収支の黒字として国内に還流してくる。それは、減少していく国内労働者への賃金と、増加して行く高齢者への年金等の支払いの源泉ともなる。
これから先、これまで働く機会のなかった女性、高齢層の労働参加率は上昇していくだろうが、それでもフルタイムで働ける人の母集団は急速に減少していく。高齢化社会の本格的到来とはそういうことだ。
したがって、この国土で暮らす人の平均的な生活をさらに豊かなものにしていくためには、働くことができない人の所得も増えていくようにしなければならない。それにはこれまで蓄積した資産のリターンを高める必要があるが、日本企業が海外でのビジネスを通じて収益を挙げていくことは、株式に投資された年金資金等への還元を通じてその実現に貢献することに繋がる。
別の言い方をすれば、成長を測る窓が、グロスのGDP(国内での付加価値の総生産額)から、一人当たりのGNI(海外に保有する資産からの利払い・配当なども含めた国民所得の総額)に変わっていくということだ。今後、そうした方向に向かうかどうか。その鍵を握るのは言うまでもなく企業の動きだ。
これでもかと押し寄せた過去20年の荒波の記憶を乗り越え、今こそ、この間に激変した経営環境にフィットした新たなビジネスの展開が求められる。
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