バイデン外交の回顧と展望 私の取材 その6 オーストラリアがなぜ原子力潜水艦を
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・「AUKUS」誕生と豪の原潜保有は中国へのけん制で大きな成果。一方で、中国の態度硬化により情勢緊迫の見方も。
・米のアフガニスタン撤退はイランに有利、タリバン政権誕生は中国に有利。中東での米の安全保障態勢が揺らぎかねない。
・オバマ政権下でのイラン核合意は、イランの核兵器開発阻止まで踏み込んでおらず、共和党は反対。
一方、新たに誕生したもう一つの枠組みが、先述した、オーストラリア(AU)、イギリス(UK)、アメリカ(US)による軍事協力機構「AUKUS」である。この機構誕生の成果として、アメリカがオーストラリアに原子力潜水艦を供与することになった。
原子力潜水艦保有国は非常に限られている。イギリスは、アメリカと特殊な関係を築いてきたので、1950年代頃から、アメリカから原子力潜水艦の技術提供を受けてきた。他にも、ロシア、フランス、中国、インドが原子力潜水艦を保有している。
日本の潜水艦の性能は非常に高いとされているが、日本が保有しているのはディーゼルエンジンを動力とする通常型潜水艦だ。潜水艦ほど、原子力か否かの違いが大きい兵器はない。ディーゼル型は定期的に水上に浮かぶ必要があるが、原子力の場合には水上に何ヵ月も浮かぶことなく水中航行を続けられるし、ミサイル発射能力も全く違う。
日本では、原子力の使用というだけで非常に大きな問題になるが、兵器の世界では原子力か原子力ではないかによって、決定的なほど大きな効率の違いが生じる。そして原子力の利用が広く受け入れられている。
アメリカの海軍士官学校には、全米各地から高校を卒業した優秀な学生が入学するが、原子力の分野を専攻する学生に対しては、特別の奨学金が供与されるなどの優遇措置がある。アメリカ海軍においては、原子力の役割が非常に重視されているということだ。
今回、非核国のオーストラリアが原子力潜水艦を保有することになったことは、インド太平洋地域における中国への牽制という意味で大きな成果だ。唐突に新たな軍事同盟的な組織AUKUSが誕生したことは、国際社会を驚かせることになったが、バイデン政権が巧みに動いたという評価もできる。ただしフランスを激怒させたことはその後も尾を引くこととなる。
ただし、取材をするとAUKUS誕生には意外な背景もあったことがわかる。ウォールストリート・ジャーナルに掲載された、ハドソン研究所研究員のウォルター・ラッセル・ミード氏によるインタビュー記事で、オーストラリアのスコット・モリソン首相がAUKUS結成の経緯について詳しく語っていた。
▲写真 スコット・モリソン豪首相 出典:Jenny Evans/Getty Images
モリソン首相は、オーストラリアの潜水艦を原子力にしなければいけないと考え、アメリカに必死で頼んだことが、AUKUS結成の背景だと明かしているのだ。バイデン大統領の発想というよりもモリソン首相の発想だったというのだ。
潜水艦には、弾道ミサイルなどを発射するミサイル発射型と、海上艦艇や他の潜水艦を攻撃する攻撃型の2種類がある。攻撃型の潜水艦を中国は約60隻、アメリカは約50隻保有している。
それに比べて、オーストラリアは古い潜水艦を8隻ほど保有しているだけだった。しかもそれも使い物にならなくなってきているという。そこで、中国の軍事的脅威に備えて、なんとか潜水艦戦力を拡充しなければならないとモリソン首相らは考えるようになったのだ。
その契機となったのが、オーストラリアと中国の関係悪化である。2020年にはモリソン首相は「コロナウイルスの発生源は武漢なので、武漢に国際調査団を送り、徹底的に調査しなければいけない」と発言した。この発言に中国は猛反発し、オーストラリアからのビールや小麦の輸入を停止してしまった。
さらに、中国政府は「オーストラリアには留学生も出さない」などと発言をエスカレートさせた。官営新聞『環球時報』編集長の胡錫進(こしゃくしん)氏は、「豪州は靴の裏にこびりついたチューインガムのようなものだ」とSNSに書き込んだ。
豪中関係がここまで悪化してしまったため、モリソン首相が「なんとか豪中関係を改善する方法はないのか」と発言したところ、2020年11月に、中国の駐オーストラリア大使が、次世代通信規格「5G」の通信網からの中国企業排除など、オーストラリアに対する14項目の不満を示し、「それらを改めれば中国の態度は変わる」と伝えた。
これらの要求は、オーストラリア側が到底飲めないような屈辱的な内容であり、オーストラリアは中国への不信感を一層高めたとされる。そのオーストラリアの怒りが原子力潜水艦の調達へと向かったわけだ。
つまり、バイデン政権が統合的戦略に基づいて、オーストラリアに原子力潜水艦供与を提案したのではなく、重要な同盟国であるオーストラリアから懇願された結果、アメリカが応じたということだ。いずれにせよ、オーストラリアの原子力潜水艦保有は、中国にとっては大きな脅威となるだろう。
ただ、オーストラリアの原子力潜水艦保有の展望には不透明の部分もある。中国がさらに態度を硬化させ、インド太平洋情勢はますます緊迫するという見方もある。
東南アジア諸国の態度も分かれている。AUKUSに対してマレーシアとインドネシアは反対の立場のようだ。一方、シンガポールとベトナムは賛成している。
▲写真 アフガニスタンから撤収する米兵(2021年5月11日 バグラム空軍基地) 出典:Robert Nickelsberg/Getty Images
一方、バイデン政権の中東政策はどうなっていくのか。
近年のアメリカの歴代政権にとっての中東政策の焦点は、対イラン政策とイスラエルとの関係に収斂される。
今回、アメリカがアフガニスタンの拠点を失ったことは、イラン側にとっては有利な状況をもたらすことになる。また、タリバン支配の政権誕生は中国にとって有利であり、中東に対して安全保障面でにらみを利かせていたアメリカの態勢が揺らぎかねない。こうした中で、バイデン政権にとって、中東政策の核心である対イラン政策は非常に大きな課題だ。
イランとアメリカの間にはオバマ政権が結んだ核合意という取り決めがあった。イランは核兵器保有を目指して、ウラン・プルトニウム開発を進めていた。そこで、当時のオバマ政権はイランの核兵器開発を制限するために、2015年に英・仏・独・ロ・中とともにイランと核合意を結んだ。
共和党はこの合意は不十分だとして反対していた。この核合意は、イランの核兵器開発を遅らせるだけで、最終的にイランの核兵器開発を止めさせるところまで踏み込んでいなかったからだ。
▲写真 イラン核合意の当事国による合同委員会が再開(2021年4月15日 オーストリア・ウィーン) 出典:EU Delegation in Vienna via Getty Images
(最終回に続く。その1、その2、その3、その4、その5。全7回)
トップ写真:豪海軍が導入予定とされる米海軍のバージニア級攻撃型原子力潜水艦 出典:Stocktrek Images/Getty Images
**この記事は公益財団法人の国策研究会の月刊機関誌「新国策」2021年12月号に掲載された古森義久氏の同研究会での講演の記録の転載です。
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。