偵察総局元大佐キム・グッソン氏が語る北朝鮮 第1回 その経歴と亡命の動機
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・北朝鮮偵察総局の大佐だった脱北者がメディアで語り始めた。
・文在寅政権は金正恩の言いなり。北朝鮮の諜報工作の実態を韓国民に知らせる必要があると決意。
・「兄、弟」と呼び合った張成沢が処刑されるのを見て脱北を決意。金王朝3代で金正恩が最も残虐。
北朝鮮の情報機関に30年近く在籍した偵察総局出身の高位脱北者が、韓国で最近注目を集めている。彼の名前はキム・グッソン(仮名)氏だ。彼は韓国国家情報院傘下の国家安保戦略研究院に在籍していたが、2019年に退職し、昨年からメディアに登場し始めた。
メディアに出るようになった動機は、韓国が文在寅大統領時代になってあまりにも金正恩の言いなりになっているために、韓国に深く根をおろした北朝鮮の工作実態を韓国民に知らしめなければならないと痛感したからだという。また北朝鮮住民を1日も早く塗炭の苦しみから救うためにも、韓国を正常な国家にしなければならないと決心したからだとも語った。
昨年10月に、脱北後初めてのインタビューを英国のBBC放送と行い、北朝鮮スパイが、韓国青瓦台(大統領府)で空調技術者として、1994年から6年間潜入していた事実を暴露し、世界を驚かせた。国家情報院はそれを否定したが、キム・グッソン氏からの具体的反論を受け、現在は沈黙している。
キム・グッソン氏が、韓国の様々なメデアとのインタビューで語った主要内容を要約・整理すると、氏の経歴と亡命の動機、偵察総局について、張成沢処刑と金正恩暗殺の背景、対韓工作と対米戦略などであるが、その内容を4回に分けて紹介する。
第1回―キム・グッソン氏の経歴と亡命の動機
1)キム・グッソン氏とは
キム・グッソン氏は、2014年9月に赴任先の中国から家族とともに韓国に亡命した北朝鮮偵察総局の大佐(人民軍では中将クラス)で、5局(対外工作部署)副局長相当の人物だ。
キム・グッソン氏は平壌市江東(カンドン)郡出身で、キム氏の家系は、金日成の父親・金亨稷(キム・ヒョンジク)と関係のあった抗日革命縁故者家庭だという。このような家庭だったため、キム氏は英才養成学校である金星中・高級学校を卒業し、護衛司令部で3年間軍服務をして労働党に入党した。
キム・グッソン氏は、金策工業総合大・電子工学部を卒業した後、人民経済大学と金正日政治軍事大学を出て海外情報担当機関である労働党35号室(5年)と対南(韓国)工作を企画実行する労働党作戦部(10年)、韓国で地下党構築を専門とする労働党対外連絡部(6年)、そしてそれらを統合して2009年に新設された偵察総局(5年)など4つの情報機関に従事した異例の諜報工作員だ。
彼は2014年に亡命するまで偵察総局5局(対外工作部門)で大佐として勤務した。大佐称号は、現在労働党政治局員で統一戦線部長の金英哲(キム・ヨンチョル、偵察総局初代総局長)が2016年に偵察総局長を退任する時に付与されたという。
キム氏の夫人は労働党組織指導部第1部部長だったパク・ジョンスンの姪だ。 パク・ジョンスンは、金正恩を最高権力者にするための労働党規約改正文を直接読みあげた人物で、 金正恩後継勢力の核心の一人だったという。
一人娘だった姪とキム氏を結婚させ、張成沢にキム氏を紹介したのもパク・ジョンスンだったと語っている。キム氏の夫人も党中央委員会幹部部の部員として働いていたので、北朝鮮政権のエリート生活と権力に明るい(時事ジャ-ナルとのインタビュー)。
2)亡命の動機
組織指導部第1部部長だったパク・ジョンスンから張成沢党行政部長を紹介され、長い間繋がりを持ったが、2013年12月に張成沢が処刑されるのを見て、強い衝撃と身の危険を感じ、家族を連れて赴任地の中国から韓国に亡命した。
写真)張成沢粛清を報じるテレビニュース(2013年12月13日)
出典)Photo by Han Myung-Gu/Getty Images
キム氏は「張部長とは30年にわたって兄、弟と呼び合ってきた間だが、彼が2013年12月に処刑されるのを見て、私の運命も同じ立場になるということを痛感した」とし、「張成沢系列と見なされれば、平壌に帰っても親族と知人らが処罰されるだろうし、だからといって自ら命を断つこともできない切迫した状況に直面した」(時事ジャ-ナルとのインタビュー)と当時の立場を明かした。
そして「まさか金正恩が張成沢を殺すとは思わなかった。金日成の弟金英柱のように地方に追いやり隠居生活をさせると思っていた(YouTube ペン&マイク)」とも話し、金王朝3代の中で金正恩は最も残虐な指導者だと語った。
(第2回に続く。次回は偵察総局について)
トップ写真:北朝鮮・金正恩総書記 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統