またしても「クルド人斬り捨て」か 気になるプーチン政権の「余命」その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・フィンランド・スウェーデンがクルド人テロ組織を擁護しているとして、両国のNATO加盟にトルコが難色を示している。
・両国がクルド人抑圧を理由にトルコに制裁を課し、クルド系難民を受け入れていることが、加盟への障壁となった。
・人権尊重を標榜する両国のNATO加盟のために、クルド人の人権を軽視するのは、「オウンゴール」ではないか。
ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、これまで中立政策をとっていたフィンランドとスウェーデン(以下、北欧2カ国)がNATO加盟に向けて動き出し、これはプーチン大統領のオウンゴールだと評されていることは、すでに述べた。
サッカーで、相手のシュートを防ぐつもりが誤って味方ゴールに蹴りこんでしまった、というのがオウンゴールで、昔は「自殺点」と呼んだ。
……そのような話はどうでもよいのだが、前述の、北欧2カ国がNATO加盟を求める動きに対してトルコが難色を示している問題について、今回少し考察を加えてみたい。
最大の理由は、クルド人問題である。
順を追って見て行かねばならないが、現在の版図で言うトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがる山岳地帯が、古来クルディスタンと呼ばれており、そこで暮らす人々が、すなわちクルド人だ。人種的・言語的特徴はイランのそれと共通する部分が多く、宗教はスンニ派イスラムに帰依している人が大多数だが、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教の信者も少数ながらいるという。
人口は、一部の地域では混血が進んでいるなどの事情もあって、3500万人程度であるとも5000万人近いとも言われ、詳細までは分からないのだが、いずれにせよ中東においてはアラブ人、トルコ人、ペルシャ人(=イラン人)に次いで多いことには違いない。
「国家を持たない世界最大の民族」
とも呼ばれる。
彼らが国家を持たなかった(持つことができなかった)理由と、トルコやイラクにおいて迫害を受けた理由を掘り下げたならば、オスマン帝国の歴史と深い関わりがある。
1299年、アナトリア(現在のトルコ東部・アジア領域)にある小さなイスラム君主国として始まったオスマン朝は、いち早く鉄砲を採用するなど軍事面で先進性を見せた結果、地中海世界に覇を唱えるまでになった。後には東ローマ帝国を滅ぼして首都コンスタンチノープルを征服(1453年)し、自分たちの首都とした。現在のイスタンブールである。
最盛期と称される17世紀後半には、その領土は中東から北アフリカ、アラビア半島の北半分、さらには現在のハンガリー、ブルガリアにまで及び、人口は3億5000万人以上と推定されている。
昭和の日本で使われた歴史教科書には「オスマン・トルコ帝国」などと書かれていたが、これは不正確な呼称で、今では使われていない。そもそもオスマン帝国は多民族国家で、これをトルコと同一視したのはガイジン(西欧のキリスト教徒)の思い違いなのだ。
話を戻してクルド人だが、武芸に秀でた人が多く、オスマンの軍隊において、中核的な役割を担っていた。
話が前後してしまうが、12世紀にイングランド王リチャード1世「獅子心王(リチャード・ザ・ライオンハート)」らが率いる第3次十字軍を相手に、最期までエルサレムを守り抜いたサラーフッデーンもクルド人の将軍である。こちらも一般に「サラディン」と表記されるが、やはりラテン語訛りが誤って伝わったものらしい。
歴史の皮肉と言うべきか、このように「イスラムの守り手」を自認してきたクルド人は、第一次世界大戦においてオスマン帝国が敗戦国となり、1922年に滅亡するや、前述のように「国家を持たない最大の民族」となってしまった。アラブ諸国が英仏の後押しを受けて独立を果たしたのに対し、オスマンにおける「体制側」であったクルド人は、自分たちの国を持つことを認めてもらえなかったのである。
この結果、トルコ、イラク、イランなどの領域に分かれ、それぞれの国で少数民族となり、独立運動と迫害が繰り返されることとなった。
典型的な例がトルコで、独立後、最初に誕生した左翼政権はオスマンの伝統を全否定し、かつ「一民族一国家」の立場から、クルド語の使用を規制するなどした。このことがかえってクルド人の民族意識を高揚させ、独立運動を牽引するクルディスタン労働者党(PKK)との対立が激化した。現在に至るもトルコ政府はPKKをテロリスト集団と規定している。
度しがたいのは米国はじめNATO諸国の態度で、ここで詳細な経緯を振り返る紙数はないが、1990年代、イラクのクルド人については「サダム・フセインによる迫害」を非難して、空爆まで行ったが、トルコのクルド人については、テロリストだとするトルコ政府の主張を鵜呑みにするどころか「拡散」したのである。これをダブル・スタンダードと言わずしてなんと言おうか。イラクとの戦争には、国境を接するトルコの協力(基地や補給路の提供)が不可欠という事情があったとは言え、これはいささかひどい。
2011年から続くシリア内戦においても、クルド人の武装勢力がIS(イスラム国)と戦っていた時には、これを支持していたのだが、その後ロシアに支援されたアサド政権との協力関係を築くや、今度は「民主的勢力」に敵対している、と非難するようになった。
ダブル・スタンダードどころか掌返しである。
その上さらに、トルコが「国内のテロリスト集団(=PKK)」を支援しているとして、シリア国内のクルド人に対して越境攻撃まで仕掛けたが、これも黙認した。
すでに広く知られている通り、今次のロシアによるウクライナ侵攻も、「ウクライナ国内のネオナチ勢力がロシア系住民に残虐行為を働いている。これに掣肘を加えるための特殊軍事作戦である」
との大義名分のもとに行われている。ロシアが独立国ウクライナの領内に攻め込むのは許しがたいが、トルコが同じ事をするのはかまわないのだろうか。
一方スウェーデンなどは、トルコ政府による人権抑圧を強く非難し、武器輸出を禁ずるなどの制裁を課し、なおかつ10万人を超すクルド系難民を国内に受け入れているのだが、今回これがNATO加盟への障壁となってしまった。
前にも述べた通り、NATOの規定で、新規加盟には加盟国すべての賛成を得る必要があるのだが、トルコに言わせれば、
「わが国に制裁を科しているような国を、どうして同盟に迎え入れなければならないのか」
となる。
これも、私はすでに述べたことだが、トルコを説得するのは比較的容易だと考えられる。
すでに、北欧二カ国が代表団を派遣するなど外交交渉が始まっているが、トルコにすれば、その場しのぎの約束でなく、恒久的な制裁解除を要求するだろう。
そして、これまで米国はじめNATO諸国がクルド人問題にどう対応してきたかを振り返るならば、トルコの要求に沿ってクルド人問題は棚上げにされる可能性が大である。
「プーチンの戦争」について、前述の大義名分とはまた別に、NATOの勢力が東方に拡大してくるのを阻止したかった、というのが理由であることは、すでに衆目が一致するところだ。その結果「オウンゴール」を招いたことは、再三述べてきた通りである。
そうではあるのだが、読者諸賢には、ここで少し考えてみていただきたい。
「自由と人権を守るためのウクライナ支援」
の延長線上に北欧2カ国のNATO加盟があるとして、その実現のためにクルド人の政治的自由や人権が無視されるというのは、これもこれで「オウンゴール」と呼ばれても仕方ないのではないだろうか。
トップ写真:トルコ軍によるシリア北部爆撃に抗議する、クルド人活動家たち。(2022年2月2日、イギリス・ロンドンにて) 出典:Photo by Guy Smallman/Getty images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。