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.国際  投稿日:2022/7/21

イスラム金融の虚像と実像 異文化への偏見を廃す その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・コーランでは、利子を目的として金を貸してはならないと定められている。

・「通常の銀行取引とイスラム法に照らして合法的な取引とどちらを選ぶか」との問に、ムスリムの3分の1が「通常の取引」を選んでいる。

・信仰より経済的な利益を重んじるムスリムがそれほど多いとは、意外だが、それが人の世の偽らざる姿なのかも。

 

シェイクスピアの『ベニスの商人』は、たとえ読んだことがなくとも概要くらいはご存じだろう。悪く言えば

「ユダヤ人差別を利用して借金を踏み倒す話」

なのだが、英国演劇界においては、高利貸しのシャイロックは悪役ながら悲劇的な存在と認識されて、この役を演じるのは俳優にとって非常な名誉とされている。

こうした物語が生まれた背景には、中世キリスト教会が、不労所得を卑しむ立場から信者同士で利子がつく金の貸し借りを禁じた、ということがある。一方キリスト教会の権威を認めないユダヤ人は、堂々と高利貸しを生業とするようになり、この結果ユダヤ財閥が勃興した歴史がある、と長きにわたって信じられてきた。私自身も、そのような解釈に従って文章を発表したことが一度ならずある。

しかしながら最近の研究によれば、金融を事業の柱としていたユダヤ人など、さほど多くはなかったそうだ。理由はまさしく『ベニスの商人』に描かれた世界観の通り、キリスト教徒に金を貸すと踏み倒されるリスクが大きかったからだとか。

そもそも『新約聖書』には金融を禁止あるいは制限する教えなどはなく、中世の教会が利子付きで金を貸し借りしてはいけないとしたのは、単なる「政治的判断」であったらしい。

具体的にどういうことかと言うと、当時のキリスト教会は広大な領地を所有し、地代が主たる財源であった。つまりは民間に金融が盛んになって商工業が興ると、小作農民が相次いで離農するなどし、経済運営上よろしくないという論理だったと考えられる。

わが国では中世と聞いてまず思い浮かぶのは「鎌倉殿」の時代だが、たしかに鎌倉幕府は貨幣経済への移行をよしとせず、年貢による「中世的租税国家」を志向した。あの鎌倉大仏を建立するために、平家の世であった当時に輸入した銅銭を大量に鋳つぶしてしまった、という逸話まである。

イスラムはと言えば、クルアーン(=コーラン)の中で、リバー(アラビア語で利子のこと)を目的として金を貸してはならない、と明確に定められている。

▲写真 定めの夜初日を祝うイスラム教徒(アゼルバイジャン・バクー、2022年4月20日) 出典:Photo by Aziz Karimov/Getty Images

それでは金融そのものが成り立たないではないか、と思われるかも知れないが、世の中、色々なことを考えつく人がいるものだ。

銀行が個人に融資を行う、もっとも一般的な形態は住宅ローンだが、これは誰もが知る通り、購入した住宅を担保にして銀行から金を借り、金利を加えて返済してゆく。

これに対してイスラム金融と呼ばれるシステムは、まず銀行が住宅を購入し、それを「手数料」を上乗せした金額で顧客に転売するのである。早い話が信販会社の業務と変わらず、利子付きの返済ではなく分割払いうことになるので、イスラム法にも抵触しないらしい。

ただ、言うなれば無担保なので、信用調査はかなり厳格であると聞く。ムスリムなら誰でも無利子で金を借りられる、というわけではないのだ。

預金者の立場からしても、杓子定規に言えば銀行から利子を受け取れないことになるが、皆が利益より信仰を選ぶのかと言われると、どうも違うらしい。

実際にある調査期間が行ったアンケートによれば、

「通常の銀行取引とイスラム法に照らして合法的な取引と、どちらを選ぶか」

という設問に対し、「通常の銀行取引」「損をしないのならイスラム法に則った取引」「たとえ損をしてもイスラム法に則った取引」と答えた人が、ちょうど3分の1ずつだったそうだ。

念のため述べておくと、この手の調査はかなり頻繁に行われるので、細かい数字はそれぞれ違う。3分の1ずつというのはごく大雑把な集計である。

いずれにせよ、たとえ損をしても……という表現で利益より信仰を選ぶという人は、もともと多数を占めているわけではない。とりわけ石油成金などは、

「儲かるのならば、ユダヤ資本どころか悪魔が経営する銀行でもかまわない」

という輩が多い。これは断じて都市伝説の類いではなく、中東各地で外交官として活躍し、1000人以上のムスリムと交流した若林博士からの情報である。

ともあれこうした次第なので、無利子で銀行を運営して行くのは現実的ではない。そこで、

「リバーは発生しませんが、合法的な〈配当金〉は受け取れます」

という言い方でもって顧客(=預金者)を獲得しているようだ。

一方、こうした国々で欧米の銀行は活動できないのかと言うと、そういうことはない。

かつて地中海世界に覇を唱えたオスマン帝国は、今の感覚で言っても開明的な国家で、西欧諸国からの資本導入を積極的に進めた。

しかしながら、産業革命に乗り遅れたままの借金財政はいかにも無茶で、19世紀半ばにはとうとう「債務管理局」に財政を委ねることとなってしまう。これは債権者たる各国の銀行が共同で立ち上げた機関で、言うなれば国ぐるみ銀行管理となってしまったのだ

その後、中東のいくつかの国は産油国となり、莫大なオイルマネーが出現したが、かなりの部分が欧米の銀行を通じて運用されている。

逆に言えば、第二次世界大戦後に相次いで油田の開発に成功するまでは、イスラム圏など欧米の銀行にとって魅力がある土地ではなかった。またも若林博士の言葉を借りれば、

「1930年代のサウジアラビアなんて、王族でさえ砂漠の地べたに布を敷いて、手づかみで食事していたような国でしたから」

ということなのだ。

日本の銀行は、こうした動きに乗り遅れている感があるが、今後もしもイスラム圏での事業展開を目指す、ということであれば、選択肢はふたつになるだろう。

前述のイスラム金融を、ひとつの「金融商品」として取り入れるか、

「イスラム法に反してはいるが、利子は高い」

と正直に宣伝するか。

銀行からすれば余計なお世話ではあろうが、後者を選択した場合、イスラム原理主義者に狙われるリスクがある、ということは申し添えておこう。

日本には「地獄の沙汰も金次第」という格言があるし、スペイン語圏には「最良の紳士とはドン・ディネーロ(お金様)」という表現がある。

信仰より経済的な利益を重んじるムスリムがそれほど多いとは、私自身いささか意外に思えたのも事実だが、それがまあ、人の世の偽らざる姿なのかも知れない。

 

<解説協力>:若林啓史(わかばやし・ひろふみ)

1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業、外務省入省。

アラビア語を研修しイラク、ヨルダン、イラン、シリア、オマーンなどの日本大使館で勤務。

2016年より東北大学教授。2020年、京都大学より博士号(地域研究)。『中東近現代史』(知泉書館)など著書多数。

『岩波イスラーム辞典』の共同執筆者でもある。

朝日カルチャーセンター新宿校にて「外交官経験者が語る中東の暮らしと文化」「1年でじっくり学ぶ中東近現代史」を開講中。いずれも途中参加・リモート参加が可能。

(異文化への偏見を廃す その1その2

トップ写真:イスラム銀行の外観、アラブ首長国連邦(ドバイ、2017年1月4日) 出典:Photo by Tom Dulat/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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