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.国際  投稿日:2022/7/13

「イスラム暗殺教団」は都市伝説 異文化への偏見を廃す その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・安倍元首相殺害容疑者は政治性はないと明言。「暗殺(アサシネーション)」と伝える英語メディアは勇み足ではないか。

・「アサシネーション」は語源のアサシン派が「暗殺教団」とされたから。しかし、都市伝説か悪意あるプロパガンダとの見方。

・イスラム一般を危険視すべきでない。その考え方の基礎に、人種的・文化的な優越感情がはらまれているなら、なおさらだ。

 

大変な事件が起きた。

まずは安倍晋三・元首相のご冥福をお祈り申し上げます。

11日の段階で、犯行動機など事件の全容解明はまだ緒についたばかりだが、いずれにせよ無法な暴力は許されることではない。

それは大前提であるが、事件当日の8日、ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏がツイートした一文には憤りを禁じ得ない。いわく

「反省すべきはネット上に無数にいたアベガー達だよな。そいつらに犯人は洗脳されていたようなもんだ」

冗談ではない。

アベガーというのは、なにもかも安倍氏が悪いと決めつけるような人たちに対するネット上のスラングらしい。

▲写真 堀江貴文氏(2021年10月) 出典:Photo by Jun Sato/WireImage

これまで本連載も含め、安倍氏の経済政策やその政治姿勢について批判的な文章を発信してきた者として言わせていただこう。

凶弾に斃れた元首相やご遺族に対する哀悼の気持ちに二心はないけれども、と言って今後も批判すべきは批判する決意は微塵も揺るがない。また相手が誰であれ、上から目線で「反省すべき」などと言われる筋合いはない。

控えめに言っても、容疑者が筋道だった供述すら始めていなかった段階で、このような投稿は軽率にもほどがある。彼以外にも、保守系の著名人や弁護士が似たようなことを言っているが、一番有名であろう人物を名指ししたので、あとは「以下同文」でよかろう。

また、ご案内の通り参院選では与党が大勝したが、今後「安倍元首相の遺志を継ぐ」として憲法改正に前のめりになるようであれば、それは健全な政治姿勢とは認めがたいということは、今この場で明言しておく。改憲論議そのものは大いにやればよいし、私は日本国憲法を一字一句変えてはならないという立場ではないので、賛否を明らかにするのは、改憲案をよく読んでから、ということも。

さて、本題。

日本ではもっぱら「銃撃」「射殺」といった報道がなされているが、CNNやBBCなどは当日から「暗殺 assassination」という表現を用いて報じていた。

これもこれで、英語メディアの勇み足ではないかと思える。暗殺だと言うのであれば、そこに政治的な目的がなければならないが、容疑者は(安倍氏の)政治的信条に対する反感が犯行の動機ではなかったと明言している。

が、今回のシリーズで取り上げるのは、そもそもどうして暗殺を英語でアサシネーションと言うのか、という話をはじめ、異文化に対する偏見・誤解だ。

順を追って解説すると、イスラムの中にスンニ派とシーア派が存在することは日本でも割とよく知られているが、実はシーア派の中にもいくつかの分派が存在する。

ここでは概略のみの解説でお許しを願うが、8世紀末にイスマイール派が誕生し、10世紀末から11世紀にかけて、そのイスマイール派の中からドゥルーズ派やニザール派が生まれた。

この、ニザール派がアサシン派とも呼ばれ、読者ご賢察の通りアサシネーションの語源となった。アサシンのそのまた語源はハシシ(大麻)であるらしい。

彼らは現在のイランの首都であるテヘランの西方にアラムート(鷲の巣)と呼ばれる要塞を築いて、周辺地域を支配していた。

問題はその要塞の中での「信仰生活」で、若者にハシシを与え、殉教すれば天国へ行ける、など洗脳し、暗殺者に仕立て上げていた、というのである。

この話が、十字軍の活動を通じてヨーロッパのキリスト教徒達の知るところとなり、今に至るも「暗殺教団」として知られるようになったわけだ。

ただ、若林博士ら専門家に言わせれば、これは荒唐無稽な都市伝説、もしくは反対派が悪意を持って広めたプロパガンダに過ぎず、鵜呑みにするのは危険だということになる。

たしかにアラムート派は、11世紀の中東において大きな勢力を持った、スンニ派のセルジューク朝から弾圧された。それに対して暗殺という手段で反撃し、宰相アル・ムルクを手にかけている(1092年)。

ならば暗殺教団と呼んでなにが悪いのか、と思われた向きもあろうが、そもそも論から言うならば、これは宗教がらみのテロ・暗殺ではなく、わが国の戦国時代のような勢力争いの中で起きた事件に過ぎない。再び若林博士の言葉を借りれば、

「中東で誰かが死ぬと、ただちに宗教がらみの事件だと思われる。これ自体が大いなる偏見なのですよ」

ということになる。

また、十字軍が彼らに対して恐怖し、暗殺教団の名を広くヨーロッパに知らしめた、と見る向きもあるようだが、前述のように、これは一種の都市伝説で、十字軍の重鎮がニザール派によって暗殺されたと断定できる事例など皆無だ。

そもそも十字軍とイスラムが激突したパレスチナ北方と、彼らの拠点であるテヘラン西方とは2000キロ近い距離がある。パレスチナにも配下がいたとは言え、鉄道もない時代の2000キロは、現代の感覚に置き換えれば、地球の裏側の戦乱に等しかっただろう。

その後くだんの要塞はモンゴルによって陥落した(1256年)が、教団そのものはインド亜大陸に活動の場を移して現在も存続している。当主はアーガー・ハーン4世といい、今ではもっぱら慈善活動を行っていると聞く。

とは言え、今に至るもイスラムと暗殺を結びつけて考える向きが欧米にも日本もあることは、遺憾ながら事実である。これはむしろ、20世紀になってから顕著にみられる傾向だ。

典型的な例が、1988年から90年代にかけての『悪魔の詩』騒動だろう。

インド出身で、当時は英国で暮らしていた作家サルマン・ラシュディが1988年に発表した小説で、預言者ムハンマドの生涯を題材としている。

▲写真 自著『悪魔の詩』を手にするサルマン・ラシュディ氏(1992年4月30日) 出典:Photo by Dave Benett/Hulton Archive/Getty Images

英国内では当初から高い評価を得たが、同時にイスラム圏では、ムハンマドの言動を揶揄するような描写があるとして、反発の声が上がった。英国内にもイスラム圏からの移民が多く、絶版を求めるデモや、集会での「焚書」まで行われた。

そして1989年2月、当時イランの最高指導者であったホメイニ師が、著者および出版関係者は死に値するとのファトワー(法的解釈)を公表し、一気に世界的注目を集めたのである。

▲写真 ホメイニ師によるファトワー公表後、ホメイニ師のポスターを掲げ、「サルマン・ラシュディとアメリカに死を」と叫びながらデモ行進するイランの学生たち(1989年2月1日 テヘラン) 出典:Photo by Kaveh Kazemi/Getty Images

とりわけ日本では、1991年7月11日、日本語版の翻訳者であった五十嵐一(いがらし・ひとし)筑波大学助教授が、大学構内で殺害される事件が起きた。

殺害方法が、ナイフで頸動脈を切る「イスラムの殺し方」であったことや、前述の経緯から、警察も当初から狂信者による犯行を疑っていた。事実、出版記念記者会見にパキスタン人の男が殴り込むという事件も起きていたのである。

いずれにせよ殺人という行為が許されるはずはないが、当の五十嵐氏はホメイニ師による死刑宣告を「勇み足だ」として警察による身辺警護も断り、

「イスラムは本来、大いに懐の深い宗教であるはず」

と述べていたという。

今もイスラム過激派による無法なテロが後を絶たないのは遺憾なことだが、だからと言ってイスラム一般を危険視するのはよろしくないと、私は思う。そのような考え方の基礎に、人種的・文化的な優越感情がはらまれているとすれば、なおさらだ。

 

<解説協力>:若林啓史(わかばやし・ひろふみ)

1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業、外務省入省。

アラビア語を研修しイラク、ヨルダン、イラン、シリア、オマーンなどの日本大使館で勤務。

2016年より東北大学教授。2020年、京都大学より博士号(地域研究)。『中東近現代史』(知泉所管)など著書多数。

『岩波イスラーム辞典』の共同執筆者でもある。

朝日カルチャーセンター新宿校にて「外交官経験者が語る中東の暮らしと文化」「1年でじっくり学ぶ中東近現代史」を開講中。いずれも途中参加・リモート参加が可能。

トップ写真:イスラム教徒(イメージ) 出典:Photo by Ghaith Abdul-Ahad/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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