無料会員募集中
.国際  投稿日:2022/7/30

権力闘争、いや、政権強化が目的 ウクライナ検察・治安トップ解任


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

ゼレンスキー大統領が検事総長と保安局長官を解任

・対露協力者暗躍を封じ込め、総力戦への体制強化が狙い。

・今回のウクライナ検事総長、保安局長官の解任は、国内の権力闘争、路線対立とは異なるものであろう。

 

ロシアとウクライナの戦闘長期化のさなかに、ゼレンスキー大統領が検事総長と治安機関トップの保安局長官を解任、憶測を呼んでいる。

一進一退の戦局をかこっているだけに政権内部の軋轢を露呈したのではとの危惧が流布されるのは予想されたことだが、実のところ、そうした皮相な見方は正確さを欠いているようだ。

現地からの情報によると、検察、治安当局に巣くう対露協力者に警告を与えて暗躍を封じ込め、総力戦への体制をいっそう強化することが狙いという。

そうであれば、むしろ大統領の指導力は健在というべきだろう。

 泣いて馬謖を斬る 

ゼレンスキー大統領の胸の内を、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」だろうと惜し量るのは松田邦紀駐ウクライナ大使(現在はポーランドの臨時事務所で職務遂行)だ。

解任されたベネディクトワ検事総長と、治安機関、ウクライナ保安庁(SBU)のバカノフ長官はいずれもべレンスキー大統領の側近。

ベネディクトワ総長はもともと、ハリキウ大学の法学部教授。大統領同様、俳優出身、法律家に転身して現在最高会議議長をつとめるステンファンチューク氏が、専門家チームに加えることを進言した。短期間で大統領の信任を得て、最高会議議員などを務め、2020年に検事総長に就任した。

バカノフ氏は大統領と同郷の幼なじみ。俳優時代の大統領が共同設立したプロダクション兼スタジオ「クバルタール95(95番街)」の法律顧問を務めていた。

両氏は在任中、今回の戦闘におけるロシアの戦争犯罪の捜査と訴追、ポロシェンコ前大統領の国家反逆罪、テロ支援罪での摘発、訴追などに手腕を振るった。

前大統領は東部の被占領地で、親露派と気脈を通じて石炭購入を企んだ廉(かど)で起訴された。対露強硬派とみられていただけに、その犯罪は内外に衝撃を与えたが、それだけに、その摘発は大きな功績だった。その反面、両氏とも組織のプロパーではなかったので、組織を完全に掌握しきれなかったという弱点も指摘されていた。 

 なお厚い信任、再び重要ポストか

解任されたものの、両氏はなお大統領の信頼が厚いといわれる。

ベネディクトワ氏は、いずれ大使に転出、バカノフ氏も、しかるべきポストを与えられるのではないかとささやかれている。

こうしたことから、ゼレンスキー大統領の意図について、現地では、両氏率いる組織から対露協力者を出した責任を問い、トップを解任することで、検察局、保安局双方に強く警告、組織の引き締めをはかったとの見方が有力だ。

ベネディクトワ氏は解任後、米CNNテレビのインタビュー番組に出演。更迭に至った事情については、ロシアに利用されるとして言及を避けたが、「大統領は最高司令官だ。彼は自身の戦術と戦略をもっている。自らの観点から決定を下す」と、一定の理解を示し、批判めいた発言は一切控えた。

前検事総長の、こうした発言も政権内の「不協和音」を否定する根拠として十分だろう。

 銃突きつけ協力を強制のケースも?

今回、600件にのぼる対露協力が摘発され、60人以上が訴追されたが、ロシアとウクライナの戦闘をめぐっては当初から、相手方への内通者の存在がささやかれていた。春先に双方の間で行われた停戦交渉の席についていたウクライナ代表団のなかにもいたといわれているから驚きだ。

今回の解任劇の引き金となった検察、保安局要員による対露協力の具体的実態は明らかにされていないが、ロシアへのもともとの同調者に加え、職を失うことを恐れて被占領地にとどまった保安局員、検事がロシア軍から銃口を突き付けられて、やむなく協力したケースもあったとみられている

■ 戦犯追及に影響なし?

懸念されるのは、今回の解任劇で、今後のロシア戦犯の捜査、訴追、対露協力者取り締まりに影響が出る可能性だ。

ゼレンスキー大統領は7月27日、オデーサ出身の弁護士で最高会議議員のアンドリュー・コスチン氏を新しい検事総長に任命した。

氏はやはり大統領の信任が厚いといわれ、ロシアの侵略前まで、ウクライナロシア、OSCE(欧州安保協力機構)3者による「連絡調整グループ」政治部会のウクライナ側代表代行をつとめていた。

連絡調整グループは2014年のロシアによるクリミア併合後に設置され、コスチン氏は過去の経緯を含めた情勢に明るく、検察の今後の活動への支障は少ないという見方が支配的だ。

保安局では現在、ナンバー2が指揮を執っているが、こちらもまもなく長官が指名される見込みだ。

■ ロシアで起きてほしい政権の〝不協和音〟  

他国と矛を交えている交戦国内で、しばしば路線対立や権力闘争、敵方への通謀によって政権に揺らぎが生じることは時の古今、洋の東西を問わず、稀なことではない。

現代史を紐解いてみても、太平洋戦争中に首相兼陸相、参謀総長を兼任して巨大な権限を手中にしていた東条英機大将ですら、独裁色の強い強権政治、戦争指導の不手際を批判され、当時の重臣、海軍などの倒閣の動きに堪えられなかった。

後任の小磯国昭内閣も、日中戦争だけでも収束させようと蒋介石の国民党政権との和平工作を画策したものの、外務省などが反対、頓挫し政権を投げ出さざるをえなかった。

その蒋介石政権にしても、日中戦争のさ中、蒋と政権ナンバー2で日本との和平派、汪兆銘との対立が激化、汪は1940年に日本の占領地に南京政府を樹立した。実態は日本の傀儡政権だった。

今回のウクライナ検事総長、保安局長官の解任が、こうした範疇に属する権力闘争、路線対立とは異なるのは安堵させられよう。

これがロシアで起きてプーチン政権の崩壊につながるようなことになれば、慶賀に堪えないというべきだろう。

トップ写真:リトアニア大統領との共同記者会見(2022年7月28日にウクライナのキエフで) 出典:Photo by Alexey Furman/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."