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.国際  投稿日:2023/10/20

TVで「ウクライナ侵略反対」呼びかけた女性編集者、毒物盛られる?


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・ニュース放映中に、ウクライナ侵略を糾弾し、その後フランスに亡命していたロシア国営テレビの元編集者がパリ市内で突然倒れ病院に救急搬送。

・生命に別条はなかったが、本人が当初、毒を盛られたかもしれないと話し、後に否定したものの、検察がアパートを捜索。

・真相はなお不明だが、ロシアは過去にも反政府運動指導者や国外に亡命した情報機関員らを毒物で襲撃する事件を起こしており、今回の事件は、冷酷、残虐な事件をあらためて想起させる。

 

■ 自宅出た直後、意識失い救急搬送

 マリーナ・オフシャンニコワさんは10月12日朝、パリのアパートを出たとたんに、気分が悪くなり意識を失った。

 病院に救急搬送され、数時間後には快方に向かったが、本人は搬送直後、「ドアノブに白い粉が付着していた。毒を盛られたのかもしれない」などと話した。

後刻、これを否定したが、患者の経歴、仏入国のいきさつなどを考慮した検察、警察当局は、事態を重視、アパートの遺留物収集など捜査を進めている。

 

■ ニュース放映中にカメラに向かい「戦争やめろ」

 オフシャンニコワさんはロシア国営テレビ「チャンネル1」のニュース編集担当者だった2022年3月、ひと月前に始まったウクライナ侵略に抗議して、ニュース放映中にキャスターの背後から「戦争をやめろ。プロパガンダに騙されるな。彼らはうそをついている」などと手書きの大型ポスターを掲げ視聴者に訴えかけた。

 罰金刑を科されて職を追われ、7月には政府に対する抗議集会に参加、一時身柄を拘束されたが、その後「国境なき記者団」の手助けによってフランスへ出国した。

23年8月になってモスクワの裁判所は本人不在のまま、軍に対するうウソの情報を流布させた罪で禁固8年半の判決を宣告した。

 

■ 反体制指導者に神経剤「ノビチョク

体調回復後、本人が毒殺未遂の可能性を否定したと伝えられることもあって、真相はなお未解明だが、これまで、ロシア国内、欧州では同国が関与しているとみられる毒殺、同未遂事件が起きており、今回も同様の構図ではないかとの疑念が指摘されている。

 記憶があたらしい最近の例としては、ロシアの反体制運動指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏が2020年8月、航空機内で瀕死の状態に陥った事件がある。

 西シベリアのトムスクの空港からモスクワに向かう便に搭乗したナワリヌイ氏は離陸直後から苦しみはじめ、緊急着陸したオムスクの病院に搬送された。

トムスクの空港で飲んだお茶に毒物が混入していたとみられる。

 病院関係者は直後、「毒物摂取の可能性があるので緊急治療室に収容した」と説明したが、翌日には「毒物の兆候はない。自然な中毒かもしれない」と前言を翻した。

 夫人の強い要求もあり、氏はドイツ・ベルリンの大学病院で治療を受け生命の危機は脱したが、しばらく入院を余儀なくされた。

 ベルリンの病院や軍の病院が調べたところ、「ノビチョク」と同系統の薬物が検出されたという。

 この薬物は、1970年代―90年代初めにロシアで開発された神経剤で呼吸器を麻痺させる作用がある。

 ドイツ政府報道官は、これによる中毒であることに「疑いの余地はない」と断定。メルケル首相(当時)は、「ナワリヌイ氏を沈黙させることが目的だった」とロシアを非難。アメリカ、イギリスに加えEU(欧州連合)各国も同調した。

 ナワリヌイ氏は21年に帰国後に拘束され、過激派団体を設立した罪などの名目で、22年3月に懲役9年、23年8月に19年の判決を受け刑務所に収監されている。ロシア内外で釈放を求める声が高まっている。

写真)イタリアのロシア人コミュニティの活動家が、現在ロシアで投獄されている野党の指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏とすべてのロシアの政治犯の自由のために行ったサンティアポストリ広場でのデモ イタリア・ローマ 2023年1月21日

出典)Simona Granati – Corbis/Getty Images

 

■ 亡命した元スパイの家に神経剤

 ノビチョクによるテロは、この時が初めてではない。

 2018年3月、イギリス南西部の小都市ソールズベリのショッピングセンターのベンチで、ロシア参謀本部情報総局の元大佐とその娘が倒れているのが見つかった。

 幸い、娘は軽症だったが、当時66歳の父親は一時重体に陥り、かろうじて生命をとりとめた。

 スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)が父親の自宅を調べたところ、玄関ドアから高濃度のノビチョクが検出された。ドアに触れれば体内に取り込まれるように細工されていたという。

元大佐は現職中、イギリスの工作員だったとしてロシアで禁固刑を受けたが、スパイ交換で釈放された後、英国に亡命していた。娘はモスクワから父親を訪ねてきて被害にあった。

 国を追われて海外でひっそりと暮らす高齢の元スパイと、祖国から訪ねてきた娘とのつかの間の語らいさえ狙う冷酷、執念深さには、戦慄するほかはない。

 

写真)ロシアの情報機関員であるセルゲイ・スクリパリ氏とその娘ユリア親子が毒殺未遂にあった現場で化学防護服を着用して捜査する警察官ら。イギリス・ソールズベリー 2018年3月13日

出典)Christopher Furlong/Gettty Images

 この事件をうけて英国、これに同調した米政府、EU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)など30か国近くが、ロシア外交官を国外追放、ロシアも報復として同様の手段をとり、双方の激しい対立に発展した。

 ちなみにこの時の日本政府の対応はどうだったか。

 外交官追放合戦が続いていた3月下旬、英国のメイ首相(当時)が安倍晋三首相(同)に電話、事件の経過を説明したが、安倍氏は「化学兵器の使用は容認できない。犯人は処罰されるべきだ」と述べたにとどまった。

 メイ首相は、日本に対してほかのG7(主要7か国)と同様の手段をとってほしいと伝えたのだろうが、われ関せずとしか思えない安倍氏の態度に失望しただろう。

 つけ加えれば、河野太郎外相(当時、現デジタル相)は翌日、東京でロシアのラブロフ外相と会談、昼食会でラブロフ氏の誕生日を祝うケーキをふるまうなど歓迎、各国と180度異なる対応を見せた。

 

■ 日本料理店のお茶に放射性物質

 ロシアによる毒殺テロにはさらにおぞましいケースがある。

 2006年に旧KGB(ソ連国家保安委員会)、FSB(ロシア連邦保安庁)の元中佐がロンドン市内の日本料理店で飲んだお茶に、あろうことか高濃度放射性物質ポロニウム210が混入され、中佐は2週間後に亡くなった。

 死の直前、頭髪が抜け落ちた姿でインタビューを受けた中佐は、最後の力を振り絞ってロシアを告発した。

 プーチン大統領の政敵暗殺を命じられて拒否、イギリスに亡命したが、組織からの追手の魔手にかかった。

 不特定多数の客が出入りするレストランでの放射性物資使用は、巻き添え被害の恐れが強く、まさに、目的のためには手段を択ばぬ凶悪な所業というべきだろう。

 

 

写真)ユニバーシティ・カレッジ病院の集中治療室にいるロシア連邦保安庁の元職員であり、ロシアに対する反体制活動家で毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコ氏 イギリス・ロンドン 2006年11月20日

出典)Natasja Weitsz/Getty Images

毒物を用いたこれら一連の事件からは、旧ソ連、ロシアでは、銃殺など政敵粛清のための乱暴な手段だけでなく、毒殺という陰湿な手口も頻繁に用いられていることをうかがわせる。

 

■ロシア関与なら報復、日本「我関せず」許されぬ

 オフシャンニコワさんのケースに戻ると、問題の真相はいまだ明らかになっておらず、このままうやむやで終わる可能性もある。

 仮にロシアの関与が明らかになった場合、オフシャンニコワさんのテレビ抗議が各国で共感を呼び、発端がウクライナ侵略だったことを考えれば、ロシアに対する非難はよりいっそう高まり、フランス政府はじめ各国によるあらたな制裁という事態に発展するだろう。戦争犯罪としての捜査対象になる可能性もあるかもしれない。

 気になるのは日本の対応だ。これまで、この種のテロに反応が鈍かっただけに、そうなったときどうするか。

 侵略直後こそ、各国と協調してウクライナ支援、ロシア制裁で健闘したが、各国が武器供与などに踏み切っている現在、憲法上の制約があるにせよ、やはり見劣りは否定できない。

 今年はG7議長国だ。

 消極的な、あえて言えばロシアを利するような弱腰の姿勢をとれば、こんどこそ各国の失望を招く。重要な国際問題についての協議が6か国だけで進められるケースはすでに時折みられるが、G7からの〝日本除外〟はいよいよ鮮明、頻繁になってしまうだろう。

トップ写真:ドイツWECC-WesthafenEvent&ConventionCenterで開催された「シネマ・フォー・ピース・ガラ2023」に出席したロシアのジャーナリスト、マリーナ・オフシャンニコワさん ドイツ・ベルリン 2023年2月24日

出典:Tristar Media /Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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