トランプ氏、政治的窮地に
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2022#34」
2022年8月29日-9月4日
【まとめ】
・秘密保持に関する米国内法に対する違反でトランプ氏、起訴される可能性。
・仮に起訴され有罪なら、トランプ氏の政治生命は浮動票の行方次第。
・その場合、トランプ氏が出馬断念か、代わりに「より賢い」トランプ主義者が出てくるか、共和党内部の力関係次第。
8月に入りトランプ前大統領が政治的窮地に陥っている。8日、FBIはフロリダ州マーアラゴにあるトランプ邸を大々的に家宅捜索し、トランプ氏の金庫まで開けた上で、ホワイトハウスから持ち出したとされる機密文書等を押収した。最悪の場合トランプ氏自身が起訴される可能性もあるのだが、日本メディアの扱いは意外に小さかった。
28日付日経電子版はこの事件につき、「トランプ氏邸宅に184の機密文書、米司法省、捜索根拠を開示」との見出しで、短い記事を掲載している。簡にして要を得た内容であり、記事自体に文句はない。されど、これだけではFBIの家宅捜索がどれほど政治的に深刻な事件かは伝わってこない。まずは記事と筆者のコメントから。
●米司法省は26日、連邦捜査局(FBI)がトランプ前大統領の邸宅を家宅捜索した理由を記した宣誓供述書を開示した。
【英米法では、家宅捜索につき裁判所の許可を得る場合、捜査官は捜索令状を請求する際に「宣誓供述書」を添付するらしい(筆者は英米法の専門家ではないので、あくまでこういう書き方しかできない)】
●米国立公文書記録管理局(NARA)が1月に押収した資料に「国家防衛情報」を含む計184の政府の機密文書を確認したと説明。その後の調査も踏まえ、ほかにも機密文書が残っていると判断し、捜査に踏み切った・・・。
【今回FBIは、米国内法上犯罪となり得る「連邦記録の隠蔽・持ち出し、連邦捜査記録の破壊・改竄、防衛情報の伝達」だけでなく、「司法妨害」という犯罪行為が行われた証拠があると信じるに足る根拠があるとしている】
▲写真 2022年8月27日にカリフォルニア州で行われたトランプ前大統領のマーアラゴの不動産に対する FBI 捜査令状宣誓供述書のコピー 出典:Photo Illustration by Mario Tama/Getty Images
そもそもこの「宣誓供述書」とは何なのか。専門家によれば、「宣誓者本人が把握している情報を基に作成した供述書の内容が真実であることを、特定の国家資格保有者の立会いのもとで、宣誓した上で署名した書類」だそうだ。今回の場合は、捜査員が公平な第三者の立会いの下、宣誓の上で作成した供述書ということになる。
当然ながら、家宅捜索直後から、この32ページの宣誓供述書の公表をめぐっては大きな議論が巻き起こった。宣誓供述書の中でFBI捜査官は、米国立公文書館(NARA)が1月にマールアラーゴから回収した15箱分の文書から「国防情報」と記された機密文書が多数発見されたことを指摘していたからだ。
司法省が同供述書に司法省が情報入手先に関する情報が含まれている可能性が高いので拒否したのに対し、トランプ側はチーム内の情報源が提供したとしか思えないので、それを知るべく公開を求めたと報じられた。最終的に米司法省は26日、令状取得の際の宣誓供述書を機密情報などの一部情報を編集した形で公開している。
この編集済みの宣誓供述書、付属書類も含め全体で55ページあるが、その半分以上は黒塗りになっている。黒塗り部分の多くはトランプ氏邸宅にある機密文書の内容や、その保管場所について情報を提供した人物等に関する「機微な」情報だろう。供述書全体を読んでみたが、第一印象は極めて事務的な体裁と内容だった。
NARAによれば、家宅捜索前の段階で既に700ページ以上の「TopSecret」を含む機密文書が回収されたが、今回の家宅捜索でも「TopSecret」と記された文書を含む11点の機密文書が押収されたという。うーん、これはトランプ氏にとって政治的に相当ダメージが大きいような気がする。
トランプ氏側は司法省に対し、トランプ氏には機密文書を秘密解除する大統領権限がある、フロリダ州連邦地方裁判所の判事は家宅捜索を許すべきではなかったなどと主張した。共和党系議員の多くもトランプ氏を擁護しているが、親トランプのタッカー・カールソンですら「トランプは起訴されそうだ」と述べているから事態は深刻である。
事実関係はこのくらいにして、最後に、現時点での筆者の見立てを書こう。
●今回は秘密保持に関する米国内法に対する明確な違反と言わざるを得ないので、トランプ氏自身が起訴される可能性すらあるだろう。その場合、トランプ氏は政治的にどの程度のダメージを被るかは、起訴の有無、起訴の場合の罪状、有罪の場合の罰金や求刑の多寡により異なるので、現時点では予測困難である。
●他方、仮に起訴され有罪となっても、ダイハードのトランプ主義者のトランプに対する支持に変わりはないだろうから、トランプの政治生命は浮動票の行方次第ということになりそうだ。
●となると、やはり法律に違反し、起訴され、有罪となれば、浮動票を引き付けておくことは難しくなるだろう。その時点で、トランプが出馬断念に追い込まれるか、代わりの「より賢い」トランプ主義者が出てくるかは共和党内部の力関係次第だろう。
●仮に、トランプが起訴・有罪となり事実上失脚したとしても、民主党に有利とは限らない。バイデンが再出馬とでもなれば、民主党大統領がホワイトハウスに居残れるとは思えないからだ。いずれにせよ、大統領選まであと2年もある。状況はこれから星雲状態、すなわちAnything can happenとなる可能性が高いと思う。
〇アジア
中国人民銀行が人民元の中心レートを1ドル=6.8802元に設定したが、これは予想に比べ大幅な元高水準だという。マーケットは、投機的ポジションの急増を踏まえ、人民銀が警戒を強め、元の下支えに向けて動いたと受け止めたようだ。中国経済の動きは政治軍事とは別に要注意事項である。
〇欧州・ロシア
ロシア軍が占拠するウクライナ南部ザポリージャ原発で、敷地内の建物の屋根に穴が4つ空いていることが衛星画像で明らかになったという。ロシア任命のザポリージャ州指導者は「ウクライナ軍による原発への攻撃で空いたものだ」と主張したそうだが、それを額面通り信じる人は少ないだろう。いずれにせよ、不気味である。
〇中東
米軍のアフガニスタン撤収完了から30日で1周年となるが、アフガンに対する米国内の関心はすっかり低下し、あれほど厳しかった撤収当初の混乱をめぐる政権批判も今は誰も口にしない。外交・安保の優先順位が中露との大国間競争に移っているというが、これではアフガニスタンに再び「力の真空」が生まれることは必至だ。
〇南北アメリカ
NSC戦略広報調整官が「近年中国への傾斜を強めるソロモン諸島が今月下旬、米沿岸警備隊の巡視船の寄港を許可しなかった」、「ソロモン政府の判断は遺憾だ」と述べたらしい。可哀そうなソロモン諸島、米中の狭間で双方から圧力が掛かっている証拠だろうが、これには米国の慢心もあったのではないか、気になるところだ。
〇インド亜大陸
パキスタンが歴史的な洪水に見舞われ、全土の3分の1が完全に水没したと報じられた。本当か?復興には100億ドル(約1兆4000億円)以上かかるそうだが、一体誰が支援するのか、気になるところだ。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きはキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:ニューヨーク司法長官レティーシャ・ジェームズと会うためにトランプタワーを出るトランプ氏(2022年8月10日、アメリカ・ニューヨーク市) 出典:Photo by James Devaney/GC Images
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。