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.政治  投稿日:2022/9/20

安倍晋三氏を悼むアメリカ 最終回 超党派の支持と好評


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

 

【まとめ】

・「軍国主義復活」などと日本国内での安倍氏政策への糾弾は激しかったが、虚構の悪魔化だという現実が判明していった。

・アメリカで共和党、民主党問わず安倍氏の世界観、安全保障観への評価が徐々に拡大。特に戦後70年の議会演説は好感された。

・安倍氏の「自由で開かれたインド太平洋」構想はトランプ、バイデン両政権の主要政策に。安倍氏政策が確実に継承されるよう切望する。

 

しかし日本国内でも安倍晋三氏の政策への敵対は激しかった。安倍氏の日本を正常な国にしようとする努力は「戦前の軍国主義の復活だ」などというプロパガンダ的な攻撃を受けた。安倍氏の推進した一連の法律にも「日本が侵略戦争を始める」「徴兵制が始まる」「言論の自由が弾圧される」というおどろおどろした糾弾が浴びせされた。

 

だが現実にはそんな事態はまったく起きず、反安倍の糾弾は虚構の悪魔化だという現実が判明していった。

 

この日本での左翼陣営による安倍叩きはアメリカにも飛び火したかにみえた。2006年から7年にかけて、第一次安倍政権が登場し、たまたま日米両国で日本の戦時中の慰安婦が問題にされ始めた時期だった。

 

いまからみればアメリカではごく一部の過激な左翼リベラルの学者がニューヨーク・タイムスを利用して安倍叩きを試みる、という程度だったといえる。だが結果として安倍氏に対して、軍国主義者、タカ派ナショナリストというようなレッテル言葉が貼りつけられた。

 

アメリカの女性学者がネット論壇で「安倍晋三はthugだ」などとののしった実例もあった。thugというのは、悪者とか刺客という意味である。コネチカット大学の教授のアレクシス・ダデンという研究者だった。この人は韓国の官民と密接な絆があり、後に韓国の学術団体から安倍氏を批判したことを実績とされて、なんとか平和賞という賞を受けていた。

 

アメリカでの安倍氏への評価が大きく変わり始めたのは実は同氏の在野時代だった。一期目の首相の座を降りた後、野党の代表としてアメリカの各界の人たちと会う。ちょうど二代目ブッシュ政権の時だったが、まず保守派の人たちが安倍氏の長所を理解して、民主主義そして日米同盟という共通項によって共存していくよきパートナーとして快く丁重に迎えてくれたのだ。

 

二代目ブッシュ政権にいたチェイニー副大統領とかラムズフェルド国防長官とか、民間ではハドソン研究所のワインシュタインという所長などだった。ワインシュタイン氏はトランプ大統領に駐日大使に任命されたが大統領選挙でトランプ氏が負けたため大使にはならなかった。しかしそうした要人たちが、在野の安倍氏を招いて非常に温かく扱うということが何度もあった。

 

またハドソン研究所の副所長ルイス・リビー氏も安倍氏の有力な支援者だった。チェイニー副大統領の首席補佐官を務め、国務、国防両省でも高官だったリビー氏は安倍氏の世界観、安全保障観にまったく共鳴したと述べ、安倍氏の魅力や長所をアメリカ議会などに向かって知らせるうえでの貴重な貢献をしてくれた。

 

共和党側に多かった安倍氏への高い評価や温かいもてなしはやがて民主党側へも広がった。安倍氏自身のワシントンでのアメリカ一般への語りかけが好感の輪を広げたともいえる。その間、日本では民主党政権の鳩山由紀夫首相らが米側の民主党オバマ政権を失望させる言動を重ねたことも在野の安倍晋三評価を米側で高める要因の一端になったといえる。

 

安倍首相による2015年の戦後70年演説の効果も大きかった。連邦議会の上下両院合同会議でのこの演説では安倍氏は日本の民主主義を強調し、対米協調路線を明示して、戦争についても単に謝るという態度はもうみせなかった。

 

写真)米議会上下両院合同会議で演説する安倍晋三首相(当時)(2015年4月29日)

出典)Photo by Mark Wilson/Getty Images

 

安倍氏の英語はかなり上手だった。流暢とはいえないけれども事前に十二分の準備をして、本当に一生懸命に話していた。ふつうの英米のネイティブの人たちによく通じる英語だった。戦後70年演説は歴代の日本の首相の同種の談話と異なり、戦前の日本がすべて悪かったという態度はもうみせなかった。もう謝罪することはこれで終わりにしたいという態度をみせていた。日米両国は全力で戦い、アメリカが勝ったのだ、という素直な総括を示した。だからもう決着はついているのだ、というような表現だった。

 

この率直なメッセージは意外なほどアメリカ側で好感を招いたといえる。そしてその後の安倍氏の「自由で開かれたインド太平洋」構想がアメリカ側のトランプ、バイデン両政権に共鳴を呼び、それぞれの政権の主要政策として打ち出されていったのだ。その過程で安倍晋三という日本の指導者への高い評価が確立されていったのである。

 

写真)米議会上下両院合同会議での演説に際し、議員らから拍手や握手で歓迎される安倍晋三首相(当時)(2015年4月29日)

出典)Photo by Mark Wilson/Getty Images

 

だがその安倍氏はもういない。自らの精魂のすべてを賭けた日本をよりよい国、より正常な国にするための政治努力の最中に、むごたらしさのきわまる方法で殺されてしまった。

 

私は改めてその惨劇に限りない怒りと悲しみを感じる。そして改めて安倍氏への心からの弔意を表したい。

 

そのうえで安倍氏の政策の基本が薄闇を明るく照らすトーチのように後継の政治指導者たちに確実に継がれていくことを切望する次第である。

 

(終わり)

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◎この記事は雑誌WILLの2022年10月号掲載の古森義久氏の論文「ワシントン報告 安倍元総理の死―悲嘆にくれるアメリカ」の転載です。

 

 

トップ写真:米議会上下両院合同会議で演説する安倍晋三首相(当時)。後方左はバイデン副大統領(当時)。(2015年4月29日)

出典:Photo by Mark Wilson/Getty Images

 

 




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