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.政治  投稿日:2023/3/16

ガーシー除名、高市辞職騒ぎ 国会の狂乱は民主主義衰退の象徴だ


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・当選以来登院を拒んできた参院議員が議席をはく奪されたが、除名と聞いて思い出すのは戦前の反軍政治家斎藤隆夫。

・しかし2つのケースは全く異なる。斎藤は戦争批判をしたための議席はく奪、いわば不当な除名だったが、今回は職務放棄という比較にならない次元の低い理由だ。

・斎藤はその後の選挙で圧勝、復帰する。暗黒時代の有権者は軍部批判の政治家に喝采を送り、自由を享受する今日の有権者は「登院せず」を公約する候補を支持する。国民の意識は戦前の方が高かったというべきか。

 

国会法に違反して欠席を続けて、陳謝の機会を与えられながら無視を決め込んできたのだから、〝打ち首〟もやむを得ないだろう。

新憲法下での過去2回の除名はいずれも議場での言動が問題視されたケースというが、今回は、当選以来、一度も登院せずに欠席を続けたというお粗末な理由だった。

除名をめぐって、憲政史上、語り継がれているのは、戦前の斎藤隆夫代議士のケースだ。

斎藤は軍部糾弾、戦争を批判する演説をあえてして議会を追われた。

軍部独裁を阻止しようとした斎藤と、働かずして歳費だけもらっていたガーシー某。この落差はどうだ。こういう議員の跳梁を許した有権者の責任も問われるべきだろう。

■的はずれな「不登院は公約の実行」

今回の除名騒ぎのてんまつについては詳しく報じられているので繰り返す必要はあるまい。

比例代表で28万票数獲得したガーシー前議員は、「公約のもと、日本に帰らないですよ、海外にいながら国会議員をしますよって言ったら、受かったわけよ」(テレビ朝日、3月14日のニュース)ーと、不登院はあくまで公約の実行と主張していた。

しかし、国会法5条は「召集詔書に指定された期日に各議院に集会しなければならない」と規定している。オンライン出席を認めるという法律、規則が現時点ではあるわけでもない。

自分に投票してくれた人というが、憲法でも国会議員は全国民の代表となる。考え方として間違っている。」(世耕弘成・参院自民党幹事長)という指摘につきるだろう。 

ガーシー某については警視庁が逮捕状請求したという。起訴、有罪・無罪が決まったわけではないにせよ、本人が恐れていた身柄拘束が現実になる可能性が出てきた。

■戦前の反軍政治家は戦争批判で除名

戦前の帝国議会での斎藤隆夫除名事件と今回の騒ぎを比較するのは、あまりに次元が違いすぎて、反骨の政治家、故斎藤翁に礼を失するのではないかと懸念したくなるが、その経緯はこうだ。

日華事変勃発から約2年半後の昭和15年2月2日の衆院本会議、斎藤(民政党、兵庫5区)は、米内光政首相の施政方針演説に対する代表質問に立った。

10万人以上の戦死者を出しながら解決できない政府、軍の不手際を斎藤は指弾、いつ解決するのか国民に示せと迫った。

「10万の将兵が戦場に屍を埋め、数十万の将兵はいたましく戦傷に苦しみ、百万の将兵はいまなお戦場で苦難と戦っている」(「官報」昭和15年2月3日、国会図書館デジタルコレクション)と戦局がかならずしも有利ではないことを指摘したが、クライマックスは議事録から削除された部分だ。

「この事変の始末をつけなければならぬところの内閣、出る内閣も、出る内閣も、輔弼の重責を誤って辞職する。内閣は辞職をすれば済むが、事変は解決しない。護国の英霊はよみがえらないのであります」 (「証言・私の昭和史2 東京12チャンネル編  學藝書林)。

理路整然、しかし舌鋒鋭い攻撃だった。

■有権者の心意気、兵庫5区の選挙民

「すばらしい演説でしたね。のちに除名するような態度をとった議員連中も、すっかり魅せられて大拍手でした」。

議場にいた社会大衆党の片山哲議員(戦後、首相)の回想だ(「私の昭和史2」)。

しかし、軍部が「聖戦を侮辱している」と反発したことから一転、その夜のうちに除名問題に発展する。斎藤は懲罰委員会で堂々と弁明の論陣を張ったが、気骨ある10数人の議員を除いて全政党が除名に賛成、翌月、議会を追われた。

本来は結束して同僚議員を擁護すべきだった政党は、こぞって軍に迎合、自らその存在意義を放棄した。

朝日新聞記者として議場で取材していた入江徳郎(戦後「天声人語」担当、ニュースキャスターなどをつとめる)によると、斎藤は、演説の当夜、自邸で「次の選挙でまた僕は出てくるさ」といっていたが、寂しさはを隠し切れなかったという(同)。

斎藤は言葉通り、昭和17年に行われた翼賛選挙では非推薦にもかかわらず兵庫5区で見事トップ当選、返り咲きを果たした。

入江は「有権者は立派だった」(同)とたたえるが、憲兵の監視が厳しいなか、反軍演説を行った政治家を支持する多くの選挙民が票を投じたことは、民主主義ではない時代における、ささやかな民主主義の実践と映る。 

■醜態ぶり、目を覆うばかりの今国会

今国会では、ガーシー議員の除名騒ぎだけでなく、閣僚と野党議員との議員辞職問答など同様の醜態がみられる。

放送法の中立性に関する総務省の内部文書をめぐって、信ぴょう性を否定する高市早苗経済安全保障担当相(文書作成時の総務相)に野党議員が、ホンモノの文書だった場合、議員辞職するかと迫り、高市氏も「結構だ」と応じた。

事実解明がなされる前に辞職を求める方も求める方だが、いとも簡単に応じる方も応じる方だ。主権者たる有権者の存在を忘れ、議員の地位を権力闘争の具として、与野党だけで「辞める」「辞めない」などと議論することなど許されることではない。

太平の世とはいえ、国会の狂乱ぶりには目を覆うばかりだ。

平和と自由の恩恵を享受する今の時代の国会に比べ、戦時下で暗黒時代のそれが、よりまっとうで活力に満ちていたとは。

日本の民主主義は明らかに劣化してしまったというべきだろう。

トップ写真:衆議院(本会議場、1937年9月1日)出典:Bettmann / GettyImages




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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