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.政治  投稿日:2023/5/22

「けんか山」を日本、いや世界に売り込め「高岡発ニッポン再興」その80


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・高岡市には「けんか山」の異名を持つ、勇壮な「伏木曳山祭」がある。

・「青森ねぶた祭」など、祭りは地域経済への波及効果が大きい。

・国宝「勝興寺」とセットで「けんか山」を世界に売り込むチャンスが到来した。

 

いつもはひっそりしている高岡市の港町、伏木地区。5月20日は異様なエネルギーを発散していました。「けんか山」と呼ばれる伏木曳山(ひきやま)が行われていたからです。最大の見どころは、山車が互いにぶつかり合う「かっちゃ」です。私はアフターコロナを見据えて、全国に発信できる高岡の大事な観光資源だと、改めて感じました。

目の前で、2基の山車が「イヤサー」というかけ声を出しながら動きます。数十メートルほど離れた2つの山車。「総代」の笛の合図で、若者たちは、綱を引きながら、一斉に走り出す。山車の先端につけた「付長手(つけながて)」という大木がぶつかります。ドーンという音が響き渡ります。提灯は衝撃で、大きく揺れます。時には外れることもあります。私も思わず興奮しました。

お互いが納得するまで何度もぶつかります。最終的には総代同士が見物客の前で話し合い、握手で終終わります。「付長手」は樫の大木で、直径30センチから40センチ。長さは4.7メートル。

「イヤサー」というのは、ますます栄えるという意味です。「かっちゃ」を繰り広げるのは、山車6基。それぞれおよそ360個の提灯をつけ、夜の町にくっきり浮かび上がる。この提灯山車は、重さ8トン、高さ8メートルほどです。

この提灯はいわば“戦闘服”です。山車は、昼間には別の表情を見せます。花飾りをつけた豪華絢爛な花山車です。ご神体も、供えられています。神座には大人形、前部に前人形が置かれています。ご神体、大人形、前人形ともに、提灯山車にはつけられていません。昼と夜とで全く違うのです。

けんかはしませんが、昼間の花山車もスリリングです。何度も細い道をカーブします。曳き手が声を掛け合いながら、重い山車を押します。狭い道では、あわや住宅の窓ガラスにぶつかりそうな場面にも出くわしました。ギリギリで、衝突を回避する技に感嘆しました。道路のコンクリートが削れ、山車が通った後には、関係者が掃除します。

曳き手は朝の6時から、夜の12時まで携わります。休憩はあるのですが、交代なしで18時間です。曳き手は、飲酒も御法度となっています。「けんか山」という言葉は物騒だが、節度ある祭りとなっているのです。

この祭りは、日本3大喧嘩祭りのひとつとも言われ、200年ほど続いていますが、去年時代に合わせてある「変化」を見せたのです。

開催日は5月15日と決まっていたのですが、去年から、5月の第3金曜日、土曜日にしたのです。担い手が参加しやすいようにするためです。文化の継承という点での変革と言えます。また、週末ということもあり、観光客にとっても、訪れやすいのです。

そして、私は去年、今年とこの祭りを訪れ大きな可能性があると実感しました。やり方次第では、全国から観光客が殺到するのではないか。スリリングで、エンタメ性があります。しかも、昼間の花山車と夜の提灯山車と、二面性があることも興味深いです。

うまく、全国に伝われば、「けんか山」は北陸屈指の祭りになるかもしれないと感じました。どうすればいいのか。地域の祭りはどのようすれば、全国版になったのか。そしてその経済効果はどうなのか。私は全国を調べました。

日本経済新聞は、地域経済に最も影響力のある祭りについて、「青森ねぶた祭り」と伝えています。6日間の期間に、国内外から285万人を集客します。それは、青森市の人口の10倍。経済効果は382億円で、県のGDPの1%稼いでいるといいます。ホテルや交通機関、飲食物産展などが潤っているが、それだけでない。参加型の祭りとして、衣装の販売やレンタルで、呉服店やクリーニング店などにも効果が波及しているといいます。ねぶたが全国版になったのは、1960年代に観光協会が全国にPRし、70年代に企業が続々とスポンサーについたためだとしている。

翻って我が故郷、高岡。伏木地区は、かつて北前船の寄港地として大いに繁栄したが、今や人口減に悩まされ、空き家が急増している。ちょうど、去年は勝興寺が国宝に指定され、観光客が急増しています。コロナも落ち着きを見せている今、「けんか山」とセットで、全国、いや世界に売り込むチャンスが到来しました。

トップ写真:伏木曳山(ひきやま)祭の様子(筆者撮影)




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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