[瀬尾温知]<2014FIFAワールドカップのPK戦>ブラジル国民は選手の1人になった気分でテレビにかじりつく
観衆はいつしかピッチの上に立たされていた。自国開催の決勝トーナメント1回戦、ブラジルは、ここで敗退するわけにはいかない。
息苦しい120分間の戦いが終わっても、1対1で決着はついていなかった。PK戦は、先に進出するか、それともその場で敗退するかの命運が、キッカーの足から放たれるボールの行方にゆだねられる。
フッチボール(ポルトガル語でフットボールのこと)に過分な情熱を捧げる国民の願いは、トロフィーを頭上に掲げるまで祭り気分を楽しむこと。蹴ったボールがネットを揺らさなければ、この大会に懸けている国民から娯楽を奪うことになる。
とてつもなく重いPK戦。日々の生活の中で、プレッシャーという言葉をいかに軽んじて乱用していたことか。延長戦が終わったとき、試合にのめり込んで観戦していた者は、選手の1人になった気分で、テレビ画面を観ながらグラウンドに身を置いていたのだ。
悲しみ、悔しさ、怒り、嬉しさ、切なさ…涙を流すには、そういった理由がある。だが、人はすさまじい重圧に包まれても涙する。PK戦へ向かうとき、ブラジルのGKジュリオ・セザールは目を潤ませていた。「チームメイトが集まって力を与えてくれた。落ち着いて集中しなければならないのは分かっていたけれど、みんなの言葉で感情を抑えきれなかった」。
この試合に出場しなかったパウリーニョは、円陣の輪に入って仲間の顔を直視し、鼓舞し続けた。キッカーに選ばれた5人の胸を叩き、勇気を注ぎこんだ。フル出場して走り抜いたルイス・グスタボは、両手で顔を覆い、神に祈った。チームワークとは、大事な時に、各々がやれることを率先して行動することだ。ブラジルは、極限の緊張の中で、チームが1つになった。
ジュリオ・セザールはPK戦で2本セーブしてチームを救い、また泣いた。重圧から解放された喜びを駆け寄る仲間と分かち合い、「この勝利を全国民に捧げたい」と、目を赤くして安堵の表情を見せた。
ブラジルのメディアは「フェリペ監督は中盤を作り直せ」「ベンチに試合の流れを変えるオプションなし」と、先を見据えて批判を忘れない。6回目の優勝へ一歩前進したが、まだまだチーム力を高める必要性はある。
1950年の自国開催では「マラカナンの悲劇」と今も語り継がれる屈辱を最後に味わった。今大会も決勝はリオデジャネイロの同地で行われる。そのマラカナンスタジアムには、サッカーの神様が宿ると言い伝えられている。
その神様が、56年前の雪辱を果たしたければ「試練を乗り越えてきなさい」と、更なる試練を与えた。絶好調のコロンビアが、次の対戦相手となった。4戦4勝、11得点2失点で初の8強入りを果たして勢いに乗るチームの中心は、22歳の背番号10、ハメス・ロドリゲス。
重圧を撥ね除け器量を上げたブラジルの選手達と、5得点をあげて一躍スターにのし上がったハメス・ロドリゲスを擁するコロンビアとの一戦も、チリ戦のように、いつしかグラウンドに引き込まれ、一緒になって戦うことになるのだろう。
ブラジルのエースで、ここまで4得点のネイマールは現地2日、リオにあるキャンプ地でのインタビューで「ハメル・ロドリゲスはクラッキ(優秀な選手)。若いけれど、それを証明するだけのプレーをしている。彼には悪いけど、ワールドカップでの好循環はここで終わりにしてもらう、ブラジルが勝ち進むためにね」と、落ち着いた表情で話した。
Futebol tem alegria e sofrimento como a vida.(フッチボールは人生のように喜びもあれば苦しみもある)。人生の凝縮されたものがフッチボール。喜びも苦しみも1人ではなく、国民全員が1つになって共感できるから、人々はワールドカップを愛してやまない。
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【執筆者紹介】
1972年東京生まれ。スポーツライター。
テレビ局で各種スポーツ原稿を書いている。著書に「ブラジ流」。 日本代表が強化するには、ジェイチーニョ(臨機応変な解決策)を身につけ、国民ひとりひとりがラテン気質になること。情熱的に感情のままに。