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.政治  投稿日:2023/6/25

「高岡発ニッポン再興」その83 市民病院「産科休止」の衝撃


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

産科医不足で富山大学が医師派遣を打ち切り、高岡市民病院の産科休止。

「優しい高岡」と「美しい高岡」を取り戻すべき。

・高齢出産や基礎疾患のある妊婦が出産しにくくなるのは、市のイメージを低下させる。

 

高岡市議会6月定例会で6回目の質問となりました。いつも大きなプレッシャーがかかります。それでも心を奮い立たせているのは、二元代表制というシステムの重要性を感じているからです。いうまでもなく、二元代表制では市長と議会議員のいずれも住民の選挙で選ばれます。議員にとって重要な仕事は、行政のチェックです。緊張感が必要なのです。

それでも、一人で行政と対峙するのは、精神的に弱くなることもあります。風圧に負けそうになったりもします。しかし、複数の市役所OBは私にこんな趣旨のアドバイスをくれます。

「市役所と馴れ合いはいけません。高岡を良くするためには、行政が触れられたくないことも、しっかり質問してください。市民目線を大事にしてください。それが大事なのです」。

私は6月議会でも質問しました。その質問や答弁をベースに「高岡の今」をお伝えします。

高岡市議になって1年半。私は毎日、数多くの市民と話をしています。最近、痛感するのは、「優しい高岡」と「美しい高岡」を取り戻すべきだということです。高岡でも孤独死する人が増えています。孤立ゼロを目指すのは、政治の務めです。年齢、性別問わず、どんな人にも優しい。そんなまちづくりを目指さなければなりません。

そして、高岡は美しい町なのです。歴史、文化、自然、どれをとっても、全国、いや世界でも誇れる町です。しかし、今、その美しさに陰りが見え始めています。「優しい高岡」と「美しい高岡」を実現しなければなりません。そうした現状認識の下、質問しました。

先日、衝撃的なニュースが飛び込んできました。高岡市民病院の産科休止です。産科医不足で、富山大学が医師の派遣打ち切りを通告したためです。来年度から産婦人科の看板を下ろし、婦人科となります。

高岡の最大の問題点は、人口減少、子どもの出生数の低迷です。それなのに、市民病院で、子どもが産めないという事態に至ったのです。

また、高岡市民病院は地域の基幹病院です。安心して産み育てられるまちづくり。そんな観点からも、市民病院に産科がないことは、イメージダウンにつながりかねません。

高岡市民病院の産科休止は突然、5月25日の民生病院常任委員会で明らかになりました。

病院長は「全国的に医師が不足している。本院に医師を派遣する医局である富山大学も同様の状況にあり、来年度から医師を派遣できないと報告があった」としていました。

市民病院の産婦人科は現在、富大から2人の医師が派遣され、5人の医師で対応しています。2人の医師が引き上げれば、3人体制となります。それでは、24時間365日対応する産科は困難になります。

今後高岡での出産はどうなるのでしょうか。出産は来年2月までは受け入れます。産婦人科に関しては、高岡市内には2つの公的病院と3つの民間病院があります。分娩をやめてもほかの病院でカバーできるというのです。

高岡市民病院の年間の分娩数は 昨年度(令和4年度)143件ですが、市内のほかの病院は200件から300件、さらには400件近いところもあります。

これらの病院に依頼し、妊産婦に影響がでないとしています。しかし、市民病院の産科は、数字だけでは見えない重要性があります。病院関係者によれば、そもそも産科は訴訟のリスクに直面しています。それを怖れ、廃業する民間の産科もあります。一方で、自治体病院は、リスクのある妊婦を引き受けているのです。つまり、高齢出産や基礎疾患のある妊婦などの出産です。こうした人たちが出産しにくくなるのは、高岡市全体のイメージを低下させます。今後、高齢出産はますます増えてくると思われます。

さらに、分娩だけでなく、不妊治療なども行っています。市内の開業医にも手に負えない難しい症状にも対応しています。私は「優しい高岡」を実現するためにも、高岡市民病院の産科の必要性を訴えたいと思っています。

(続く)

トップ写真:イメージ 出典:Srisakorn/GettyImages




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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