出町譲「高岡発ニッポン再興」その84 1年前に個室整備、突然の産科廃止ナゼ
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・「ウィメンズ病棟」がわずか1年で産科休止。
・医師派遣打ち切りを察知できれば、税金投じる必要なかった。
・大学側の事情で、診療科がなくなるのは危険。
医療関係者によれば、産科医不足はかねてから指摘されていた問題です。事前に察知できなかったのか、残念です。そこで私は質問しました。市当局は富山大学とは、市民病院の産科医不足の問題について、これまで連絡を密にしてきたのでしょうか。
病院長からこんな答弁が返ってきました。「本院の産婦人科医師について、退職者が見込まれる場合や、定期異動の時期には、医師の不足が発生しないように、富山大学へ医師の派遣を依頼し、必要な人員を確保してきた」。
回りくどい言い方ですが、医師不足が生じないように、連絡は密にとっていたようです。そこで不思議に思うことがあります。
「ウィメンズ病棟」です。
私は去年、同僚議員と一緒に、ウィメンズ病棟を視察しましたが、広々とした個室です。従来の4人部屋の広さで、おしゃれな家具などを配置し、若い妊婦に好まれるようなつくりになっていました。
助産師10人が妊娠・出産・産後ケアに対応し、安心安全な体制を強化したという説明を受けました。整備費は1,000万円でした。おしゃれな個室を持つ産婦人科は人気なので、私は市場のニーズにあわせようとする政策だと、私は評価しました。
ところが、せっかく整備したのに、それがわずか1年で産科休止という事態になったのです。
派遣打ち切りの可能性を察知できれば、こんなに税金を投じる必要はなかったのではないでしょうか。そこで質問しました。市民病院では、ウィメンズ病棟の整備は産科を今後も継続していく意思表示だったのではないでしょうか。
それに対する病院長の答弁はこうでした。「多くの妊産婦に本院の産婦人科を選んでいただき、分娩数を増やしたいという考えからであり、産科を継続していく考えで整備した」。
また、5月25日の民生病院常任委員会で病院長は改修工事を行った理由について「分娩数の少ない病院に医師を派遣できないということは、その当時から大学に言われていた。病棟を改修して分娩数の増加を図った」と語っています。
ある公的病院の医師は「病棟を整備する際、富山大学に事前に相談していたのかどうか」と首を傾げる。事前に相談していれば、開設の翌年に医師派遣打ち切りという事態は避けられた可能性があるとしています。
高岡市では、富山大学から派遣打ち切りの連絡を受けた後、病院長が金沢大学に医師の派遣を要請しました。市民を守るために粘り強さが大事です。そこで質問しました。産科医の派遣について今後、富山大学や金沢大学以外の大学へも派遣を依頼すべきではないでしょうか。
病院長は、市民病院について、富山大学と金沢大学の医局から医師の派遣をしていただき、長い関係性があったと指摘。その上で、「産婦人科の医師は、他の大学でも同じように不足している状況にある。これまで全くつながりのない大学に依頼し、医師を派遣してもらうことは極めて困難であると考える」と答弁なさいました。
つまり、「極めて困難」という言葉を使いながら、依頼はしないと示唆したのです。
私は思わず再質問しました。「困難というのは、依頼しないという意味なのか」。
そこで、病院長は、富山大学が高岡市民病院と厚生連高岡病院の2つの病院に医師を派遣している現状を説明しました。そして、「病院長の立場としては残念」だが、仮に自分が富山大学の教授の立場であっても、医師を集約化するのは大事と語りました。つまり、医師の立場からすれば、派遣打ち切りは仕方がないというのです。
私は今後、市民病院の在り方については、議論しなければならないと考えています。病院長の言葉も理解できます。人口が減っている現状を踏まえると「集約化」は急務になっています。その時、市民病院の在り方自体について、市民と行政が議論して、大きなビジョンを描くべきなのです。大学側の事情で、ずるずると診療科がなくなるというのは、危険だと思っています。
(その83の続き。その85に続く)
トップ写真:高岡市民病院(出町譲氏提供)
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。