なぜ大阪・近畿の私立高校は、吉村府政の「高校授業料完全無償化」に反対なのか
【まとめ】
・吉村知事公約の「高校授業料完全無償化」が「新制度案」として提示された。
・「大阪私立中学高等学校連合会」、新制度案に反対。
・問題は、各学校の負担額が大きく膨らむこと。
今年4月に行われた大阪府知事選で吉村知事は、「高校授業料完全無償化」を公約に掲げていました。そして5月9日,大阪府から後述する「新制度案」が提示されました。
これに対して5月29日、「大阪私立中学高等学校連合会」は総会で「府内の私立高校全てが完全無償化の理念には賛成するが、提示されている新制度案には賛同しない」と議決し、反対の意思を明らかにしました。
その後も6月19日に近畿2府4県の私学団体でつくる「近畿私立中学高等学校連合会」が,6月23日には私立学校に子供を通わせる保護者らでつくる「大阪私立中学校高等学校保護者会連合会」が相次いで府の制度案について見直しを求めています。
なぜこのような状況になっているのか,私の勤務する開明中学校高等学校(以下、「本校」)の場合も例にしながら述べていきます。
本校は大阪市内にある共学の私立中高併設校で現在、生徒約 1600 人、教職員約 150 人が在籍し、来年度創立 110 周年を迎えます。
(1) 私立学校の収入源
私立学校の一般的な収入源は主に,生徒・保護者からの授業料や入学金などによる「学生生徒等納付金収入」と、国や都道府県からの「補助金収入」の二つがあります。本校の場合、「納付金収入」は年間約10億円、「補助金収入」が約5億円ですので両者の3分の1を公費(税金)が占めていることになります。
「補助金収入」には、人件費などの学校運営経費を補助する「経常費助成」と、保護者の負担軽減を目的とする「就学支援金」の二つがあります。これらは国からの交付金を元に都道府県が各学校に支給しています。また都道府県独自の「支援補助金」という制度もあります。
(2) 大幅にカットされた大阪府の「経常費助成」
大阪では2008年、橋下府政のとき財政健全化を理由に「経常費助成」が25%カットされました。これによって児童・生徒1人あたりの助成金額が小中学校で全国最低に、高校はワースト2位の水準に陥りました。その後、私学側の要請もあり高校については復活したもののワースト2位は変わっていません。現在の大阪府の高校生一人当たりの助成額は約 32 万円で、トップの鳥取県より約 13 万円、2位の東京都より約 8 万円それぞれ少ない状況です。
中学は依然として回復されないままで、本校中学が大阪府から支給される補助金は国の補助金単価に比べ年間約3,000万円少なく、過去15年間の累積減額は5億円に達すると推計されます。
(3) 現在の大阪府の「授業料無償化」
現在、大阪府から支給されている「就学支援金」は、保護者の収入や子どもの人数によって違いがあります。さらに補助金の上限を大阪府が定める「標準授業料」60万円に設定する「キャップ制」というものがあり、複雑な仕組みになっています。
この「標準授業料」60万円を越える授業料の学校は、本校を含めて 42校あります。これは大阪私学の約半数にあたります。本校の高校授業料は年間 65 万円ですので、「標準授業料」を5万円越えることになります。では、その「授業料65万円」の負担の内訳を、以下の(A)~(D)の場合について見ていきます。
(A) 年収 590 万円未満の世帯
保護者負担0円 +公費負担 60 万円+本校負担 5 万円=授業料 65 万円
(B) 年収 590 万円以上 800 万円未満の世帯
・子ども1人
保護者負担 20 万円+公費負担 40 万円+本校負担 5 万円=授業料 65 万円
・子ども2人
保護者負担 10 万円+公費負担 50 万円+本校負担 5 万円=授業料 65 万円
・子ども3人以上
保護者負担0円 +公費負担 60 万円+本校負担 5 万円=授業料 65 万円
(C)年収 800 万円以上 910 万円未満の世帯
・子ども1人
保護者負担 53 万円+公費負担 12 万円+本校負担 0 円 =授業料 65 万円
・子ども2人
保護者負担 35 万円+公費負担 30 万円+本校負担 0 円 =授業料 65 万円
・子ども3人以上
保護者負担 15 万円+公費負担 50 万円+本校負担 0 円 =授業料 65 万円
(D)年収 910 万円以上の世帯
保護者負担 65 万円+公費負担 0 円+本校負担 0 円 =授業料 65 万円
世間一般には大阪はすべて授業料が無償化されていると思われているようですが、実際は完全に保護者負担がゼロになるのは(A)と、(B)の子ども3人以上の場合に過ぎません。
また、この制度が適用されるのは大阪府在住の生徒・保護者の場合ですから、大阪府以外の生徒については適用外です。
さらに「キャップ制」では、(A)、(B)に示したように、標準授業料を越える 5 万円を学校が負担しなければ大阪府から補助金を受け取ることができません。本校では「学校奨学金」として該当する生徒・保護者(高校生徒全体の約 30 %)に 5 万円を支給する形をとっています。昨年度の支給総額は約 1,100 万円で、この制度が始まった 2011 年度からの累計額は約 2 億 1,000 万円に達しています。
(4) 「高校授業料完全無償化」の新制度案
5月9日に提示された大阪府の新制度案は、以下の1~3のような内容でした。
1. 授業料無償化の所得制限を撤廃する。ただし大阪府が定める標準授業料 60 万円を超える部分は各学校が負担する。
2.標準授業料との差額が大きい学校は、授業料無償化の推進校から外れるかもしれない。その場合、生徒は大阪府の授業料支援金を全く受け取れない。
3.2024年度の高校3年生から所得制限を撤廃し、2026年度に全学年で授業料を完全無償化する。
この制度案のまま執行されると、(3)の(A)~(D)すべての世帯で、
「保護者負担 0 円 +公費負担 60 万円+本校負担 5 万円=授業料 65 万円」となります。
これによって大阪府在住生徒・保護者の負担はすべてゼロとなり、これについては私学側も賛成しています。
ところが問題は、各学校の負担額が大きく膨らんでしまう点にあります。本校の場合、現在5万円を支給している生徒は全体の約 30 %ですが、これを大阪府在住のすべての生徒に支給する必要があり、試算では 2026年度には現在より約3,000万円の負担増で年間の負担総額は約 4,000万円になる見込みです。
これだけの金額を学校の教育活動にかかる費用を節減することでカバーすることは容易ではなく、「手を付けるのは人件費から」ということになりかねません。本校の試算による負担額はフルタイムで勤務する本務教員6~8人の人件費に相当します。これだけの減額が毎年続けば、生徒の教育環境、教職員の労働環境に大きな影響が出ることは想像に難くありません。
またこの制度では、授業料が65万円であっても70万円であっても、学校への収入は60万円になります。つまり「標準授業料」以上の高校の授業料が、実質一律に60万円になることを意味しています。
「大阪私立中学高等学校連合会」によると、新制度による大阪府の私学全体の負担総額は約20億円となり、年間で 2 億円ほど支出が増える学校もあるようです。同連合会は、「キャップ制によって知事が授業料を一定に設定することは法に抵触しかねない行為で、大阪府によって授業料が値切られていくような形になる。各学校が教育の内容・質を下げて運営せざるを得ない状況に陥り、何より子どもたちが困ることになる。これは私学の教育の自由を奪うもので決して許されるものではない」と訴えを強めています。
また、吉村知事は大阪府以外の近畿2府4県の高校に対しても、大阪府在住の生徒・保護者について同様の対応を求めています。これについて近隣府県の学校関係者からは「学校が大阪の生徒にだけ補助するというのは不公平だ、私学教育を踏みにじる考えだ」という声が上がっています。
これらに対して吉村知事からは、「入学金は無償化の対象ではないので、私学が自由に設定できる」、「大阪府の援助制度に入らないという学校判断もありうる」、「私学の収入は税金と現在の学生のみで完結ではなく、私学独自の建学の精神に賛同する企業・個人・卒業生などが寄付しやすいシステムも構築すべき」といった趣旨の発言や発信があるようです。
しかし、入学金を増額したり援助制度から外れると、これまで無償だった世帯の負担が大きくなるため学校は簡単には踏み切れません。また数千万円におよぶ負担額を寄付で賄うといったことも、現実には極めて困難だと思われます。
大阪府は8月までに制度案の詳細をまとめる方針とのことですが、私学側との十分な協議が切に望まれます。
本稿はMRIC by医療ガバナンス学会Vol.23125 「なぜ大阪・近畿の私立高校は,吉村府政の「高校授業料完全無償化」に反対なのか」(2023年7月19日)の転載です。
トップ写真:吉村洋文大阪府知事 シカゴ・カブス対ピッツバーグ・パイレーツの試合にて 2018年6月9日、イリノイ州シカゴ
出典:Photo by Jon Durr/Getty Images