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.政治  投稿日:2023/8/21

「高岡発ニッポン再興」その 98 緒方貞子に学ぶ・・・前例にとらわれない行動


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・緒方貞子さん、国連難民高等弁務官時代「小さな巨人」と呼ばれた。

・湾岸戦争やユーゴスラビアの民族紛争中、前例のないやり方で難民支援に踏み切った。

・難民問題も高岡再興も「困っている人がいれば、助ける。前例にとらわれない。リアリスト」の原則を貫くべき。

 

先月発売の文藝春秋は「代表的日本人100人」との特集を展開しています。意欲的な特集です。「代表的日本人」と言えば、明治期の内村鑑三の名著ですが、今回の特集はいわば「令和版、代表的日本人」です。87歳の母親が面白いと連発。とりわけ緒方貞子さんに関する文章が気に入ったそうです。「前例のないことやったそうだね。高岡も良くなるためには、緒方さんのような姿勢が大事じゃないの」。

筆者は、ジャーナリストの国谷裕子さん。緒方さんについて、「前例や既存のルールにとらわれず、苦しんでいる人がいるなら保護し、救える人がいるなら救うということを自らの行動規範と定め、難民問題に取り組んだ」と評しています。

緒方さんについては私もかつて報道番組で取り上げたこともあり、興味深く読みました。その上で、緒方さんについて改めて調べました。難民問題にしても、高岡再興にしても、根っこは同じなんです。困った人をどう助けるかなんです。

緒方さんと言えば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップである国連難民高等弁務官時代が有名ですね。ヘルメットをかぶり防弾チョッキで歩く姿は、テレビでよく映し出されました。身長150センチメートルで小柄なこともあり、「小さな巨人」と言われていました。

緒方さんが国連難民高等弁務官に就任したのは、1991年です。このころ起きたのは、湾岸戦争です。つまり、アメリカ軍主体の多国籍軍が、クウェートに侵攻したイラクに対し攻撃したのです。冷戦が終わったにもかかわらず、今度は地域紛争が起きる始まりとなったのです。

このとき、緒方さんは前例にとらわれない決断をしました。イラク国内にいたクルド人40万人が、トルコの国境に向かって避難しようとしましたが、トルコ政府が入国を認めなかったため、国境を越えられなかったのです。難民条約では、国境を越えていない人は難民とは定義されず、支援することはできませんでした。

クルド人を支援するかどうかについて激しい議論が起きましたが、緒方さんは「人の命を守ることが最優先」と、支援に踏み切ったのです。

また、ユーゴスラビアの民族紛争でも、大胆な行動に打って出ました。停戦合意がなく、救援物資をどう届けるのか。緒方さんが頼ったのは、国連保護軍です。国連保護軍のもと、大規模な空輸に踏み切ったのです。これは人道支援としては異例中の異例です。人道活動にかかわる人の中では、軍との協力を嫌う人も多かったのです。中立を損なうというのです。そんな反対意見があったのですが、緒方さんは、国連保護軍に協力をお願いしました。国谷さんによれば、「私は人権屋ではなく、リアリスト」と緒方さんが言っていたそうです。こうした緒方さんの行動は、次第に世界から信頼を得たのです。

UNHCRは、国連機関の中でも小さな目立たない組織でしたが、緒方さんの10年で一変したといいます。緒方さんは地位や名誉、金銭に一切、執着がなく、仕事にまい進していました。

私は緒方さんのことを調べれば、調べるほど、高岡市にも緒方イズムが必要だと思っています。困っている人がいれば、助ける。そして、前例にとらわれない。リアリスト。こんなシンプルな原則を貫くべきです。

緒方さんは2000年12月に職員へのお別れの挨拶で、「官僚主義に陥らず、自分の頭で何ができるのかを考え続けてほしい」と呼びかけました。そうなんです。市職員、市民、みなさんが自分が何ができるか考えることこそ、高岡再興の第一歩になるのです。

トップ写真:記者会見に出席する緒方貞子国連難民高等弁務官(2000年2月8日 チェコ・プラハ)

出典:Sean Gallup / Getty Images




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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