ヨーロッパ3大夏祭りの話 日本と世界の夏休み その6
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・スウェーデン「ミッドサマー」を皮切りにヨーロッパは夏祭りシーズン。
・パリ祭、ミリタリー・タトゥー、牛追い祭が、ヨーロッパ3大夏祭り。
・夏休み中の観光地は、ホテルも飲食店も料金がバカ高くなる。
ヨーロッパと一口に言っても広いので、気候風土も様々なのだが、総じて言えるのは緯度が高いということ。
南国のイメージをもたれがちなイタリアのローマでさえ、北緯41度。札幌市が42~43度にまたがっているので、わずかながら南に位置しているに過ぎない。
英国ロンドンに至っては、北緯51度。日本列島の最北端よりもだいぶ北、サハリン島の真ん中くらいである。
これほどまでに緯度が高いと、東北・北海道にお住まいの読者には多少イメージできるかも知れないが、夏と冬とで日照時間の差がはなはだしく、かつ、冬が長くて夏が短い。
ロンドンで暮らしていた当時、日本からやってきたばかりの人から、
「夕食を食べ終えても、まだ外が明るいんですからね。調子狂いますよ」
などと聞かされたことがある。これはもちろん夏場の話で、冬になると、午後3時頃には大半の車がヘッドライトを点灯させていた。また、7~8月でも空の色は、日本の感覚だと秋のそれであった。
そうした次第なので、ヨーロッパ北部においては、夏の日差しが非常に珍重される。日本で夏祭りと言うと、夕涼みを兼ねて夜になってから、となることが多いが、ヨーロッパの夏祭りはほとんどの場合、午後の早い時間がハイライトとなる。
例によって余談にわたるが、ヨーロッパでは夏の日差しを最大限に享受すべく、サマータイムが導入されている。時計を1時間進めることで、始業と終業をそれぞれ1時間早め、日没前に余暇を楽しもうというのがその主旨で、このことは、サマータイムの訳語として「日光節約時間」も認められていることで証明されよう。1907年にカナダのオンタリオ州で最初に導入され、20世紀後半にヨーロッパに普及したと記録にある。
少し前に日本でも導入議論が起きたが、私は反対した。ヨーロッパと違って日本では(地域差はあるにせよ)夏の日差しは忌むべきものだからで、節電効果が期待できるという人もいたが、生活リズムに変調を来すデメリットの方が大きいと思う。実際問題として、敗戦後GHQの肝いりで1947年に導入されたものの、国情に合わないとしてわずか4年で廃されている。
話を戻して、北欧では夏の日差しが珍重されると述べたが、その典型が6月下旬の夏至の日にスウェーデンのストックホルムで開かれる「ミッドサマー 夏至祭」である。
この夏至際を皮切りに、ヨーロッパは夏祭りのシーズンを迎えることとなって、7月14日にフランスで開かれるパリ祭、8月にスコットランドのエジンバラで開かれるミリタリー・タトゥー、そして同じく8月にスペインのパンプローナで開かれる牛追い祭が、ヨーロッパ3大夏祭りと称される。3大の基準は集客力であるらしい。
まずパリ祭から見ると、実はこれ、日本だけの呼び名である。フランス本国では単に「国民祭」あるいは「7月14日」でしかない。1933年に公開された、ルネ・クレール監督の映画『Quatorze Juillet 7月14日』が、輸入した東宝東和の工夫による『巴里祭』の邦題でヒットしたために、この名が定着した。
1789年のこの日、王制打倒の旗印を掲げた市民革命軍が、政治犯を解放すべくバスティーユ監獄を襲撃。フランス市民革命の幕開けとなった。翌1790年には、蜂起1周年を記念して「全国連盟祭」が開催され、後にこの日が建国記念日と定められる。
フランス全土で花火やダンスパーティーが催されるが、最大かつ象徴的なイベントと言えば、パリのシャンゼリゼ通りからコンコルド広場までの軍事パレードだ。
先頭は士官候補生、そして最後に行進するのは外人部隊と決まっているので、もしかしたら過去には日本人も(時期により、日本人の隊員も20名近く所属していたと聞くので)参加したのかも知れないが、資料はなにも語っていない。上空ではパトルイユ・ド・フランス(フランス空軍アクロバット飛行チーム)が曲芸飛行を披露する。
▲写真 シャンゼリゼ通りで行われたフランス革命記念日の軍事パレードで行進するフランスとインド軍(2023年7月14日 フランス・パリ)出典:Photo by Christian Liewig – Corbis/Corbis via Getty Images
次にスコットランドのミリタリー・タトゥーだが、こちらは第二次世界大戦後からの、比較的歴史の浅いイベントだ。
わが国における成人式と同様、大戦で疲弊した国民を元気づけよう、との主旨で始まったもので、読んで字のごとく軍楽隊のパレードが目玉とされる。精鋭と称されるハイランダーズ(スコットランド高地連隊)による、バグパイプの演奏と、英連邦諸国や友好国、多いときには世界40カ国の軍楽隊が、民族衣装に身を包んでパレードに参加する。
有料の観客席や露店などの収益は、当初は傷痍軍人に対する義援金、昨今では慈善事業への寄付に充てられており、つまりは、キリスト教文化圏の人たちが好むチャリティー・イベントの側面も備えている。
▲写真 「ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー」の様子(2023年8月3日 スコットランド・エディンバラ)出典:Photo by Jeff J Mitchell/Getty Images
最後にスペインの牛追い祭だが、こちらは前述のふたつよりずっと古く、12世紀頃から催されているらしい。
スペイン・バスク地方の街パンプローナで毎年7月上旬に催される。
呼び物がエンシエロで、これが日本では「牛追い」と訳されたことから、牛追い祭の呼称が定着しているが、本当は雄牛の群れの前を人間が走るのである。そもそも呼称自体、正しくはFiesta de San Ferminサン・フェルミン祭だ。
聖(サン)フェルミンは、イベリア半島がローマの版図であった3世紀の人で、パンプローナから選出された元老院議員の息子だったが、キリスト教の洗礼を受け、後のこの街で最初の司教となった。303年に、現在のフランスに伝導に向かった際、異教徒に捕らえられて斬首された。これによりカトリックの殉教者・パンプローナの守護聖人に列せられている。
遺体は、詳しい経緯は不明ながら12世紀になってようやく故郷に戻され、これを記念して祭礼が執り行われたのが、現在の牛追い祭の起源というわけだ。祭の参加者が首に赤いスカーフを巻くのは、斬首された司教に対する弔意の表現とされる。
▲写真 スペインの牛追い祭り(スペイン・パンプローナ)出典:Photo by Gari Garaialde/Getty Images
ヨーロッパ3大夏祭りのひとつと称されることはすでに見たが、スペイン国内では3月中旬に開かれる」バレンシアの火祭り、4月下旬に開かれるセビリアの春祭りと並んで、3大祭りと呼ばれている。
パンプローナを含む、バスク地方の風土と美食をこよなく愛したのが、米国の文豪アーネスト・ヘミングウェイで、1926年に刊行された『日はまた昇る』という小説にも、この祭のことが描かれている。と言うより、この小説のおかげで、バスクの小さな街の祭が、世界中の人々の知るところとなって、毎年70~80万人もの観光客が集まる(もちろん新型コロナ禍以前の話)までになった。街のあちこちに、ヘミングウェイの石像や祈念碑がある。
私はまだ20代の頃、TV中継を見て強く印象づけられ、いつか牛の着ぐるみで祭に参加し、TVの取材を受けたいものだ、などと思った笑。
そうした次第なので、この原稿を読んで、来年の夏は是非ともヨーロッパに、と思われた読者がおられれば。著者として幸甚である。しかし反面、夏休み中の観光地は、
「あまりオススメできませんが……」
と言いたくなる面もあるのだ。
理由は簡単で、ホテルも飲食店も、このシーズンは料金がバカ高くなる。
それでなくともイタリアなど、テルミニ(ローマ中央駅)近くのカフェと少しは慣れた住宅地の中とで、同じ一杯のカプチーノの値段が7倍も違ったりした。観光客であふれる時期には、この「格差問題」がより顕著になる。
実際にBBCなどが最近伝えたところによれば、カプチーノに振りかけるココア粉末が有料(それも2ユーロ=300円以上)になったり、景色のよいテラス席ではコーヒーとペットボトルの水だけで邦貨にして数千円も請求されたりしているそうだ。
さすがにイタリア国内でも「クレージーレシート」と呼ばれて問題視されているらしいが、一方では、夏休み中の稼ぎが年間売り上げの大部分を占めるという店も少なからずあるので、一概に排撃するわけにも……といった事情もある。
言葉の問題さえなければ、どこの観光地でもツーリスト・インフォメーションが頼りになるが、それが難しいのなら、せめて事前にガイドブックやネットでの情報収集を怠りなきように、という以上のことは、残念ながら申し上げられない。
トップ写真: スウェーデンのミッドサマーでダンスを楽しむ人々(2023年6月23日 スウェーデン・ボロース) 出典:Photo by Per-Anders/Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。