「豊かな国」はどこへ消えた?(上)こんな日本に誰がした その1
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・昨今の日本で豊かさを実感できている人がどれほどいるのか。
・「ビッグマック指数」、日本は55カ国中44位。
・円安で順位を落としているだけではなく、この指数は各国の国民の購買力を示す指針。
アグネス・チャンという歌手がいる。
香港出身(生来の国籍は英国)で1972年に来日し、歌手デビュー。
昭和世代にとっては、愛くるしい笑顔と少々たどたどしい日本語が印象的なアイドルであったが、初代日本ユニセフ協会大使を務めるなど、幅広い活躍でも知られる。
今で言う「高学歴タレント」の走りでもあった。上智大学、カナダのトロント大学を出て、米国のスタンフォード大学大学院より博士号(教育学)を授与されている。昨今、大学出の芸能人もさほど珍しい存在ではなくなってきているが、博士はさすがに稀だろう。
彼女がブレイクした結果、香港や台湾の女性歌手が、相次いで日本でデビューするという現象も実際に起きた。いわゆる韓流ブームに先立つこと30年以上の話である。
個人的には、メディアを通じて知る彼女の言動の中で、特に感心させられたものがあった。
1986年に元スタッフの日本人男性と結婚し、3人の子宝にも恵まれたが、前述のようにユニセフの活動を通じて、戦争や飢餓で苦しむ世界の子供たちへの支援を呼びかける一方、自分の子供には、
「あなたたちは、この平和で豊かな日本に生まれたというだけで、最初から人生80点もらったようなもの。残り20点分くらいは、自分の力でなんとかできるよね」
と言い聞かせていたという。
たしかに、ウクライナやパレスチナの惨状を知るにつれ、日本はまだまだ平和で有り難い、とは思える。
昨年の春、ロシアによるウクライナ侵攻が開始された頃には、日本ハムファイターズのチアリーダーたちの「きつねダンス」が大変な人気であったし、昨今では、東京ディズニーランドの「ジャンボリー・ミッキー」に出演するダンサーの女性が動画サイトを席巻している。ここまでくると、さすがにどうなのか、と思うこともないではないが、これについては項を改めよう。
本稿で問題にしたいのは、昨今の日本で豊かさを実感できている人がどれほどいるのか、ということである。
データの上でも、総人口が半分ほどでしかないドイツにGDPで追い抜かれ、かつての米国に次ぐ2位から、4位にまで後退した(2位中国)。
円安ドル高の傾向に歯止めがかからないという話題については、大手メディアが連日報じているが、ユーロなど大半の通過に対しても値を下げ続けているのが事実だ。「ビッグマック指数」で一目瞭然である。
世界の主要都市には、必ずと言ってよいほどマクドナルドがあり、人気メニューのビッグマックは、やはり必ずと言ってよいほど販売されているので、その値段を見比べることで、生活実感としての通貨価値を知ることができる、というわけだ。英国『エコノミスト』誌が年2回データを公表している。
8月3日付のビッグマック指数を見ると、日本は450円で、55カ国中44位。1位のスイスは1056円、米国は8位(2位ノルウェー、以下略)で774円。
日本より下位となると、前述のように11カ国しかないわけだが、中国では415円で、日本に肉薄してきており、それ以下の国は大半が発展途上国である。
ここでいささか余談にわたるのだが、このビッグマック指数については、
「あまり当てにならない」
とするエコノミストが結構多いということも、見ておかねばならないだろう。
経済指標として扱われるからには、世界中どこの店で売られているビッグマックも、
「同じ材料を同じだけ用いて、同等の手間(=労働力)を注いで作られている」
という前提でなければならないが、実際には例外も結構多いらしい。私は外国に出てまでビッグマックを食すような味オンチ、もとい、マクドナルド・フリークではないので、詳細までは正直よくわからないが。
さらに言えば、税制の違いなども関係してくるし、インドのように、国民の大多数がヒンズー教の信者で牛肉を食べない国もあるが、なんと、鶏肉を使ったバーガーをビッグマックと見なしているのだと聞く。
なるほどそう言われれば、とも思うが、あくまでもひとつの目安だと割り切れば、分かりやすくて結構だろうというのが私の考えである。
話を戻して日本のビッグマック指数は、2010年7月の段階では14位であったものが、2015年7月には28位まで後退し、2020年7月には26位とわずかながら盛り返したが、翌2021年7月には30位まで後退。2022年7月にはついに41位となり、今や前述のように44位と、まさにジリ貧状態だ。
しかしながら、ここで首をかしげる読者も、中にはおられるだろうか。
ビッグマックの値段自体は高くなってきているのに、どうして順位が下がるのか、と。
実は割合簡単な話で、元の『エコノミスト』誌のデータはドル建てで集計されている。
本稿では読者の便益のために円建てで表記した(円価格のデータは『東洋経済』などによる)が、要するに、その国の通貨がドルに対して強く(=高く)なれば、ビッグマックの価格も高いことになるので、順位が上がるというわけだ。
そもそも2000年代、ビッグマックの価格は一貫して上昇傾向にあったわけではない。
2000年には294円、2005年には250円と、かなり安くなった時期もある。ある年代以上の日本人は、100円でハンバーガーが買えた時期の記憶がある上に、昨年来の値上げラッシュのため、急に高くなった、というイメージを抱きがちなのだろう。
もうひとつ、たしかに米国ではビッグマックが774円もするが、一方では本連載でも以前に触れたことがあるが、ニューヨークのマクドナルドで働く人は、5000円以上の時給を稼げる例が珍しくない。だからこそ1個774円のビッグマックが売れるという側面もあるのだ。
つまり、円安の結果としてビッグマック指数の順位を落としている、というだけでは説明がつかないので、この指数は各国の国民の購買力を示す指針でもある。
端的に言えば、物価高騰は世界的な問題だが、米国では景気回復の傾向に伴って賃金も上昇しているのに対し、日本では、よく言われるように30年間まったくと言ってよいほど賃金が上がらず、そこへ「値上げラッシュ」に見舞われたものだから、多くの人が困窮に陥っている。
その値上げラッシュの原因についても、巷間よく聞かれるのは、ロシアによるウクライナ侵攻のせいでエネルギー価格が高騰した、というものだが、本当にそこまで簡単な話であろうか。私にはそうは思えない。
具体的にどういうことかは、次回。
トップ写真:ビックマック(イメージ) 出典:Artur Reznik / Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。