「豊かな国」はどこへ消えた?(下) こんな日本に誰がした その2
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・日本人の多くが給与所得は増えないのに物価は上がり続ける状況に苦しめられている。
・それは「異次元の金融緩和」が大失敗だったからだ。
・日本はスタグフレーションに足を踏み入れており、その原因は自公政権の経済政策の失敗にあった。
国民の購買力と通過(為替)価値の関係性について、分かりやすい「ビッグマック指数」というものがあることと、日本は2000年代までは上位グループに属していたものが、今や55カ国中44位になっていると、前回述べた。
一橋大学の野口悠紀雄名誉教授が『東洋経済』に寄稿した文章によると、米国におけるビッグマックの価格は5.58ドル、一方日本では、前回も述べた通り450円である。
これを等しくする為替レートを計算すると、1ドル=80.65円になるとのことだが、現実はどうなのかと言えば、この原稿を書いている11月17日の為替相場は1ドル=150.72円。実に5割以上も円安に振れているわけだ。
もちろん、これだけで「日本人の購買力は今や米国人の3分の2程度」などという結論を下すことはできない。物価指数・生活水準の差は、それほど簡単に割り出せるものではないし、海外生活が比較的長い私は、データと生活実感はしばしば一致しないことも理解している。
そうではあるのだけれど、今や日本人の多くが自国を豊かだと思うことができず、給与所得は増えないのに物価は上がり続ける状況に苦しめられていることは、争えない事実だ。
どうしてこのようなことになったのかと言えば、第二次安倍内閣が断行した経済政策、とりわけその軸となった「異次元の金融緩和」が大失敗だったからであると、私は考える。
簡単に時系列をおさらいしておくと、2012年12月26日に第二次安倍内閣が発足し、金融緩和、財政出動、成長戦略を「3本の矢」とする経済政策を実施すると発表された。世に言うアベノミクスである。
その中で「第1の矢」と位置づけられたものこそ、2013年4月より日銀が実行に移した金融緩和で、時の黒田東彦総裁が、
「質・量ともに次元の違う金融緩和を行う」
と発表したことから、異次元の……と呼ばれるようになった。
当時の日本はデフレ・スパイラルに苦しめられていたので、このアベノミクスに対する国民の期待は大きかった。本誌の読者には釈迦に説法かも知れないが、
「景気が悪くて物が売れない→売れないから値段を下げなくてはならない→値下げしてしまうと、今度は売れてもあまり儲からない→儲からないから賃上げなどできない→賃金が上がらないから皆が消費や娯楽にお金を出せない→ますます景気が悪くなる」
これがデフレ・スパイラルで、バブル崩壊後に顕著となり、20年にわたってこのような状態が続いていた。
そこで日銀は市中銀行から大量の国債を買い上げ、いわば市場に大量の資金を注入することで景気回復を図ろうとしたのである。今度は、「金利が下がってお金を借りやすくなる→企業は設備投資や新規雇用をしやすくなる→それが内需拡大に直結し景気が回復する」
というスパイラルを目指したので、具体的な目標は物価上昇率2%とされた。景気拡大に伴う「良きインフレ」と言えばよいか。
その成果として株価は大幅に上昇し、雇用も増えたことは事実で、安倍首相自身、
「400万人以上の雇用を新たに創出した」
と誇ったが、問題はその内実である。
大和総研などの資料を見る限りでは、たしかに2012年から19年までの間に、役員を除く被雇用者は499万人も増加した。ただし、正規雇用が149万人の増加にとどまるのに対し非正規雇用は349万人である。
これは安倍首相退陣後の特集記事でも触れたが、とどのつまり、形だけは「自営」で、勤務時間の上限もない「ゼロ時間契約」で働く配送ドライバー(Uber Eatsの配達員なども同様)や、社会保障も退職金制度もないワンオペ「店長」などが増えただけなのである。
安い給与で長時間働かせることができる人が増えたので、企業の業績は上向き、それを反映して株価は上昇した。
だが、こうした雇用形態ゆえに実質賃金は低下する一方だったのである。アベノミクスを「アホノミクス」と揶揄したエコノミストもいたが、働く者の購買力を増すことなしに、どうして景気の回復が見込めるのだろうか。
もうひとつ、市場金利が低下したことにより、為替相場が円安に触れた。
これにより、輸出産業は大いに助かったのだ。
これまた本誌の読者には初歩的に過ぎるかも知れないが、仮に1個1000ドルの商品を10万個輸出したとしよう。売り上げは1億ドルである。
輸出入の決済はドルで行われるわけだが、企業の収益は円単位なので、為替の問題は大きい。日本円の過去最高値は1ドル=75円332銭(2011年10月31日)であったが、話を分かりやすくするために80円で考えてみよう。前述のビッグマック指数から得た発想でもあるが、これだと輸出した企業が受け取れるのは80億円となる。
これがもし、1ドル=130円になれば、130億円の売上金が入る。言い方は悪いが、円安に振れたおかげでなんの努力もせずに50億円の増収となるわけだ。ある意味、真面目に働くのがバカバカしくなる話ではないか。
問題はそれだけではない。
というより、むしろこちらの方が本質的な問題なのだが、日本の輸出企業が潤ったのは、もっぱら為替が円安に振れたおかげで、売り上げやシェアが伸びたわけではない、ということだ。
実際には、家電や自動車など主たる輸出産業は、2010年代以降、韓国などの猛追を受けてシェアをじりじりと減らしてきていた。
データだけでなく、実際にイタリアやスペインのホテルに泊まると、備え付けの薄型TVは大抵サムスン製で、街にはヒュンダイの乗用車も少しずつ増えているのがよく分かる。
韓国はEUとの間でFTA(自由貿易協定)を締結しており、たとえば日本製の薄型TVには20%の関税が課せられるのに対し、韓国製は無税なのだ。
こうした側面を無視して、これ以上人件費が高くなったら、ますます国際競争力が低下する、などという理屈を持ち出して賃上げを抑制し、その一方、無理筋とも言える円安政策でもって輸出産業の利益だけは確保してきた。実は、これこそアベノミクスの実態だったのである。アホとまで言えるか否かはともかく、経済政策としては間違いなく失敗であった。
このところ岸田内閣の支持率が低迷している。
政務官クラスの相次ぐ不祥事=任命責任など、自業自得だと言ってしまえばそれまでだが、私見ながら、それが全てだとも考えにくい。安倍内閣の支持率は一貫して高かったが、閣僚はもとより、首相自身にも「桜を見る会」をはじめ、数々のスキャンダルがあったではないか。
とどのつまり、現在、日本がスタグフレーション(経済停滞下でのインフレ)に足を踏み入れていること、その原因が自公政権の経済政策の失敗にあったということに、有権者が気づき始めている、ということではないだろうか。
本シリーズは、様々な角度から検証を試みる。乞うご期待。
トップ写真:東京歌舞伎町歓楽街を自転車で走るウーバーイーツの配達員たち(2020年4月11日 東京)(本文とは直接関係ありません)
出典:Tomohiro Ohsumi / Getty Images
その1はこちら。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。