アメリカの感謝祭とタイタニック その1
柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)
【まとめ】
・ニューヨーク、今年は感謝祭・サンクスギビングのデコレーションをほとんど見かけない。
・どの店も、一刻も早くクリスマスモードに突入したい感が満載。
・消費者にどれだけ年末に向けておカネを使わせるかの加速が今年は頂点に来た。
アメリカでは11月の第4木曜日は感謝祭「Thanksgiving day(サンクスギビング・デー)」の祝日である。
今年は11月23日がその日であり、翌日は「ブラック・フライデー」と呼ばれる1年で一番の大安売りが謳われる日で、この日からクリスマス、ホリデーシーズンのスタート、一気に年末の雰囲気になる。各企業はこの時期の売上が1年の売上のかなりの部分を占めるため、毎年、かなり鼻息が荒い。
ニューヨークの秋は10月下旬のハロウィンがあって、11月下旬の感謝祭、そして12月のクリスマス、とつながる一連の流れがあるのだが、私がアメリカに来た90年代初頭は、それぞれのイベントに切れ目とけじめと人々の心意気がまだあったように感じられたものだが、年々、加速度的にその切れ目が無くなってきているように感じる。
以前は、感謝祭を迎える前にクリスマスの話をすると「野暮、無粋」と言われたものだが、今や野暮もへったくれもなく、例えば、私の家の近所の量販店ではハロウィン前から、もうクリスマス・ツリーやデコレーション用品が売られているし、ハロウィンが終わった瞬間、待ってました、とばかりにおもちゃ、家電などのギフトが並べられ始めた。
先日、一緒に散歩に出た息子がつぶやいた。
「どこ行ってもサンクスギビングの準備やって無いね」
そういえば、と気がついた。
今年は、街なかで感謝祭・サンクスギビング絡みのデコレーションをほとんど見かけない。
七面鳥や、秋の収穫をイメージさせるようなものが見当たらないどころか、地元のスーパーの店員はもうサンタの格好をしている。いくらなんでもやりすぎだろう、と思っていたら今日はなぜか普通の制服に戻っていたが、毎年恒例のクリスマス・ツリーのコーナーが道路に作られ始めていた。
▲写真:路上で販売される生ツリーはホリデーシーズンの風物詩
筆者提供)
感謝祭当日は、日本では馴染みが薄い七面鳥(ターキー)の丸焼きを各家庭で食すのが伝統、とされ、各スーパーなどには冷凍、もしくは半解凍された丸ごとターキーや、関連食品が並び、スーパーなどは売り込みに躍起になるのだが、今年は飾り付けやデコレーションが、かなり地味との印象がある。
▲写真:この時期、所狭しとスーパーに並べられるターキー。30〜70ドルくらいだが昨年より高い印象。
筆者提供)
何故か?と視野を広げてみれば、理由は一目瞭然である。
どの店も、一刻も早くクリスマスモードに突入したい感満載なのである。ターキー以外、めぼしい商品が見込めない感謝祭は投資する価値はなく、もはや「よーいどん」の掛け声にしか過ぎないのであろうか。
消費者にどれだけ年末に向けておカネを使わせるかの加速が今年は頂点に来た感がある。息子ですら感じた「節操がない」という感覚はもう古いのか。
とは言え、使わせるだけでなく、消費者の側の鼻息もかなり荒いと言わざるを得ない。
世論調査会社「ギャラップ」によれば、金曜日の「ブラック・フライデー」から始まる今年のホリデーシーズンに米国民が使おうと考えている予算の中央値は923ドルであるという。
特に都市部において、物価高騰の直撃を肌で感じている私としては、その金額の多さに驚くが、それだけ使えるお金がある人が平均的にいるならば、経済は堅調であるのかとの印象をも抱く。
前述した通り、街はすでにクリスマスモードに彩られつつあるが、アメリカにおける感謝祭は、文字通り本来は感謝の日である。
家族、友人が皆で集まり過ごす日でもあり、師走の慌ただしさに比べれば、この時期は皆が優雅に過ごせる期間で、23日の木曜日から日曜日までの4日間は実質連休であり、我が子どもたちに至っては、今週月曜日から日曜まで学校がまるまる7日間休み、という、親からすればありえない迷惑期間である。
サンクスギビング・デーの歴史を紐解けば、17世紀にイギリスから渡ってきた人々が、苦難の生活の中で、アメリカ先住民から施しを受け、それに感謝した祭りであったということが起源の「公式見解」とされる。
初代大統領、ジョージ・ワシントンは1776年に独立宣言、そして1789年11月に、国として最初の感謝祭を祝う宣言をしたが、その後紆余曲折を経て、感謝祭の日が現在の「11月の第4木曜日」になったのは、1941年になってからである。
感謝祭の日のもう一つの主役は、何と言っても、ニューヨークで行われる有名なバルーン・パレードである。
このパレードは、ニューヨークのデパートである「メイシーズ」が1924年に店の宣伝で始めたもので、移民一世が多かった店の従業員たちが感謝を込めてヨーロッパであったようなパレードをやりたい、と集まって始まり、初期には動物などが行進、その後それらが進化した形が現在のバルーン、というわけだ。(出典:Macy’s Parade: The History Of The Macy’s Thanksgiving Day Parade)
最初の頃のパレードは「感謝祭のパレード」ではなく「クリスマスのパレード」であったという。メイシーズを舞台とした1947年の映画「34丁目の奇蹟(Miracle on 34th Street)」にはその雰囲気が描かれている。
メイシーズは元々は今と別の場所にあったが、1902年に現在の場所に移転して、「世界最大のデパート(THE WORLD’S LARGEST STORE)」を宣伝文句にした。
世界最大の売り場面積を誇り、現在でも、アメリカ国内では最大の売り場面積を誇るデパートであるが、当時デパートを世界最大にしたのは「イジドー・ストラウス」という経営者で、従業員を大切にする、と大層、働く側から人望が厚い人であった。
写真:イジドー・ストラウス(1900年代 アメリカ・ニューヨーク)
イジドーは、仕事も多忙を極めた1912年、彼の妻とともに南フランスのケープ・マーチンで短い時間を過ごした。そして4月、夫妻はサウサンプトン発、ニューヨーク行きの「タイタニック号」の乗客となったのであった。
(その2につづく)
トップ写真:メイシーズ・サンクスギビング・デー・パレードでのピルズベリー社のドゥボーイ・バルーン( 2021年11月25日 アメリカ・ニューヨーク)
出典:James Devaney /Getty Images