安倍派の危機から考える 創設者・福田赳夫元首相の政治理念
佐々木倫子(文筆家/金融アナリスト)
「佐々木倫子の世の中診断 ~人新生を生き抜くヒント~」
【まとめ】
・安倍派の基盤作った福田赳夫元首相は在任2年間ながら物価安定、経済立て直し。
・首相退任後も独シュミット元首相と人口問題、環境問題などで提言。
・福田親子が築いた東南アジアや中国との外交を活かし、米依存姿勢を脱することが重要。
自民党の派閥の政治資金パーティーにまつわる問題で、自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会、以下、清和会)が岐路に立っている。
清和会は安倍晋三元首相の祖父である岸信介元首相が率いた派閥・岸派の系譜を受け継ぐ。福田赳夫元首相は、当時の池田勇人首相の高度経済成長政策に異議を唱え、1962(昭和37)年に岸派を基盤として立ち上げた「党風刷新懇話会」が起源だ。その後、首相退任後の1979(昭和54)年に、「政清人和(まつりごと清ければ人おのずから和す)」、清廉な政治は人民を穏やかにするという意味を込め「清和会」と名付け、初代会長に就任した。
1998(平成10)年、森喜朗氏が会長となり「清和政策研究会」と名前を変え、2000年以降、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫の4人の首相を輩出。現在は、自民党所属の全国会議員の約4分の1にあたる99人が所属し、安倍晋三元首相が2度目の首相退任後に10代会長に就任したが死去から1年半ほど経った今でも後任が決まらず、いまだに「安倍派」と呼ばれる。
福田赳夫元首相は、群馬県の金古町長を務める父の次男として1905(明治38)年1月14日に高崎市足門町で生まれた。高崎中学、第一高等学校と進み、1929(昭和4)年に東京帝国大学法学部卒業し大蔵省に入省。在学中に現在の国家公務員総合職試験に当たる、高等文官試験行政科に合格しているエリート中のエリートだ。しかし、次官目前の大蔵省主計局長時代、昭和電工事件への関与で逮捕されるなど波乱万丈の人生だった。この事件では無罪だったが、衆議院議員選挙出馬を決意し大蔵省を退職。
1952(昭和27)年に行われた衆議院議員選挙の群馬3区で当選以来、連続14期衆議院議員を務めた。農林大臣、大蔵大臣、外務大臣、行政管理庁長官、そして副総理として活躍し、1976(昭和51)年12月に自民党総裁となり、第67代内閣総理大臣に就任した。その後、1983(昭和58)年には各国の首脳経験者による「OBサミット」を立ち上げ、1990(平成2)年の総選挙を機に政界を引退。長男の康夫氏が後継者となり、1995(平成7)年に90歳で亡くなられるまでOBサミットの活動に精力的に取り組んだ。
福田赳夫元首相は「角福戦争」を熾烈に争った田中角栄元首相とは対照的な人物で、両親の厳しい躾により自分の功績を誇示することを好まなかった。さらに、博学で文化に造詣が深く、人情味にあふれ、先見性を持ち合わせた人物だった。
また、経済、政策についてはブレーンを必要としないほどの政策通でもあった。田中内閣時代の1973年10月の第1次石油危機に直面すると政敵の田中氏は列島改造論を撤回し、福田氏に経済問題を一任すると懇願。福田氏はこれを受け大蔵大臣に就任し、この難局を見事に乗り切った。その後の首相就任後も経済政策に意欲的に取り組み、日本を世界有数の経済成長国に押し上げている。2年という短い在任期間ながら、物価を安定させ、日本経済を立て直す功績を遺した。
1972 年には外務大臣として「国際交流基金」を創設し、日本と世界、特に東南アジアとの文化的な結びつきを強化。さらに、1977(昭和52)年には東南アジア歴訪中に東南アジア外交3原則「福田ドクトリン」を打ち出した。「福田ドクトリン」や福田氏の外交努力は、日本とアセアンの関係を劇的に改善させ、良好な関係を築いた。この取り組みは後継の康夫氏に引き継がれ、現在も康夫氏が精力的に東南アジアや中国を訪問している。これらの功績は、もっと多くの人に知られても良いのではないかと思っている。
▲写真 西ドイツのヘルムート・シュミット首相と福田赳夫首相(1978年10月11日首相公邸)出典:Bettmann/Getty Images
首相退任後、「OBサミット(インターアクション・カウンシル)」の活動に熱心に取り組み、ドイツのシュミット元首相とともに人口問題、環境問題など世界の様々な課題で提言していった。今年8月に出版された「OBサミットの真実 : 福田赳夫とヘルムート・シュミットは何を願っていたのか」(ダイヤモンド社)には、その内容が詳しく書かれている。
この本によると、福田赳夫元首相とシュミット元首相は知識人で、私欲なく世界の平和を常に願う人柄だった。互いの家を訪ねるなど深い友情で結ばれていたようだ。両者は真面目に物事を考え、文化に造詣が深く、人間性に富んでおり、共通点が多く、親密な関係が築かれたことは不思議ではないのだが、現役中はそこまで親密な様子がなかっただけに、意外な内容だった。シュミット元首相は福田赳夫元首相のお墓参りのため、群馬を訪れているほどの仲だったようだ。
この本を読んで日本とドイツは両国とも敗戦国という共通点もあり、福田赳夫元首相の提言が現役時代に実現していたら、「今とは違った社会になっていたのかもしれないのでは」という疑問が浮かんだ。この本は福田赳夫元首相の専属通訳兼事務局員を長年務めていた渥美桂子氏が書いたものだが、OBサミットを中心に据えているため、現役時代の二人のやりとりについては詳しく触れられていない。政局不安な今、この点についての言及があれば、より意味のある資料となったように思う。
政治の世界において日本が世界をリードすることは稀有で、現在、日本が世界のリーダーとしての地位を失いつつある。しかし、福田赳夫元首相が天命を懸け尽力されたことを通じて、希望が見えた。この本では福田赳夫元首相の人柄や政治手腕を通じて、清話会の理念も垣間見られる。
時代は大きく変わり、米ソの時代から中国の時代になりつつある。福田親子が築いた東南アジアや中国との外交を活かし、米国に依存する姿勢を脱することが重要だ。今後、もし清話会が分裂すると、国力の低下につながるだろう。今こそ、福田赳夫元首相のように日本の国益を考え、一致団結して外交に取り組むことが重要ではなかろうか。
トップ写真:福田赳夫首相(1977年1月26日)出典:Bettmann /Getty Images
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この記事を書いた人
佐々木倫子文筆家/金融アナリスト
日系銀行、シティバンク、日興シティ信託銀行の勤務や、ITベンチャー企業でのIR・広報などを経て、金融に強みを持つライターとして活躍。過去の歴史や経緯を含めた執筆を得意とし、食等幅広い分野の執筆も手掛ける一方で、政治、経済を中心としたコラムに関わる仕事やキー局のラジオ番組制作にも従事。さらに、日本ウズベキスタン協会理事として中央アジア・ウズベキスタンと日本の友好にも尽力しており、ウズベキスタンの国営放送に出演した経験もある。
これまでのキャリアで培った金融の知識と、企業経営の視点、ニュースを複合的に織り交ぜたファンダメンタルズ分析を得意とし、最先端の取引環境を提供するFXブローカーを表彰するGlobal
Forex Awardsを連続で受賞しているFXブローカーのアナリストとして金融マーケット分析コラムの執筆経験あり。
また、銀座の老舗商店主の方々と共に、古き良きものの継承にも携わっている。
趣味は、読書、おいしいものを食べる、着物、日本の伝統音楽(一中節など)、銀座散策など
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