[神津伸子]<ある引退>長野・ソチの2回の五輪アイスホッケー日本代表・近藤陽子

神津伸子(ジャーナリスト)
「ようこさん、お疲れ様!」「ゆっくり休んでね」7月13日、東京・東大和市のスケートリンクで、ある引退試合後、こんな声が観客席から飛んだ。一人のオリンピアンが、この日、静かに競技生活の幕を閉じた。長野、ソチ五輪と、2回のオリンピック出場を果したアイスホッケー・スマイルジャパンのディフェンスの要、SEIBUプリンセスラビッツの近藤陽子だ。
チーム内の紅白戦だったが、同じく五輪で活躍した久保英恵、足立友里恵、中村亜実、床亜矢可、鈴木世奈ら、蒼々たるメンバーが顔を連ねた。試合後、ホッケースティックを置き、ヘルメットを脱いだ近藤の表情は、勝負師の顔から、とても優しく穏やかな女性のそれに変わっていた。やり遂げた充実感に溢れていた。涙はない。
監督の八反田孝行は「チームが勝てなくて、辛かった時もチームを支えてくれた」と、挨拶。そして、笑顔の胴上げ。職場の同僚が用意した紙テープと花束も舞った。その様子を母、幸子もこみ上げるものを抑えながら、見守った。「陽子、本当にありがとう」
アイスホッケーという競技は、日本ではマイナースポーツである。しかし、競技としては、最高に面白いものの一つだ。アメリカの4大プロスポーツとしても非常に人気が高く、チケット入手が困難な試合も少なくない。そんなアイスホッケーがソチ五輪開幕1年前から、国内でもにわかに注目を集め始めた。女子日本代表が、早々と最終予選を勝ち抜き、オリンピック出場を決めたからだった。笑顔が似合う彼女たちの愛称は“スマイルジャパン”。連日、メディアにも登場した。
五輪での成績はスウェーデン戦0-1、ロシア戦1-2、ドイツ戦2-3など、僅差の接戦が多かったが、初勝利はお預けの8位だった。が、開催国出場だった長野五輪の、対カナダ0-13、フィンランド1-11、中国1-6、米国0-10、スウェーデン1-5に比べたら、格段の進歩を遂げていることをスコアでも証明して見せた。
まだ、世界への第一歩目でもある。大学生として長野五輪に参加した近藤は、その歴史を見続けてきた。というか、近藤なくしては、この成長はありえなかったのかもしれない。
近藤はアイスホッケーを兄の影響で、小学校時代から始めた。以降、常に日本の女子を牽引してきた。が、ソチ五輪最終予選前に、右足じん帯損傷という大怪我で、予選出場がかなわなかった。「皆を信じて待っていたけど、待つのは本当に辛かった」。技術面を始め、精神面でも素晴らしい技量を持つ。後輩の主将・足立も「いつの日か、指導者として戻って来て欲しい」と話す。前日本代表監督の飯塚祐司も、その力を認め、引退前からそう声をかけている。
「今は、まだ頭の中が真っ白です」引退試合の日、近藤はそう話した。プリンスホテルの社員でもある。しばらくは、OL生活に戻る34歳。少しのんびりもしたい。英語も勉強したい…。
「でも、色々やりつくしたら、またホッケーに戻って来ちゃうかも」とも。
(文中敬称略)
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【執筆者紹介】
1983年、慶應義塾大学卒業後、企業勤務を経て、87年産経新聞社入社。94年にカナダ・トロントに移住し、フリーランスとなる。 以後、数々の出版・企画・編集に携わっている。2013年から朝日新聞出版「AERA」を中心に取材・執筆。現在に至る。
[主な著書(含編集)]角川書店「もうひとつの僕の生きる道」、晶文社「命のアサガオ 永遠に」、学研「東京お散歩地図」、双葉社「アイスホッケー女子日本代表の軌跡 氷上の闘う女神たち」