鉄とアメリカ(1)〜NY在住の爺カメラマンが見るUSスチール買収劇〜

柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)
【まとめ】
・米政府は「日本製鉄によるUSスチール買収は国益を損なう」として買収を阻止している。
・USスチール買収をめぐる議論は、1989年のロックフェラーセンター買収や、過去の激しいジャパン・バッシングを思い起こさせる。
・USスチール買収は単なる経済取引ではなく、アメリカの誇りに関わる問題である。
日本製鉄による、USスチール買収に関するニュースが大きな話題となって久しいが、素人目に見れば好条件と思われるこの取引、周知の通り、アメリカ政府は民主党のバイデン前政権、共和党のトランプ現政権共に「日本製鉄による買収は認められない」と、民間企業同士の取引にもかかわらず介入して、買収阻止に動いてきた。
しかし、訪米した石破首相との面談に臨んだトランプ大統領は、石破首相の1兆ドルにも上る対米投資の意思表明に気を良くしたのか、それまでの態度を急に軟化し「買収ではなく、投資なら歓迎する」とも述べたという。
この買収を巡っては、日本製鉄、USスチール双方がアメリカ政府を提訴しているが、ここ数日、状況は刻々と変化しているようである。私は、この問題の行方を見守りながら、一つのギモンを抱いている。
政府が介入し、しかも民主・共和両党問わず、何が何でも買収阻止に動いてるアメリカ政府は、介入の理由について「日本製鉄による買収は国益を損なうから」ということだからだそうだ。アメリカ政府は「国家安全保障上の懸念」を理由に買収を阻止している。しかし、それは表向きの理由に過ぎないのではないか。
私は、アメリカ人の本音があまり話題になっていないのではないかと感じている。
アメリカ人と鉄は歴史的にも切っても切り離せない。鉄が持つ強さは力の象徴であり、独立心の象徴でもある。「強いアメリカ」を体現する、そのものの存在であると思う。
アメリカにとって鉄とは単なる素材ではない。歴史的にも、建国当時のアメリカでは、銃が重要な役割を果たしてきた。イギリスから戦争を通して独立したアメリカにとって、銃は独立と自由の象徴であった。日本人には理解しがたい、アメリカ人の銃への執着の根本は、ここにあると思える。
西部開拓時代には鉄道がアメリカの発展を支えた。大陸横断鉄道、その後の高層ビル建設、戦争での武器生産──そのすべてに鉄が関わっている。
写真)NYグランドセントラル駅。かつて西海岸への大陸横断鉄道へつながる出発駅だったが、現在は近郊通勤列車用の駅。筆者撮影。
19世紀の大陸横断鉄道の建設には膨大な量の鉄が使われた。シカゴ、ニューヨークなどでは鉄骨の登場によって、超高層ビルがどんどん作られ、地下鉄などのインフラも整えられた。それらを当時支えたのが鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーらであり、カーネギーが保有していた製鉄会社などを合わせてピッツバーグで興されたのが、現在のUSスチールである。
USスチールは、そうした歴史の中で「アメリカの力」を体現してきた。この会社は、第二次大戦中には34万人もの従業員を抱え、戦車や戦艦の製造を支えた。戦後も、USスチールはアメリカの産業と雇用の象徴であり続けた。
USスチールはやがて世界最大の鉄鋼メーカーとなり「アメリカの誇りの象徴」ともなったのである。
こういう歴史的背景がある会社が、外国企業に買収されることについて、ナショナリズムが強い人々からしてみたら、強い抵抗感があるのは当然であろう。今回の日本製鉄によるUSスチールの買収劇は、アメリカにとって「アメリカの企業が外国の企業に買収される」以上の感情的意味合いも含まれるのを感じる。
USスチール買収をめぐる議論を見ていると、私は1989年に、日本企業がロックフェラーグループの株式51%を取得し、ニューヨークの象徴であるロックフェラーセンターを手にしたときのことを思い出さずにはいられない。
ジジイカメラマンである私は、当時から、すでにNYに住んでいた。
日本の誇らしげ(?)な報道があったあの日、私の知り合いの日本人映像ディレクターは、NYの道端で「お前は日本人か?」と聞かれ、うなずくと、いきなり殴り飛ばされた。誇らしく思うどころか、ニューヨークで日本人は、大変な反感を買っていた。
その日からは、ただただ肩身が狭く、人々の視線に恐怖を感じる日々が続いた。私も、いつストリートで殴られ、襲われるか、日々が恐ろしかった。
これより前には、日本車が経済摩擦の火種となっており、自動車産業の盛んだったデトロイトでは日本の自動車産業の「悪名」は隅々まで浸透していて、激しいジャパン・バッシングが起き、「日本を良く知っている」アメリカ人の間では「知っている日本のイメージ」は最悪に近かった。
「次は自由の女神を買うんだろ!?」
知り合いのアメリカ人にはそう言われた。
日本は「顔の見えない国」だった。「アジア人」といえば一般の人々の理解は中国人のことであり「日本人= Japanese」と言ってもニューヨークにおいてでさえ、認知度は低かった。
中華料理は知っていても、ラーメンはおろか、スシすらもまだ一般には馴染みがなかった。「スシ」は日本の現地駐在員がアメリカ人の顧客を接待するための道具でしかなく、「一般に認知された」と言って良いのは、まだ10年以上先のことである。
私は、当時売れまくっていたソニーの「ウォークマン」を手にとってアメリカ人相手に説明した。
「ほら、これを作っているのが日本なんだ。これを作っているSONYは日本の会社なんだ!」と説明すると「嘘つくな。良く見ろ。ほらSONY America、って書いてあるだろうが!」と返された。彼はソニーの大型テレビも持っていたが、わざわざ裏を見せて「ほら、やっぱりSONY Americaって書いてある」とまで言い切った。
顔の見えない日本に良いものなど作れるわけがない。そういう口ぶりであった。
アメリカにとって、当時の日本は「知らないうちに忍び寄る脅威」なのであった。
ビジネスマンでもあるトランプ大統領、バイデン氏にとって、この時の「悪夢」は忘れられない出来事なのではないかと想像してしまう。「イジメた方は忘れてても、いじめられた方は忘れない」こともあるのではないか。
私のアパートから車で15分程度の距離にある公園に、その昔、USスチールが建造した、45メートルにもなる巨大なモニュメントがある。
写真)2015年筆者撮影。「世界最大の地球儀」ユニスフィア。人工衛星の軌道が描かれている。右奥には、当時「屋根」を建築中だったUSオープンテニス会場のスタジアムが見える。
ここは、かつてNY世界万博(1964年)が行われた場所で、このモニュメントは大阪万博「太陽の塔」のような存在であり、モニュメントはここで万博が行われた象徴として残されている。
このモニュメントは「ユニスフィア(Unisphere)」と呼ばれ「世界最大の地球儀」とも言われる。「Uni + Sphere「一つの+球」という意味だ。モニュメントを説明する銘板には、こう記されている。
写真)「ユニスフィア」を解説する銘板。碑文には「UNISPHERE / 相互理解を通じて平和への人間の願望に捧げ、拡大する宇宙でのその成果を象徴する / 建築と寄贈 / USスチール / 1964-65 ニューヨーク万国博覧会、1964年4月22日 / ステンレス鋼で作られたユニスフィアは、高さ140フィート、直径120’、重さ700,00ポンド 」とある(ニューヨーク公園局のウェブサイトの写真から)
「相互理解を通じて平和を目指す人類の願いに捧ぐ/ 建設と寄贈:USスチール1964年4月22日」
私は今回のUSスチール買収が単なる経済取引ではなく、アメリカの誇りに関わる問題だと思っている。
どういう決着を迎えるのか。現地の日本人としては昔の揉め事の再現だけはまっぴらごめんだ。
(「2」へ続く)
トップ写真:世界最大の地球儀「ユニスフィア」USスチール寄贈 2018年、筆者撮影
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この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー
1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

