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.社会  投稿日:2025/7/15

純粋な娯楽はどこへ?『スーパーマン』から読み解く映画の変化


中川真知子(ライター/インタビュアー) 

「中川真知子のシネマ進行」 

 

【まとめ】 

・映画『スーパーマン』は現代の問題意識を反映した強いメッセージ性がある。 

・一方で、描き方に政治色が濃く感じられる場面があり、人々の分断を深める懸念がある。 

・エンタメの枠を超え、強いメッセージ性を前面に押し出す作品に違和感を覚える。 

 

私たちは何を目的に映画を観に行くのだろうか。 

忘れもしない2007年、カナダのバンクーバーの街を歩いていて、『ソウ4』の広告を見ながら自問自答していた。ホラー映画は好きだが、大人気シリーズの第4作目を観に行きたいという気持ちにはなれなかった。理由はなんとなく分かっていた。私には、あの作品が少し説教くさく思えたのだ。猟奇殺人者に命の大切さや更生を語られる理不尽さを、うまく消化できなかった。この頃から、エンターテインメントの枠を超え、強いメッセージ性を前面に押し出す作品に違和感を覚えるようになった気がする。 

あれから約20年が経とうとしているが、今は『ソウ』シリーズよりもさらにメッセージ性の強い作品が増えていると感じる。現在公開中の『スーパーマン』も、その一つだ。 

■今回のスーパーマンは設定が異なる 

ジェームズ・ガン監督による『スーパーマン』の主人公は、超人であるものの、悪を凌駕するほど圧倒的に強いわけではなく、打ちのめされても立ち向かうキャラクターとして描かれている。 

幼少期にクリプトン星から地球へやってきて、カンザスの農家夫妻に育てられ、メトロポリスの新聞社に勤めながら平和のために活動する――という大筋は、これまでのシリーズと共通している。 

ただ、クリプトン星の両親から託された使命がこれまでとは異なり、その葛藤がスーパーマンを苦悩させ、アイデンティティの模索へとつながっていく。私には、彼が私たちと同じように悩み、人間社会にどう受け入れられるかを必死に訴える姿がとても人間的に映った。 

『スーパーマン』はこれまでも繰り返し映画化されてきた作品で、直近ではザック・スナイダー監督が『マン・オブ・スティール』としてヘンリー・カヴィル主演で新たに描いた。あの作品は従来の明るくポップなスーパーマン像を覆し、ダークでサイバーな路線にシフトしたことが特徴だった。カタルシスを感じさせる展開と、大人向けの演出で多くの映画ファンを魅了したように思う。 

一方で、ジェームズ・ガン監督の『スーパーマン』は原作のアメコミの雰囲気に近く、カラフルでポップだ。さらに予告編の時点で「弱さ」が示されていたため、かつての強いスーパーマン像に思い入れがあるファンや、ザック・スナイダー監督の世界観を支持する人々の一部からは、SNS上で否定的な意見も出ていた。 

もっとも、本作が話題になっているのは、そうした演出面だけではない。私自身、やや説教的に感じられる場面があったのも事実だ。 

© & TM DC © 2025 WBEI 

 

■映画を娯楽として楽しめた日が懐かしい 

本作の中心にあるテーマは、人間としての優しさとは何か、だと理解している。 

ただ、私には、その描き方が昨今の反グローバリズム的な論調を反映しているようにも見え、どうしても政治色が濃く感じられる場面があった。 

レックス・ルーサーという世界征服を企む天才科学者が、宇宙人であるスーパーマンを危険視し、排除しようとする。その手段は容赦がなく、スーパーマンを支援するサンドイッチ売りの東アジア系男性を殺害したり、子どもを人質に取ったりする描写がある。一方でスーパーマンは、地球人に受け入れてもらうため、ボロボロになりながらも戦い続ける。 

私には、移民や難民を善、理解を示さない人々を悪として描く構図が、少し単純化されているように思えた。ただ、それを現代の問題意識を反映した誠実なメッセージだと受け止める観客も多いだろう。 

公開前の試写会でも賛否が分かれ、本国アメリカではメディア向けの情報解禁日を守らずにレビューを出す媒体もあった。SNSでの感想や記事の公開が相次ぎ、評価する声と批判する声が入り混じり、公開前から混乱が生じていた。 

さらに、『スーパーマン』というIPのルーツについての議論も盛り上がり、原作者がユダヤ系移民の子孫で、もともと難民の物語として生まれた作品であることが改めて紹介されていた。 

もちろん、作品の出自や背景を知ることで理解が深まる面もあるだろう。ただ私自身は、なぜ映画を単なる娯楽として楽しむのが難しくなったのか、少し寂しさを感じている。 

 

■娯楽は人を結びつけるものだったのではないか 

喜怒哀楽は誰にでも備わっている感情だ。悲しいものを観れば涙を流し、楽しいものを観れば笑う。その瞬間には、貧富や思想、宗教観は関係ないように思う。作品が観客の感情を揺さぶるとき、そこには立場を超えた共感が生まれる。 

モーツァルトが1791年に大衆のために作曲したオペラ『魔笛』が、時代や国を超えてあらゆる階層の人々に親しまれてきたように、娯楽は共通の感情をもたらすものだと思う。 

それがいつの間にか、社会的理想や政治的メッセージを伝える媒体としての側面が強くなり、観客を分断へ導いてしまうのではないか、という不安も感じている。日本では参院選を控えた時期ということもあり、政党のマニフェストと絡めて語られる場面もあった。 

なぜ、もっとシンプルに楽しませてくれないのだろう。立場や考えが異なる人同士をつなぎ、対話のきっかけを与える物語を観たいと思う。 

たとえば『もののけ姫』が公開されたとき、「どちらにも正義がある」という描き方がハリウッドに衝撃を与え、後に『モンスターズ・インク』が生まれたといわれている。立場が変われば意見も変わる。だからこそ対話が生まれ、視野が広がるのだろう。 

[caption id="attachment_88133" align="alignnone" width="597"] 写真)主演-デイビッド・コレンスウェット(左)ヒロイン-レイチェル・ブロズナハン(右)-2025年7月7日 ハリウッド、カリフォルニア 
出典)Maya Dehlin Spach/Getty Images [/caption]

今回の『スーパーマン』についても、人々の分断や議論を呼ぶ要素がある一方で、物語としてはとても面白かった。テンポの良さや明るいビジュアル、スーパードッグのクリプトが登場するシーンは場内を和ませていた。主演のデイビッド・コレンスウェットも、ヒロイン役のレイチェル・ブロズナハンも、キャラクターにぴったりだと感じたし、これからの活躍が楽しみだ。 

私自身、2度目の劇場鑑賞を考えるほど気に入った作品だ。ただ、同時に、この映画がきっかけで人々の分断が深まるのだとしたら、それは少し残念に思う。 

 

 

トップ写真)「スーパーマン」上映会にてラッセル・トーヴィーがスピーチ-イギリス、ロンドン -2025年7月13日 

出典) Jeff Spicer/Getty Images for Warner Bros Pictures 

 

 




この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー

1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

中川真知子

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