テーマに恵まれながら、なぜここまで散漫に?:映画『キャンドルスティック』が描く搾取構造

中川真知子(ライター/インタビュアー)
「中川真知子のシネマ進行」
【まとめ】
・映画『キャンドルスティック』は、日本社会の多岐にわたる問題を描こうと試みた意欲作である。
・株価操作や半導体衰退、難民問題など、非常に多くのテーマが扱われている。
・優れた題材の数々を活かしきれず、表面的な描写に終始した結果、非常に「勿体ない」印象が残った。
日本がいかに搾取され、これからも搾取され続けるのか。それを断片的に描こうとした意欲作が劇場公開中だ。タイトルは『キャンドルスティック』。
こんなに題材に恵まれながら、どうしてここまで散漫な作品になってしまったのか。ずっと考え続けている。
キャンドルスティックとは株価チャートのローソク足のこと。平成から令和へと元号が変わる2019年5月7日、金融システムが混乱する日に金融機関のAIを欺き、FXで大金を稼ごうとするアウトローたちを描いている。
だが、この作品はAIを騙すスリルを描いているようで、実際にはほとんど緊張感が伝わらない。物語としても破綻が多く、完成度は決して高いとは言えない。それでも酷評するためだけにこの記事を書いているわけではない。あまりにも勿体なく、無念が残る作品だからこそ、その理由を記しておきたい。
盛り込みすぎて何も残らない
この映画の最大の問題は軸のぶれだ。株価操作を中心に据えればよかったはずなのに、日本の半導体メーカーの衰退、台湾の急成長、難民・無国籍児の孤児院立ち退き問題、自己啓発のようなFXセミナー、数字に色が見える共感覚など、過剰に多くの要素を詰め込んでいる。その結果、訴求ポイントであるはずの「AIを騙す」部分が全く目立たず、観客は一度も息を呑むことができない。
何を描きたかったのかが最後まで曖昧で、上映時間約90分に収めたことで、イメージの断片をつなぎ合わせただけの作品に見えてしまった。
特に、難民・無国籍児のハウスのくだりは背景説明がほとんどなく、扱うにはあまりに唐突だ。日本に住み続けるために犯罪に加担し、日本に損害を与えて自分たちだけがハッピーエンドになっているようにも受け取れる。それが本当に意図したシナリオだったのかは疑問が残る。
共感覚と行動原理の乖離
登場人物の行動原理も理解しづらい。阿部寛演じる元天才ハッカー・野原と、菜々緒演じる杏子は共感覚を共有し恋に落ちるが、劇中での距離感はぎこちなく、同棲するほどの親密さにはとても見えなかった。共感覚は当人にとって自然で、特別な絆を生む根拠にするには説得力が薄い。筆者自身、音に色を感じる共感覚を持つが、それが孤独や犯罪の動機に直結するとはとても思えない。
加えて、難民・無国籍児の「夜光ハウス」の経営者も謎が多い。副業でFXセミナーの講師をしているが、センスがなく、なぜそんなやり方で資金を得ようとするのかが語られない。最終的に財産を差し押さえられ、鬱を悪化させ、施設を手放して終わる。不可解な行動ばかりが目立ち、彼の人間性にはほとんど触れられなかった。
黒幕である台湾人女性も目的が曖昧だ。日本の半導体を潰すスパイなのか、単に金を得たいだけの悪女なのか。野原が彼女にそそのかされ、上司まで巻き込んで勤め先を陥れた理由も描かれない。主要人物が複数いるのに、背景もモチベーションも説明されないまま物語が進むので、始終「?」が消えなかった。
唯一、行動が一貫していたのはハウスのイラン人女性だった。彼女は子どもたちの生活を守るため犯罪に加担し、金を集める。このくらい動機がはっきりしていれば、物語はもっと理解しやすかったはずだ。
半導体という宝を生かしきれなかった
辛辣に書いてきたが、悪口を言いたいのではない。心底悔しかったのだ。この映画が選んだ題材のひとつひとつは、どれも深掘りすれば力強い物語になっただろう。
中でも、日本の半導体メーカーの衰退に触れたときは期待した。野原が勤めていたのは日本の大手半導体メーカーで、台湾人女性の策略によって失速し、台湾に首位を奪われる。これは、日本の産業史を知る人なら胸に刺さる展開だ。
今でこそ日本は半導体競争で遅れをとっているが、1976年に官民半導体コンソーシアムが始動してから成長を続け、1986年には生産量が世界一になった。DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)の生産量では世界シェアの大半を占めていた。しかし、日米半導体協定で輸出制限がかかり、バブルは1991年に崩壊した。それ以降は研究所の設立と統合、撤退や解散を繰り返し、勢いを失った。その間、台湾や韓国、アメリカ、オランダが着実に差を広げていった。
2022年には日本政府支援のもと「ラピダス」というファウンドリー企業が生まれたが、その背景にはアメリカの意向もある。かつてのように日本だけで世界をリードする時代は戻らないのかもしれない。
もし日本が半導体で世界トップを走り続けていたら、今とは全く違う経済と社会になっていただろう。『キャンドルスティック』がそこに踏み込み、無念や熱意を語ってくれるのかと心が弾んだ。しかし期待も虚しく、半導体という要素は飾り同然で終わった。深い意味を持たせられていたのかすら疑わしい。
半導体、難民・無国籍児問題、怪しげな啓発セミナー。どれも一本の映画になる題材を散りばめ、どれも掘り下げずに終わったのは本当に惜しい。語らないなら、せめて潔く削る勇気を持ってほしかった。
見終わった感想は「日本が搾取され続けることを断片的に描いただけだった」。軒を貸して母屋を取られる。そんな寓話のようだ。残念ながら、非常に勿体ない作品だった。
トップ画像)「AIを騙す」という前代未聞のミッションを目論む元天才ハッカーを演じる阿部寛
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この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー
1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

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