[為末大学]【意識をすること】〜成功を捨てると成功するという矛盾〜
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
例えば自転車に乗れるようになるプロセスは、まず倒れないように全身で自転車のバランスをとり、またペダルも漕いで前方への推進力を得て、腕でハンドルを操作する。最初のうちはペダルを意識すればバランスが崩れ、腕を意識すると足が止まる。
そのうちに段々と意識しないでもバランスが取れるようになり、そうするとペダルに意識がおけて、じきにそれらも忘れて周囲の風景を眺められるようになる。熟達した人間に動作に余裕が見えるのは、自動で体が動き意識を自在におけるようになるから。初心者は意識がほぼ動きに取られている。
そしてまたさらに上達する際には、意識しなくてもできていることをもう一度意識して動きを書き換える。間違えて学習すると動きが滞るようになりスランプにハマる。また失敗などをしてその瞬間が忘れられなくなると、イップスのようにある局面だけ極端に意識するようになってしまう。
実は意識をしないという事が一番難しい。フランクルが、どもりが抜けなかった人が唯一どもりが出なかった瞬間は、キセル乗車でどもって同情を買って切り抜けようとした時だけ、流暢にしゃべったと言っていた。成功を捨てると成功するという矛盾。
ハードルの前で身構える癖がある人がそれを治すには、ハードルを飛ぶ瞬間を忘れることで、けれども人は考えないことは難しいから、例えばハードルの一歩前のことだけ考える、または音のことだけ考える。大事なことから意識をずらすやり方が効く。
悩みもスランプも、意識しないことができなくてはまる。対象から自由になるという事は、コントロールできるというよりも、それを忘れる事で成されるように思う。意識せずにはいられないという事は、それに縛られているとも言える。
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