[清谷信一]近代オリンピックは欧米の歴史コンプレックスが源流だ②
清谷信一(軍事ジャーナリスト)
[①|②]
(①から続く)
古代のオリンピックは宗教的な性格が強く、競走やレスリングなどの格闘技、武装競走、戦車などの競技が行われていた。これらすべて当時の軍事技術である。ギリシャやローマの市民は軍役の義務(同時に権利)があった。その技術を競い合うものだった。これの「劣化コピー」のどこが「平和の祭典」なのだろうか。近代オリンピックの思想の源は帝国主義的な白人優越主義に基づいているものではないかと思うのが穿ち過ぎだろうか。
近代オリンピックが始まった19世紀は、まさに帝国主義が幅を利かせている時代だった。黒人やアジア人よりも白人が偉い、優れている根拠のない白人優越主義、選民主義が主張されていた。欧州人は有色人種を奴隷や植民地で搾取してもいい、根拠を必要としていたのだ。それが我々白人には古のグレコ・ローマンの末裔であり、その長い文化的な伝統を脈々と受け継いでいるのだ、有色人種とは異なっている上等な人間なのだ、だから劣等人種を文明化してやっているのだ。
これが植民地搾取の精神・道徳的な的なバックボーンであり、白人優越主義の精神的な支柱になっていたと断言して間違いあるまい。先に述べたが、古代オリンピックは宗教的な行事であった。これを尊重するのであれば、キリスト教とぶつかることになる。グレコ・ローマンの正当な後継者であるならば、キリスト教を信じていても、何からかの形でそれまでの宗教を残しておくべきだったろう。
対して我が国では仏教と神道が同居している。だが欧州では概ね土着の宗教からキリスト教に乗り換えて、土着の宗教を捨ててしまった。中世の暗黒の教会支配の時代が、グレコ・ローマンとの関係性を断ち切ったといってもいいだろう。かつてゲルマン人たちはキリスト教に帰依することはできないと反発していた。それは自分たちがキリスト教に改宗すると、
キリスト教徒ではないご先祖様たちは救済されないからだ。頭のいい人間というのはどの時代でもいるもので、当時の布教者たちは、キリスト教の神とゲルマンの神は同じです。だから改宗しても大丈夫といって宣伝した。
クリスマスはキリストの誕生日ではない。これは研究からもはっきりしている。これが12月24日になったのは、冬至がゲルマン人の氏神のお祭りだったからだ。
キリスト教の神、エホバ=ゲルマン人の氏神
という理屈な訳だ。欧米人は我々日本人は仏教徒のくせに神棚を祀り、2つの宗教を掛け持ちしている、あまつさえクリスマスまで祝う、宗教的にはかなりいい加減だというが、欧米人も大概である。ついで言えば赤い服のサンタクロースは戦後の米国の商業主義が作った虚像である。
しかし多くの欧米人はこのような現実をインテリですら知らない。知らないから未だに無意識に「欧米の常識」が世界のスタンダードだと思っている。これは彼らと付き合うとよく分かる。偏屈だと言われるかもしれないが、近代オリンピックは欧米人の歪んだ自分探しと自己正当化がその源流となっているのだ。そのようなイベントを無批判に歓迎していいのだろうか。
別にだから日本人の方が優れているというチープな選民意識や、偏狭な愛国心を鼓舞するつもりは全くないが、そもそものオリンピックの成立から、これに参加する是非を考えてみることは必要では無いだろうか。
(①から続く)
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