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.国際  投稿日:2015/9/11

[林信吾]【見えない社会保障、支える力失った日本 】~高度福祉国家の真実 8~


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

執筆記事プロフィールblog

私が英国ロンドンで暮らし始めたのは、1983年のことだ。最初は英語学校に通う語学留学生として、その後、かなり偶然性の高い経緯で、ロンドンで発行される週刊日本語新聞の仕事に就くこととなり、結局10年間をこの街で過ごすこととなった。

人生初の海外生活だったので、カルチャーショックはたくさん味わったが、当初、街を歩いていると、見知らぬ若者が話しかけてきて小銭をせびるのには閉口した。当時の私は喫煙者であったが、カフェなどでちょっと一服、とタバコを取り出すと、相当な確率で、近くの席から声がかかる。一本くれないか、というのだ。現金は滅多に渡さなかったが、タバコは割と気前よく分けてやった。

バブルはまだ先の話だったが、その当時の日本でも、見ず知らずの相手に小銭やタバコをせびるほどのビンボーというのは、少なくとも私の周囲では消滅していたので、これはカルチャーショックと呼んでも差し支えないような出来事であった。少し経って、前回書いたように、この国の失業手当はかなり手厚く、働かない若者でも生活できていることを知り、タバコ返せ、などと言いたくなったのを覚えている。

今では日本でも全然珍しくないが、セルフサービスのガソリンスタンドも、ロンドンで初めて体験した。若い読者など、むしろ聞いて驚かれるかも知れないが、スタンドに入るや、すぐに従業員が駆け寄ってきて、窓を拭いてくれたり、灰皿の中身を捨ててくれたりするのが、一般的な営業形態だったのである。そして、そのようなサービスの対価が、ガソリン1リットルあたり10円前後についている、とも聞かされていた。

なんでやねん……と、東京者のくせに、お金の話になると急に関西弁になってしまうのだが、これはその時の私の、偽らざる心境である。当時の日本は、深刻な人手不足だと言われていた。そのような日本で、過剰なほどのサービスに人件費が投じられ、一方、失業問題が深刻な英国で、ガソリンスタンドまでセルフサービスとは、お互い、なにを考えているのか、と。

しかし、当コラムでも繰り返し紹介している「サッチャー革命」まっただ中のロンドンに身を置き、現地の新聞雑誌も読みこなせるようになるにつけ、次第に違う角度から、この問題を考えられるようになった。

端的に、日本で暮らしている人たちは、いささか過剰なほどのサービスへの対価という形で、見えない税金のようなものを払い、若年失業者をあまり増やさない(えり好みしなければ、仕事は見つかる)という、見えない社会保障のようなものを支えてきたのではないだろうか。

親が年老いたら、子供が面倒を見るのが当たり前、というのもそうだが、日本は実は「見えない高福祉・高負担の社会」であったのだと、私は考えるようになった。負担はなにも税金だけではない。

そして1993年、生活の拠点を東京に戻した時、バブルはすでに崩壊していたが、今思えば、まだ日本社会は体力を残していたのかも知れない。

問題の深刻さが明るみに出てきたのは、21世紀を迎えようとする頃からで、雇用が激減し、たとえ仕事があっても、保証もなければ将来の展望もない非正規のものばかり。国民健康保険料すら納付できない家庭が増え、貧困が蔓延していった。

とどのつまり、東京の街角で小銭やタバコをたかられることがなかったのは、日本人特有の「恥の文化」が、まだまだ滅んでいなかった、ということであったようだ。一般論として今の日本に、これまでのような「見えない社会保障」を支える力はない。いや、目に見える形で福祉は細って行き、それでいながら、消費税率は上がってきている。このまま、時代の日本人に「低福祉・高負担」の国を残してしまってよいのだろうか。答えを出すのは、有権者であり納税者でもある我々一人一人なのだ。

(この記事は、
【最後は国が本当になんとかしてくれる、のか?】〜福祉先進国の真実 1〜
【英、無償の医療は当然の権利】〜福祉先進国の真実 2〜
【実は高福祉・高負担な英国】〜福祉先進国の真実 3〜
【英、医療の進歩が財政のネックに】〜福祉先進国の真実 4〜
【英、無償の医療は「クラウンジュエル=家宝」】〜福祉先進国の真実 5〜
【英、定年後切り詰めれば年1回海外旅行】〜福祉先進国の真実 6〜
【ニートはれっきとしたイギリス英語】〜福祉先進国の真実 7〜
の続きです。あわせてお読みください)

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