[林信吾]【もっとパラリンピックに注目しよう:オリンピックの6個目の輪 その6】~経済・財政から見る五輪~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
2012年ロンドン五輪が、東京にも幾多の教訓を遺してくれたわけだが、実はパラリンピックも、ルーツは英国にある。1948年、バッキンガム州アイルズベリー(大学都市オックスフォードの近く。最近はロンドンのベッドタウンにもなってきている)の病院で外科部長を務めていた、ルードヴィヒ・グットマンという医師が、第二次世界大戦で脊髄を損傷した傷痍軍人のリハビリのために、車椅子アーチェリー大会を企画した。
名前だけ聞くとドイツ系と思われるが、彼はナチス政権から逃れて英国に渡ってきた、いわゆる亡命ユダヤ人である。戦後わずか3年、傷痍軍人の社会復帰を目指す治療とリハビリは、英国のみならず世界中の関心事であったと言って過言ではなく、この車椅子アーチェリー大会の反響も、当然ながら大きかった。グットマン医師は、英国障害者スポーツ協会の創設にも尽力し、その功績によって、民間人は滅多にもらえない大英帝国勲章を授与されている。
さらに、各国の医師やスポーツ関係者が様々な競技を考案し、1960年には、ローマ五輪の会場跡地を利用する形で、最初の世界大会が開かれるまでになった。この次の大会が、言うまでもなく1964年東京五輪であるが、この時から正式に、オリンピックとパラレルに(並行して)開催されるパラリンピックとなったのである。
東京五輪に先駆けて、グットマン医師の活動から強い影響を受けた、大分県の中村裕(なかむら・ゆたか)医師が、車椅子マラソンなどを企画しており、彼の活動も東京でのパラリンピック実現に大きく寄与した。彼は今も「日本パラリンピックの父」と呼ばれる。つまり東京は、アジアで初めてのオリンピック開催都市であると同時に、第一回パラリンピック開催の栄誉にも浴しているのだ。
五輪開催年とあって、スポーツ全般への関心が高まっているのは結構なことだが、リオデジャネイロでメダルがいくつ取れるか、という話題ばかりでは、いささか寂しい気がする。世界最高峰のアスリートの真剣勝負も、たしかに素晴らしいが、パラリンピックこそ、もっと関心事になってよい。いや、なるべきだ。
前述のグットマン医師は、戦争で四肢を失った傷痍軍人たちに、
「失ったものを数えるべきではない。残されたものを最大限に生かすべきです」
と諭しながら、リハビリを指導した。ベストセラーとなった『五体不満足』(講談社)の著者、乙武洋匡氏は、
「障害は不便だけれど、不幸ではありません」
と喝破した。2020年東京五輪は、この精神を世界に向けて発信する大きなチャンスではないのか。「障がい者」などという表記を普及させようとする偽善では、なにも解決しないのだから。
もうひとつ、忘れてはならないのは、五輪によって国際化が推進される効果である。1988年ソウル五輪を控えて、韓国のTV番組は急に国際色豊かになった。今となっては忘れられた事実だが、実はそれまで、人前で日本語の歌を歌うことは「文化侵略」として禁じられていたのである(罰則規定まではなかったが)。つい先日、SMAPの解散騒動を韓国の聯合通信が「今世紀最大のニュース」と報じたが、まさに隔世の感があるではないか。
経済・財政の側面から五輪を検証してきた本シリーズだが、結論はこうだ。経済効果や「国威発揚」といった言葉でしか五輪を語れない態度こそ、実は五輪の精神からもっとも遠いのである。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。