[為末大]<勝利条件の設定>努力至上主義は「残業」や「居残り練習」が評価される文化を作る
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
アスリートとしての現役中は勝利条件がはっきりしていたけど、引退後の世界は勝利条件の設定が案外難しい。お金持ちになりたいかというとお金が全てじゃないとふと思ったりする。「どう勝つか、勝つか負けるか」の前に「何をもって勝ちとするか」が設定しづらい。
欲張りほど勝利条件の設定が難しい。
例えば社会的名誉を勝利条件に据えようとすると、隣に自由に社会に縛られず生きている人を見て「羨ましい」、「あれが欲しい」となる。勝利条件がもう一つ増え、方向性がより散漫になり努力が集約しにくくなる。
「世の中は勝ち負けじゃないよ」と容易にいう人がいる。本質的にはそうだけれど、でもこれほど難解な事は無い。友達もパートナーもできず、仕事にも恵まれず、誰にも振り向かれない人生でも幸せだ、一向に構わないと思える人だけ勝ち負けから解放される。
社会に勝ち負けなんてない。
むしろ無いからこそ苦しい。ほうっておいたら誰も決めてくれない勝利条件を自分で決めるしかない。そして自分で決めた以上、もしうまくいかなければ敗北がはっきりしてしまう。負けたくない人は勝利条件を決める事を避ける。
「私は努力できるし、諦めない。だから何が勝利かさえ教えてくれたらちゃんとやってみせます」、案外とそういう人は多い。ハンドルの無い自転車を一生懸命漕いでいる。漕ぎ方は学校で習っても行く先の決め方、ハンドル操作の仕方は習わない。
努力至上主義になりがちな人は勝利条件の設定が曖昧。目的は勝利、努力は手段。努力を評価基準にすれば残業や居残り練習が評価される文化ができる。
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