[為末大]<敗北に神経質な理由>「世の中は勝ち負けじゃない」と言っても、そこに勝ち負けはある
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
「敗北」という言葉を使うと世の中の反応が増える。
私が以前いた世界は「勝ち負け」しか無くて、負ける事は当たり前で、僕は結局一度も一番になれなかったから敗者のまま現役を終えた。だから敗北にはもう慣れすぎてしまったのかもしれない。
「世の中は競争じゃない、勝ち負けじゃない」といくら言っても、自分が幸せかどうかを他人と比べて決める所だけ見ても、そこに勝ち負けがある。人間界の外に出てみればまさに勝負の世界で、負ければ生きる事も子孫すら残せない。
感じているのは「世の中はなんて敗北にセンシティブなんだ」という事。明らかに負けたのに何かうまくごまかして「負けてないかのように」振る舞うし、そう見せる。周りもうまく勝敗をごまかす。「頑張った、でもだめだ。僕の負けだ!」という清々しさが少ない。
二つ理由を思いつく。
一つは何かで優秀であれば全て優秀だろうという全能感。負けた人間は、どうせ他でも負けるし、何かを途中で諦めた人間はどうせ他でも諦めるだろうという考えが強い。だから一度でも負けると「烙印」を押される怖さがある。
もう一つは、一意専心とやり通す文化。
この二つが合わされば、始めた以上成し遂げるまで、やめる事も他を試す事も許されなくなる。行き着く先は「玉砕」か「成功」か。敗北には決定的なものと一時的撤退があって、生きている以上、後者でしかないのだけれど、その感覚があまりない。
勝ち負けじゃないと強くいう人の多くが、勝ち負けがはっきりする事を極端に恐れて生きている。本当に勝負から放たれた人は神経質な所が無い。勝ち負けじゃないんだと吠えれば吠えるほど、勝てない事で歪んでしまったプライドが透けて見える。
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