[為末大]<何を自分は我慢してきたのか>ただひたすらに何かを恨んで生きていく
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
突き詰めると「人間の最初の我慢」は、生まれて物心ついた時だと思う。ただ、思うままに生きていた存在が、ある日「躾(しつけ)」というもので思うままに振る舞う事を抑制される。社会でうまくやっていく為に、必要な振る舞いや考え方を学んでいく。
そのプロセスで私達は人間らしくなっていくのだけれど、一方でそのプロセスは親や社会の価値観を押し付けられる時期でもある。特に親との関係は自分の生存の鍵を握っているだけにとても影響が大きい。親は善悪を教える。その善悪の基準は親が決める。
子供は「親」ないしは「育ててくれている人」との関係がとても大きいから、何を意図しているかをよく察している。「勉強できて偉いわね」は勉強ができないと見捨てられるかもしれない事を意味する。子供は無条件で愛される事を欲するけれど、ほとんどの場合、愛は条件付き。
自分でも気づかないままに親がジャッジする事によって自分も自分を裁いていく。そして次第にうまく環境に適応した自分になる。ところが内面を見ると何かしっくりいかない場合がある。僕は「僕のままでいたかった」のにそれを受け入れてもらえなかったという恨み。
一番最初に我慢したのは「自分でいる」という事なのだと思う。何が嫌だったのか、本当はどうして欲しかったのか。それを認識し、言えた時点でかなり昇華されるけれど、それができない人は漠然とした不安とよくわからない苛立ちと生きていく。
ありのままの自分を受け入れてもらえなかった。愛される為に相手が望む自分を我慢して受け入れた。この我慢から来る恨みが連鎖する。もはや本人すら我慢した事を気づいてもいない。自分が何に傷ついているかもわからない。ただひたすらに何かを恨んで生きていく。
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