<朝日新聞の安倍政権叩き>日本政府の政策批判と中国の暴力行為を同等に扱う朝日新聞は異様
古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)
新聞は社会の木鐸(ぼくたく)といわれた時代があった。「木鐸」とは社会を教え導く存在のことである。新聞は公器とも評される。単なる商業的利益や私的関心を越える、公共の媒体ということだろう。新聞の客観性とか政治的中立などという規範もなお語られる。
だが現実はそうはなっていない。公器でも、自分なりの意見や思考を持つことは不自然ではない。だが私見や主観の表現にも限度がある。朝日新聞の最近の安倍晋三首相や安倍政権への批判は、その限度を越えているといわざるをえない。
私も毎日新聞と産経新聞の両方で長年、記者を務めてきた。その体験から判断しても、朝日新聞の最近の安倍叩きは異様である。その実例をあげよう。6月9日夕刊一面の「素粒子」というコラムに以下のような記述があった。
「中国船がベトナム漁船を体当たりで沈める。政権は公明も野党も押し倒して集団的自衛権に突進する。数と力で」
さて「中国船がベトナム漁船を」というのは、最近の南シナ海での出来事である。中国の国際規範無視の暴力的行動、いや犯罪だともいえる。朝日新聞はその暴力行動を、日本の民主主義的な政権の安全保障政策での手続きと同等に扱うのだ。
安倍政権が合法的に、民主的に進める政策を「押し倒して」とか「突進する」と決めつける。「数と力で」というのは、中国の艦船が多数でベトナム漁船少数のうちの一隻を沈めたことに重ねる表現である。
これでは朝日新聞がいくら安倍政権に批判的だといっても、公器としての限度をはるかに越え、感情的なののしりとして響く。中国はそもそも尖閣問題に関しては日本領海への侵入を繰り返す無法国家なのだ。日本へのそんな敵性さえ発揮する中国の南シナ海での乱暴な行動と、日本の防衛政策の単なる修正手続きとを同等に扱うとは、日本の新聞としては常軌を逸している。
朝日新聞は安倍政権の政策には、すべて猛反対するようにみえる。特に日本の安全保障に関する国家安全保障会議の設置、特定機密保護法の制定、集団的自衛権行使などに対しては、まるで日本の安全保障を脅かすのは中国でも北朝鮮でもなく、日本自身であるかのように虚像を描く。
新聞が自国の政府の政策に反対すること自体は決して不健全ではない。だが自国の政府の政策形成を、他国の暴力行動と同一視するのは公器の姿勢とは思えない。
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