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.社会  投稿日:2014/7/9

[安岡美佳]<都議会セクハラ野次>当事者である女性が声を上げず・結束せずに、男性にばかり任せていてはいけない


安岡美香(コペンハーゲンIT大学 研究員)|執筆記事

世界に報道された東京都議会セクハラ・ヤジ騒動は、2014年1月にオンライン・メディア「ハフィントンポスト」で巻き起こった公共交通機関での乳児の泣き声に関する議論やもっと前の公共交通機関でのベビーカーの扱い方に関する議論に様相が似ている。

日本的な社会状況の中で発生したこの騒動、どう見ても「セクハラ・ヤジ」が発生したその社会環境を改善する方法を模索すべきなのに、被害を受けた女性が中傷されるのはなぜだろうか? しかも、被害者を支援する意見を発表する男性がいる一方で、 セクハラ・ヤジを飛ばされた時の痛みがよりわかるはずの女性が、被害女性の批判をするのはなぜなのだろうか?

ちなみに、1月のハフィントンポストで提起された「赤ちゃんの泣き声について議論することがそもそも理解できない(子どもは泣くものであり、議論の焦点がおかしい)」という意見は、育児経験者の男性によるもので、筆者によると、「よくぞ言ってくれた!」と支持を公にしたのも、当初は多くが男性だったらしい。

女性は、支持をすることで男性からばかりでなく女性からも中傷される状況になるのが怖いと考えるのだろう。自分も同様の経験をしてきた女性の中には、同情する人がいる一方で、自分も経験したが耐えてきたと、同様の我慢を他の人にも強いる人もいる。内からの糾弾である。

同様のことが仮に北欧でおこったとして(まずこのようなセクハラ・ヤジがまかり通るとは到底考えられないのだが)、被害を受けた女性が中傷されるようなことがおこるということは、まずないだろう。被害女性は当然の権利として被害を主張する。発言者は糾弾されるだろうし、一時的かもしれないが議員資格剥奪も十分あり得る気がする。

さらには、フェミニズム団体がデモでも始めるのではないか。全く関係なくても、職場で男性は肩身が狭くなるだろうし、女性はランチ・テーブルで自分の意見を主張し男性を糾弾する姿が、ありありと目に浮かぶようだ。

これらの善し悪しはさておき、同様のことが発生した場合、同性の女性から糾弾されるということは、どうしても考えにくいのだ。 北欧のすべてを賛美するわけではないが、北欧が現在の男女平等社会を築いてきた道のりから学べる事は沢山あるとおもう。

既存の論理(男性の論理)で形作られてきた社会は、女性に無理を強いる。その中で努力して、半ば無理をして犠牲を払って、現在の地位を築いてきた女性たちが、他の女性に発破をかけ、自分が通ってきた道のりだからと、出来ない女性を批判してはいないだろうか。

今の北欧社会では、公共機関で子供が泣いているときに、泣いている子供を一緒にあやしてくれたり、子供ってそうなのよねと周りにも聞こえる声で話しかけてくれるのは、私見ではあるが、年配の女性が多いように思う。もちろん、家庭や子育てのストレス、ワークライフ・バランスのジレンマ(これらの課題は、もちろん北欧にも存在する)、そして公共機関でも親身になって支えになってくれる人は、同性が圧倒的に多い。

今の日本社会は、女性が満足のいく仕事が出来る環境、結婚し、出産し、ワークライフ・バランスをとれるだけの枠組みは、整っているとは言いがたい。とはいっても、当事者である女性が声を上げず、結束せずに、男性にばかり任せていたのでは、自分たちが、よりハッピーに過ごしやすい社会を築くことは困難だろうと思う。

女性が何を欲しているか、何に困難を感じているか、女性からのインプットは不可欠だろう。というわけで、そろそろ、女性にも過ごしやすい社会になるように、男性が作ってきた社会のルールに変革をもたらすために、足を引っ張り合ってないで、女性も結束しませんか?

 

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【執筆者紹介】

????安岡 美佳(やすおかみか)

コペンハーゲンIT大学 インタラクションデザイン(IxD)研究グループ研究員、国際大学グローバルコミュニケーションセンター客員研究員、JETROコンサルタント。参加型デザインで日本に貢献することを念頭に,デザイン手法のワークショップや,デザイン関連のコンサルティング,北欧(デンマーク,ノルウェー,フィンランド,アイスランド,グリーンランド)に関する調査・コンサルティング業務に従事している。

 

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