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.経済  投稿日:2014/9/11

[加藤鉱] 【中国に溺れた企業の行く末】


加藤鉱(ノンフィクション作家)|執筆記事プロフィール

先般ある会合で、中国の快進撃がはじまった1990年代初頭に香港に駐在していた大手都市銀行の元副支店長と地方銀行の元支店長のふたりと邂逅した。

当時香港で取材、執筆活動を続けていた私はこのふたりを含め駐在金融マンに対して、「香港、中国の地場企業に融資するとき与信調査をどのように行っているのか」を突っ込んで取材したことがあった。

その元都銀副支店長から、興銀、長銀、日債銀、東銀、三菱などもそうだがと前置きして、こう返されたのをいまでも覚えている。

「当然彼らは財務指標をいくつも用意しているので、まったく信用できない。まずとっかかりとして、地場企業のトップの催すホームパーティに呼ばれたときに、そのトップがどういう血族で、どういう人脈を持っているのかを分析するところからはじめた」体面を重視する本来の中国人は、一族の危機に際しては結束して守るとする特性を信じてのことだと思うが、そうするしかなかったのであろう。

やがて都銀のなかには、中国政府や太子党要人に踊らされ 13億市場に幻想を抱いた、いわば中国に溺れていった日本企業に〝過剰融資〟を行うところが目立ってきた。

なんといっても当時中国ビジネスに前のめりになり溺れていた日本企業の代表は、国際流通コングロマリットを標榜し、マスコミの注目を一身に集めていたヤオハンだった。都銀のなかには、中国に溺れたヤオハンの名前にまた〝溺れて〟貸し込んだところもあったのである。

一方、90年代中盤から香港に進出してきた日本の各地方銀行は、都銀とは対極の与信姿勢でビジネスに臨んでいた。件の元地銀支店長は語っていた。

「都銀さんのやりかたは知っている。しかし、資金的余裕もなく、失敗も許されないわれわれにはそんな真似はできない」

その言葉どおり、大半の地銀は香港、中国において日本の地場の優良取引先以外とのビジネスには踏み込もうとしなかった。

ヤオハンに対する姿勢も同様だった。

「ある有力者の仲介で、当時、ヤオハンのグループ総本部に役員を訪ねたことがあった。それは豪華なオフィスを構えていて驚いたが、もっと驚いたのが、融資判断に財務諸表等の提出を要請したところ、呆れた顔をされたことだった。結局、何の数字ももらえず、『私ども田舎銀行ではちょっと』と当方から取引を断った」

当時、本店からはあのヤオハンをソデにするとはもったいない話だと揶揄されたそうだが、実態の分からないところに貸さずとも、地場の中国進出企業に有望な貸出先があった。

それから 5年も経たずヤオハンは中国での目論見が外れて経営破綻、都銀数行は痛手を被った。

地銀の元支店長が述懐する。

「いまにして思えば、当時のヤオハンはすでに資金繰りがそうとう厳しかった。ヤオハンという名前に溺れなくて良かった」中国はいま、不動産バブル崩壊、経済クラッシユという抗えない経済周期に巻き込まれる運命にある。

中国に溺れてしまった日本企業の数はヤオハン時代の比ではない。

 

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